鵠沼地区文化史年表     
西暦 和暦 記                        事 出   典
  弥生期     鵠沼下藤ヶ谷遺跡、弥生式土器・土師器・須恵器出土 藤沢市史1巻
  弥生期     鵠沼横須賀遺跡(日本精工内)、弥生式土器(完形1943出土)、土師器出土 藤沢市史1巻
  古墳期     鵠沼西宮越遺跡(万福寺付近)、土師器出土 藤沢市史1巻
  古墳期     鵠沼西宮越遺跡(空乗寺付近)、土師器出土 藤沢市史1巻
1059 康平 2     菅原孝標女、『更級日記』を著す。村岡・唐土が原(湘南砂丘地帯)を記載 WEBsite
1185 文治 1 11 17 源頼朝、大庭野で鷹狩り。渋谷重国の館に一泊[吾妻鏡] 鵠沼2号
1185 文治 1     平家物語、平宗盛の東下りのなかに「砥上(トカミ)が原」が見える 鵠沼1号
1186 文治 2 8 ? この頃、西行法師、鎌倉に旅する途中砥上が原を通過、2首を残す[西行物語] Website
1189 文治 5     頼朝、鷹狩りで大庭御廚に来訪、高座郡渋谷重国館に宿泊[吾妻鏡] 藤沢市史年表
1211 建暦 1 ?   鴨 長明、飛鳥井雅経と共に鎌倉に下向し、将軍源実朝と会見する前、砥上が原で固瀬川の潮待ちをする 藤沢市史4巻
1213 建保 1     源実朝、『金槐和歌集』。砥上が原で詠んだ「秋風になに匂ふらむ藤袴、主はふりにし宿と知らずや」掲載 WEBsite
1223 貞応 2     『海道記』に「やつまつのやちよのかげに思ひなれてとなみが原に色もかはらじ」とあり 藤沢市史4巻
1250 建長 2     この頃『西行物語』成立か。しま松のかずのしげみにつまこめてとがみが原に牡鹿鳴くなり を入れる Website
1266 文永 3 7   6代将軍宗尊親王、謀反で鎌倉を追われ帰京。「帰り来て又見ん事も固瀬川濁れる水のすまぬ世なれば」と詠む  WEBsite
1279 弘安 2 10 29 冷泉為相の母=阿仏尼、鎌倉へ直訴の旅の最終日に鵠沼付近を通過[十六夜日記] Website
1300 鎌倉期     鵠沼藤原遺跡、土師器・木器・石臼・宋銭出土[藤沢市史1巻] Website
1301 鎌倉期     鵠沼八部遺跡、土師器・石臼出土[藤沢市史1巻] Website
1500 明応 9     この頃、『曽我物語』成立か。「砥上原こそ、よき原なれ」と記す Website
1545 天文14     連歌師=谷宗牧(?-1545)、「相模川の舟渡して行けば、大なる原あり、砥上ヶ原とぞ」と記す[東国紀行] 藤沢市史4巻
1672 寛文12 6 30 鵠沼村地頭大橋流の粗大橋長左衛門重政病により没す寿55、龍性院殿道樹居士と謚して空乗寺に葬る 鵠沼24・37号
1783 寛政 5 3   大老松平越中守定信、上総・伊豆・相模海岸順見の時清浄光寺へ立寄り、鵠沼方面を望み清音亭を命名 鶏肋温故 
1830 文政13     藤沢宿の医師=小川泰堂、『我か寿武里(我棲里)』を著す 藤沢市史5巻
1834 天保 5     『鶏肋温故〈1〉』、刊行 藤沢市史料集2
1835 天保 6 3 14 書家・俳人=阿部石年(玄道宝所)、没。万福寺境内に墓碑、造立 藤沢市史1巻
1842 天保13     平野道治(新蔵、旅籠ひらのや主人)、『鶏肋温故』を著す 藤沢市史5巻
1857 安政 4     村川堅固の母=「お菊さん」、熊本の細川藩士=村川舟水の三女として生れまる 鵠沼76号
1862 文久 2     河竹黙阿弥作『青砥稿花紅彩画(白浪五人男)』初演。赤星十三郎の科白に「砥上ヶ原に身の錆を」とある WEBsite
1862 文久 2     『俳諧画像集』、鵠沼連=蕉窓(荒木良空、万福寺23世住職)の僧衣姿の肖像を掲載 藤沢市史5巻
1872 明治 5     この頃まで原の浅場家には屋根のてっぺんの両端の瓦のうえに千両箱(うだつ)が上がっていた 鵠沼57号
1879 明治12 2 1 『皇國地誌』刊行 鵠沼84号
1891 明治24 1 1 歌人=竹屋雅子(1866-?)、鵠沼の知人の別荘に遊ぶ[婦女雑誌第1巻第3号 鵠沼村に遊ぶ記] 個性きらめく
1893 明治26 12 9 内藤千代子、父広蔵、母いくの長女として東京下谷に生まれる 鵠沼96号
1893 明治26     飯尾常吉、中郡須賀から車田町(現鵠沼神明)に居を移す[飯尾常吉翁碩徳碑] 鵠沼30号
1894 明治27 8 14 哲学者=大西操山(祝 1864-1900)、鵠沼に遊び、短歌7首を詠む[大西祝・幾子書簡集] 個性きらめく
1896 明治29     内藤千代子(1893.12. 9-1925. 3.23)の一家、東京下谷から鵠沼の知人の別荘に転居[生ひ立ちの記] 鵠沼78・96号
1896 明治29     藤沢宿大久保町名主=堀内悠久の次男堀内松麿、『藤沢沿革考』刊行(全6巻、上下2冊) 藤沢市史7巻
1897 明治30 7 9 画家=長谷川路可(1897-1967 本名杉村龍三、父:杉村清吉・母:長谷川たか)、誕生[画文集] 鵠沼95号
1897 明治30 8 1 教育家・思想家=杉浦重剛(1855-1924)、鵠沼で避暑 藤沢文学展図録
1897 明治30   小説家=広津柳浪(1861-1928)、東屋に滞在。小説『くされ縁』を執筆。水蔭・眉山と親交(片瀬水蔭宅) 鵠沼82号
1897 明治30     内藤千代子の一家、鵠沼の知人の別荘から鵠沼本村(鵠沼海岸7-21-10 山口紋蔵宅)の農家の離れに転居 鵠沼78号
1898 明治31 7 5 大和田健樹、文芸倶楽部第4巻第8編に「鵠沼日記〔鵠沼/江の島〕」掲載 文芸倶楽部
1898 明治31 8 25 〜30、能楽師=梅若実、「鵠沼館」に滞在 梅若実日記
1898 明治31   小説家=小泉八雲(1850-1904 Lafcadio Hearn)、家族と共に東屋に3週間滞在 鵠沼82号
1898 明治31     内藤千代子に妹かめ誕生。父の手で千代子の教育始められる。この後終生学校教育とは無縁 鵠沼78・96号
1900 明治33 9   小説家=徳冨蘆花(1868-1927)『思出の記』1901年3月まで国民新聞に連載、10年前の鵠沼を描写 鵠沼62・74号
1900 明治33 10 23 〜1901/4/12。小説家=齋藤緑雨(1867-1904)、東屋に滞在。『日記』を残す[日記] 鵠沼75・82・83号
1901 明治34 1 18 歌人=與謝野鉄幹(1873-1935)、東屋に齋藤緑雨を訪ねる 鵠沼82号
1901 明治34 2 10 〜3月、徳冨蘆花(1868-1927)、『おもひ出の記』取材で鵠沼に滞在し、東屋の齋藤緑雨を訪ねる[富士] 鵠沼82号
1901 明治34   小説家=馬場孤蝶(1869-1940)、東屋に滞在中の齋藤緑雨を訪ねる 鵠沼79号
1901 明治34 4 13 齋藤緑雨、東屋仲居金澤タケ(フミ)を伴い、鵠沼を後に小田原に発つ[日記] 鵠沼82号
1901 明治34 4 20 東京人類学会雑誌第16巻181号、「相州鵠沼村字下藤ヶ谷で新遺跡発見」:八木奘三郎の記事掲載 百年の歴史
1901 明治34   与謝野寛、東屋に斎藤緑雨を訪問する 近代文学年表
1901 明治34 8   画家=河合玉堂(1873-1957)、対江館に来遊。『清風涼波』のスケッチを残す 鵠沼82号
1901 明治34     小説家=内藤千代子(1893-1925)の一家、鵠沼本村の農家の離れから現鵠沼松が岡の新居に転居 鵠沼78号
1902 明治35 2 24 〜28、民俗学者=柳田国男(1875-1962) 、鵠沼館に赴き実業学界の原稿を執筆[柳田国男伝] 近代文学年表
1902 明治35 6 小説家=大塚楠緒子(1875-1910)、母と娘と共に鵠沼に滞在[鵠が沼たより:心の花] 個性きらめく
1902 明治35 9 1 寺田寅彦(帝大3年)、江之島電気鉄道開通を期に江の島・鎌倉小旅行を企画するも事故で徒歩となる 寺田寅彦日記
1902 明治35 9 18 評論家=高山樗牛(1871-1902)、鎌倉の自宅から藤沢鵠沼に行き東屋に数日泊まる[樗牛全集] 鵠沼82号
1903 明治36 3 25 帆足可成(本名:信、別号:松岡庵。陸軍軍吏で俳人)、没 鵠沼30号
1903 明治36 8   歌人=川田 順(1882-1966)、鵠沼で避暑[心の花]夏くらす渚のまちのかり家の小庭うづむるあぢさゐの花 個性きらめく
1903 明治36   詩人=長田秀雄(1885-1949)、藤沢の鵠沼に友達と避暑に行き、知人の別荘に滞在[鵠沼の砂丘] 近代文学年表
1903 明治36     森鴎外、日露戦争従軍中に鵠沼の海を詠んだ『海』をつくる[うた日記] 藤沢文学年表
1904 明治37 3 3 今井達夫、父今井秀松・母きみの長男として横浜市中区野毛に生まれる wikipedia
1904 明治37 3   帆足可成句碑、鵠沼藤が谷 3-10 賀来神社境内に造立(こがらしの落行くあとや水の月) 鵠沼15・30号
1904 明治37 4   上藤ヶ谷北端の高砂砂丘、旋風による侵食の際に多数の土器が出土 現代の藤澤
1906 明治39 4 6 小説家=武者小路実篤(1885-1976)、兄=公共と鵠沼に行き2泊する 個性きらめく
1906 明治39 7   内藤千代子の父=広蔵、肺結核にて没 鵠沼78・96号
1906 明治39 7 9 内藤千代子の妹かめ、村の小学校(尋常鵠沼小学校)に入学 鵠沼78号
1907 明治40 10 18 武者小路実篤(〜23)、志賀直哉(〜26)と東屋に滞在して『白樺』発刊を相談[志賀日記] 鵠沼82号
1907 明治40     画家=長谷川路可(龍三)の両親、離婚。路可は母=たかが引き取る(本名:長谷川龍三となる)[画文集] 鵠沼95号
1908 明治41 5 23 文学結社=硯友社一行(思案、眉山、桂舟、龜石、小波、程山、風谷、柳浪といふ顔觸)、東屋へ旅行会 鵠沼82号
1908 明治41 8 1 内藤千代子、『女學世界』8巻10号の短文欄に『心ゆく夕』応募、初掲載 鵠沼96号
1908 明治41 9 1 内藤千代子、『女學世界』8巻11号の短文欄に『避暑地より』応募、甲賞受賞 嵯峨景子
1908 明治41 10 1 内藤千代子、『女學世界』8巻13号の短文欄に『栗にそへて』掲載 嵯峨景子
1908 明治41 11 1 内藤千代子、『女學世界』8巻14号の短文欄に『或る夜』掲載 嵯峨景子
1908 明治41 11 15 内藤千代子、『女學世界』8巻15号の懸賞日記文に『田舎住ひの處女日記』応募、3等入選。賞金10円 鵠沼78・96号
1908 明治41 12 1 内藤千代子、『女學世界』8巻16号に『霜月日記』を千代子の筆名で掲載 嵯峨景子
1909 明治42 1 1 内藤千代子、『女學世界』9巻1号の短文欄に『祝ひに招かれて』掲載 嵯峨景子
1909 明治42 1 15 内藤千代子、『女學世界』9巻2号定「こゝろの秘密」に『お正月日記』を千代子の筆名で掲載 嵯峨景子
1909 明治42 3 4 武者小路実篤、東屋に4日間滞在。後に『お目出たき人』に作品化 鵠沼82号
1909 明治42 5 15 内藤千代子、『女學世界』9巻2号定「」に『憧がるゝ少女の手紙』を掲載 嵯峨景子
1909 明治42 7 1 内藤千代子、『女學世界』9巻9号に『鹽加減』を萩香の筆名で掲載 嵯峨景子
1909 明治42 7 23 〜31、小説家=里見 ク、友人中村貫之と東屋に滞在。後に『潮風』に鵠沼海岸を描写[鵠沼物語] 東屋旅館物語
1909 明治42 8 1 内藤千代子、『女學世界』9巻10号に『松風』を千代子の筆名で掲載※本文の筆名は萩香。タイトルは「まつかぜ」。 鵠沼96号
1909 明治42   今井達夫(5歳)、父親の療養のため、両親と共に鵠沼「東屋旅館」の貸別荘で過ごす 鵠沼41号
1909 明治42 11 15 内藤千代子、『女學世界』9巻15号の定「嫁にゆく人」に『嫁に行かぬ人』応募、2等入選。賞金30円※「嫁がぬ人」 鵠沼78・96号
1909 明治42 12 1 内藤千代子、『女學世界』9巻16号に『熱烈なる少女の戀』を掲載 嵯峨景子
1910 明治43 1 1 内藤千代子、『女學世界』10巻1号に『うれしい正月日記』を掲載 嵯峨景子
1910 明治43 1 15 内藤千代子、『女學世界』10巻2号定「マダム振り」に『思ひ出多き函根の湖畔』応募、1等入選。賞金50円 鵠沼78・96号
1910 明治43 3 7 石榑千亦ら竹柏園「心の花」同人11人、鵠沼相陽館(?)で野遊会[三月七日] 個性きらめく
1910 明治43 4 1 内藤千代子、『女學世界』10巻5号に『女の手紙』と金子百合子の筆名で『ス井ートホーム』を掲載 嵯峨景子
1910 明治43 4   画家=長谷川路可、暁星学校中学部に進学(寄宿舎に居住)[画文集] 鵠沼95号
1910 明治43 4   文芸誌『白樺』、創刊(このとき同人13名) 鵠沼5・20号
1910 明治43 5 1 内藤千代子、『女學世界』10巻6号に『ス井ートホーム』を掲載 嵯峨景子
1910 明治43 5 15 内藤千代子、『女學世界』10巻7号に『女の手紙』を掲載 嵯峨景子
1910 明治43 6 1 内藤千代子、『女學世界』10巻8号に『美しき夢見て暮らす女』を掲載※本文タイトルは「おてんば娘」 嵯峨景子
1910 明治43 7 1 内藤千代子、『女學世界』10巻9号に『ハーモニカ』を掲載 嵯峨景子
1910 明治43 8 1 『女學世界』に上原綾子(内藤千代子の友人)が『鵠沼海岸半日の清遊』を掲載。對江館の名がある 鵠沼77号
1910 明治43 8 7 小説家=芥川龍之介(1892-1927)、藤沢鵠沼に行き、親戚の別荘に滞在中の友人を訪ね、滞在する。 近代文学年表
1910 明治43 9 1 内藤千代子、『女學世界』10巻11号に『天女降臨』を掲載 嵯峨景子
1910 明治43 9 15 内藤千代子、『女學世界』10巻12号定「迷信に囚はれたる婦人」に松槙晴子の筆名で『東京印象記』を掲載 嵯峨景子
1910 明治43 10 1 内藤千代子、『女學世界』10巻13号に神田千鶴子の筆名で『ス井ートホーム』を掲載 嵯峨景子
1910 明治43 11 15 内藤千代子、『女學世界』10巻15号定「日常生活の教訓」に内藤千代の筆名で『小春日記』を掲載 嵯峨景子
1910 明治43 11   俳人=大野洒竹(1872-1913)、藤沢鵠沼に静養する[明文32年譜] 近代文学年表
1910 明治43 11   葛巻左登子(1910-1999 芥川龍之介の姪)、誕生 鵠沼69号
1910 明治43 12 1 内藤千代子、『女學世界』10巻16号に『小春日記』と『歳の暮のマダム』を掲載 嵯峨景子
1911 明治44 1 1 内藤千代子、『女學世界』11巻1号に金子百合子の筆名で『新年のマダムぶり』を掲載※本文『新年のマダム』 嵯峨景子
1911 明治44 1 15 内藤千代子、『女學世界』11巻2号定「光栄ある人生の春」に『夢より醒めた女』を掲載 嵯峨景子
1911 明治44 1   会員=福田光代、誕生 鵠沼78号
1911 明治44 2 21 武者小路実篤、東屋より志賀直哉宛書簡を出す 実篤記念館
1911 明治44 4 1 内藤千代子、『女學世界』11巻5号に金子百合子の筆名で『新郎新婦の性格』を掲載 嵯峨景子
1911 明治44 5 1 内藤千代子、『女學世界』11巻7号に萩香の筆名で『湖畔吟』を掲載 嵯峨景子
1911 明治44 7 1 内藤千代子、『女學世界』11巻9号に『青葉のかげ』を掲載※本文タイトルは「青葉の蔭」 嵯峨景子
1911 明治44 8 24 岸田劉生の『村娘像』のモデル、川戸マツ(旧姓葉山)、誕生 鵠沼78号
1911 明治44   文芸評論家・詩人・随筆家=大町桂月(1869-1925)、鵠沼に避暑する[海辺漫筆] 近代文学年表
1911 明治44 9 1 『青鞜』創刊。森しげ女(森鴎外夫人)、小説『死の家』で鵠沼訪問記を書く WEBsite
1911 明治44 9 1 内藤千代子、『女學世界』11巻11号に萩香の筆名で『現代の人より』を掲載 嵯峨景子
1911 明治44 9 15 内藤千代子、『女學世界』11巻12号定「姿見かがみ」に『華族系』を掲載 嵯峨景子
1911 明治44 9   内藤千代子、初の単行本『スヰートホーム』発行人河岡勝で博文館より刊行(装幀:杉浦非水) 鵠沼78・96号
1911 明治44 10 1 内藤千代子、『女學世界』11巻13号に山百合の筆名で『寂莫』を掲載 嵯峨景子
1911 明治44 10   内藤千代子、河岡潮風と対面、以後潮風の指導を受ける 鵠沼78号
1911 明治44 11 1 内藤千代子、『女學世界』11巻14号に『生活難』と萩香の筆名で『帝都の秋』を掲載 嵯峨景子
1911 明治44 11   〜1912.3、東京帝大生=和辻哲郎(18891-1960)、卒業論文執筆のために中藤ヶ谷の高瀬邸に滞在 鵠沼87・89号
1911 明治44   小説家=志賀直哉(1883-1971)、鵠沼東屋に来遊[年譜] 鵠沼15号
1911 明治44 12 1 内藤千代子、『女學世界』11巻16号に『新婚旅行』を掲載 嵯峨景子
1911 明治44 12   小説家=谷崎潤一郎(1886-1965)、東屋に滞在して『悪魔』を執筆 鵠沼82号
1911 明治44 12 23 小説家=谷崎潤一郎、東屋から和辻哲郎宛に来訪を慫慂する手紙を使者に持参させる 鵠沼82号
1911 明治44 12   長谷川路可、年末年始帰省の際、東屋滞在中の谷崎潤一郎のもとに遊びに行く[画文集] 鵠沼95号
1911 明治44 12   内藤千代子、単行本『ホネームーン』発行人河岡勝で博文館より刊行(装幀:杉浦非水) 鵠沼78・96号
1912 明治45 1 1 内藤千代子、『女學世界』12巻1号に『春宵記』を掲載 嵯峨景子
1912 明治45 1   小説家=久保田万太郎(1889-1963)、東屋に投宿[谷崎の和辻宛書簡] 個性きらめく
1912 明治45 2 13 小説家=谷崎潤一郎、「鴻の巣」で萱野二十一(郡虎彦)と連署で鵠沼の和辻宛葉書 鵠沼82号
1912 明治45 5 1 内藤千代子、『女學世界』12巻7号に『向陵の夜月』を掲載 嵯峨景子
1912 明治45 6 1 武者小路実篤、のちに妻となる房子と鵠沼に行き、鵠沼館で昼食をとる。11月『世間知らず』として発表 鵠沼82号
1912 明治45 6 15 内藤千代子、『女學世界』12巻9号に『箱から出た女』を掲載 嵯峨景子
1912 明治45 6 27 哲学者=和辻哲郎(1889-1960)、高瀬 照と京都平安神宮で結婚→東京大森に新居を構える 鵠沼87・89号
1912 大正 1 8   〜9月初旬、小説家=舟木重雄(1884-1951)、藤沢鵠沼に避暑する[奇蹟] 近代文学年表
1912 大正 1 10 20 志賀直哉、一家で鵠沼に遊び、後に小品『鵠沼行』として発表[文章世界] 鵠沼82号
1912 大正 1 11   大阪毎日新聞に「謎の少女〜鵠沼の千代子訪問記〜」掲載される 鵠沼78号
1912 大正 1   〜1923/9、今井達夫、父親の療養のため、横浜・野毛から鵠沼に転居。鵠沼小学校3年に転入 鵠沼41号
1912 大正 1 12 1 内藤千代子、『女學世界』12巻16号に萩香の筆名で『秋風吟』を掲載 嵯峨景子
1912 大正 1 12   内藤千代子、単行本『エンゲーヂ』発行者:大橋新太郎で博文館より刊行(装幀:杉浦非水) 鵠沼78・96号
1913 大正 2 1 1 内藤千代子、『女學世界』13巻1号に『赤門出の秀才』を掲載 嵯峨景子
1913 大正 2 2 1 内藤千代子、『女學世界』13巻3号に『一身の革命』と『内藤千代子と大阪』を掲載 嵯峨景子
1913 大正 2 2   内藤千代子、『―身の革命』を『女學世界』に発表 鵠沼78号
1913 大正 2 6 1 内藤千代子、『女學世界』13巻8号に『其日々々の氣分』を掲載 嵯峨景子
1913 大正 2 7 1 内藤千代子、『女學世界』13巻9号に『其日々々の氣分』を掲載 嵯峨景子
1913 大正 2   雑誌記者=中平文子(1888-1966)、慈教庵に潜入ルポを試みる 続個性きらめく
1913 大正 2   大町桂月、家族を連れて鵠沼に避暑する[海辺漫筆] 近代文学年表
1913 大正 2 9 15 内藤千代子、『女學世界』13巻第12号定「古今人情くらべ」に『五人空想團』と『富士遭難記』を掲載 嵯峨景子
1913 大正 2 11 15 内藤千代子、『女學世界』13巻第15号に『藝術座の樂屋を訪ふ』を掲載 嵯峨景子
1914 大正 3 1 1 内藤千代子、『女學世界』14巻1号に『生ひ立ちの記』を掲載 嵯峨景子
1914 大正 3 1 4 〜6、小説家=芥川龍之介(1892-1927)、鵠沼の山本喜誉司(後の妻=文の母の弟)家の別荘に遊ぶ 鵠沼5・83号
1914 大正 3 2 1 内藤千代子、『女學世界』14巻3号に『東京印象記』を掲載 嵯峨景子
1914 大正 3 3   小説家=谷崎潤一郎、早川を引き払い東屋の離れに滞在 WEBsite
1914 大正 3 4 1 内藤千代子、『女學世界』14巻5号に『生ひ立ちの記』と萩香の筆名で『女髪結の客』を掲載 嵯峨景子
1914 大正 3 4 9 歌人=中村憲吉、肺尖カタルの転地療養先を求めて逗子・鎌倉を経て鵠沼で泊まる[全集日記] 近代文学年表
1914 大正 3 4 10 内藤千代子、『女學世界』14巻6号に『メーゾン鴻の巣』を掲載 嵯峨景子
1914 大正 3 4 10 岸田麗子、岸田劉生の長女として誕生 WEBsite
1914 大正 3 4 30 哲学者・小説家=阿部次郎(1883-1959)、単身で鵠沼中藤ヶ谷高瀬邸の離れに住む[全集書簡] 鵠沼89号
1914 大正 3 5 1 内藤千代子、『女學世界』14巻7号に『生ひ立ちの記』を掲載 嵯峨景子
1914 大正 3 5 27 阿部次郎、鵠沼中藤ヶ谷高瀬邸の離れから一旦帰京[全集書簡] 近代文学年表
1914 大正 3 6 1 内藤千代子、『女學世界』14巻8号に『吾がアルバム』を掲載 嵯峨景子
1914 大正 3 6 17 阿部次郎、鵠沼中藤ヶ谷高瀬邸の離れに戻る。以来断続的に滞在を繰り返す[全集書簡] 近代文学年表
1914 大正 3 8 1 内藤千代子、『女學世界』14巻10号に『思ひ出の記』を掲載 嵯峨景子
1914 大正 3 8 15 大給子爵、鵠沼から鎌倉の黒田清輝を訪ねる[黒田清輝日記] 鵠沼94号
1914 大正 3 10   内藤千代子、単行本『生ひ立ちの記』発行者:本橋佐三で牧民社より刊行(装幀:杉浦非水) 鵠沼78・96号
1914 大正 3 11 2 小泉 鉄(マガネ 1886-1954)、鵠沼納屋に移住して『白樺』編集にあたる[白樺] 鵠沼82号
1914 大正 3 12 13 長谷川路可、暁星学校にてアンベルクロード神父より受洗。洗礼名:ルカ(ロカ=画家の守護聖人) 鵠沼95号
1914 大正 3 12 30 〜1915/1.12、武者小路実篤、東屋で越年。戯曲『その妹』の執筆を開始[全集書簡] 鵠沼82号
1914 大正 3     日本画家=前田青邨、平塚から石上に転居、2年間居住 神奈川新聞
1915 大正 4 1 12 武者小路実篤、東屋から妻房子、養女喜久子ととも芳藤園に移り、戯曲『その妹』などを執筆[或る男] 鵠沼15・20・82号
1915 大正 4 3 22 阿部次郎、鵠沼中藤ヶ谷高瀬邸の離れに再び住む[全集書簡] 近代文学年表
1915 大正 4 3   画家=長谷川路可、暁星学校中学部を卒業(美校入学まで1年間浪人)[画文集] 鵠沼95号
1915 大正 4 4 18 これ以前に武者小路実篤、旧鵠沼下岡6708(現在の鵠沼松が岡3-8-29〜31)の川元別荘に転居[全集書簡] 鵠沼15・20号
1915 大正 4 4 25 小説家=有島武郎(1878−1923)、鎌倉から鵠沼に行き、東屋で武者小路実篤に会う[全集書簡] 近代文学年表
1915 大正 4 5 1 内藤千代子、『女學世界』15巻5号に『木の芽草紙』を掲載 嵯峨景子
1915 大正 4 5   阿部次郎、鵠沼中藤ヶ谷高瀬邸の離れを去る 個性きらめく
1915 大正 4 6 13 民藝運動の提唱者=柳 宗悦(1889-1961)、鵠沼に遊ぶ[全集年譜] 近代文学年表
1915 大正 4 6   内藤千代子、単行本『惜春賦』誠文社より刊行 鵠沼78・96号
1915 大正 4 8 1 内藤千代子、『女學世界』15巻8号に『毒蛇』を掲載 嵯峨景子
1915 大正 4 8 15 歌人=木下利玄(1886-1925)、武者小路実篤宅に寄り、長与善郎・小泉鐵・岸田劉生らにも会う{全集書簡} 近代文学年表
1915 大正 4 8   内藤千代子、槍ヶ岳に登頂※日本人女性として初登頂(女性としてはウェストン夫人が前年に登頂している) 嵯峨景子
1915 大正 4 9 1 内藤千代子、『女學世界』15巻9号に『毒蛇』と『日本アルプスへ』を掲載 嵯峨景子
1915 大正 4 9 5 武者小路実篤一家、鵠沼から東京千駄ヶ谷へ転居[全集書簡]※1916.2とも 鵠沼20号
1915 大正 4 9   哲学者=和辻哲郎・照夫妻、照の実家の現鵠沼藤が谷の高瀬邸内に移住[和辻哲郎とともに] 鵠沼87・89号
1915 大正 4 9   阿部次郎、単身で鵠沼中藤ヶ谷和辻哲郎宅に滞在 個性きらめく
1915 大正 4 10 1 内藤千代子、『女學世界』15巻10号に『日本アルプスへ』を掲載 嵯峨景子
1915 大正 4 10 10 内藤千代子、『女學世界』15巻11号に『毒蛇』を掲載 嵯峨景子
1915 大正 4 11 1 内藤千代子、『女學世界』15巻12号に『毒蛇』を掲載 嵯峨景子
1915 大正 4 12 1 内藤千代子、『女學世界』15巻13号に内藤千代の筆名で『毒蛇』を掲載 嵯峨景子
1915 大正 4     画家=岸田劉生(1891-1929)、武者小路実篤を訪う[或る男] 個性きらめく
1915 大正 4     作家・画家=有島生馬(1882-1974)、武者小路実篤を訪う[或る男] 個性きらめく
1915 大正 4     小説家=江馬 修・長與善郎/歌人=木下利玄・千家元麿/演劇人=林  和、武者小路実篤を訪う[或る男] 個性きらめく
1915 大正 4     小説家=杉原善之介、武者小路実篤を慕って鵠沼に借家(川元別荘?)→後に片瀬に移る 個性きらめく
1916 大正 5 1 1 内藤千代子、『女學世界』16巻1号に内藤千代の筆名で『毒蛇』を掲載 嵯峨景子
1916 大正 5 2 1 内藤千代子、『女學世界』16巻2号に内藤千代の筆名で『毒蛇』を掲載 嵯峨景子
1916 大正 5 2 22 画家=岸田劉生、鵠沼に滞在して絵を画く[全集書簡] 近代文学年表
1916 大正 5 2   武者小路実篤、鵠沼川元別荘から小石川区小日向台町に転居※1915.9とも WEBsite
1916 大正 5 3 1 内藤千代子、『女學世界』16巻3号に内藤千代の筆名で『毒蛇』を掲載 嵯峨景子
1916 大正 5 3 20 〜21、阿部次郎、鵠沼中藤ヶ谷和辻哲郎宅を訪問[全集日記] 鵠沼87・89号
1916 大正 5 3   教育者・哲学者=安倍能成(1883-1966)、鵠沼中藤ヶ谷7200 高瀬邸内に居住[我が生ひ立ち] 鵠沼87号
1916 大正 5 4 1 内藤千代子、『女學世界』16巻4号に内藤千代の筆名で『毒蛇』を掲載 嵯峨景子
1916 大正 5 4   画家=長谷川路可、東京美術学校日本画科に入学。雑司が谷、巣鴨などに、途中からは従弟の長谷川欽一と住む 鵠沼95号
1916 大正 5 5 1 内藤千代子、『女學世界』16巻5号に内藤千代の筆名で『毒蛇』を掲載 嵯峨景子
1916 大正 5 5 2 〜5/20、哲学者・評論家=阿部次郎、鵠沼中藤ヶ谷和辻哲郎宅に滞在[全集日記] 個性きらめく
1916 大正 5 5 20 独文学者=小宮豊隆(1884〜1966)、鵠沼中藤ヶ谷和辻哲郎・安倍能成宅を訪問→阿部次郎と帰京 近代文学年表
1916 大正 5 5   内藤千代子、如山堂より『生ひ立ちの記』『惜春譜』の合本『生ひ立ちの記』を刊行 鵠沼96号
1916 大正 5 6   小説家=中 勘助(1885-1965)、中藤ヶ谷の安倍能成を訪れ、高瀬家離れに1月程滞在[亮ちゃんの思ひ出] 近代文学年表
1916 大正 5 7 1 内藤千代子、『女學世界』16巻8号に内藤千代の筆名で『毒蛇』を掲載 嵯峨景子
1916 大正 5 7 26 阿部次郎、箱根で岩波茂雄と面会の帰途和辻哲郎宅に立ち寄り1泊 近代文学年表
1916 大正 5 8 1 内藤千代子、『女學世界』16巻9号に内藤千代の筆名で『毒蛇』を掲載 嵯峨景子
1916 大正 5 8 14 〜15、阿部次郎、鵠沼中藤ヶ谷和辻哲郎宅を訪問。安倍能成宅で夕食をとり、小宮豊隆らと交流 個性きらめく
1916 大正 5 11   小泉 鉄(1886-1954)、鵠沼を去る 鵠沼82号
1916 大正 5 11   内藤千代子、京橋堂より『冷炎』を刊行 鵠沼96号
1916 大正 5     画家=椿 貞雄(1896-1957)、鵠沼八軒別荘に居住。岸田劉生と親交を結ぶ※1920年・1923年とも WEBsite
1916 大正 5     画家=硲 伊之助(1895-1977)、鵠沼上鰯5217(鵠沼海岸2-16)に居住 鵠沼83・83・84号
1916 大正 5     歌人=茅野雅子(1880-1946)、安倍能成を訪う 個性きらめく
1917 大正 6 1 1 内藤千代子、『女學世界』17巻1号に内藤千代の筆名で『毒蛇』を掲載 嵯峨景子
1917 大正 6 1 10 〜17、阿部次郎、中藤ヶ谷和辻哲郎宅に7日間滞在[全集日記] 近代文学年表
1917 大正 6 1 22 〜23、中藤ヶ谷安倍能成宅で「例の会」。阿部次郎・小宮豊隆・森田草平・和辻哲郎が集う 近代文学年表
1917 大正 6 2 1 内藤千代子、『女學世界』17巻2号に内藤千代の筆名で『毒蛇』を掲載 嵯峨景子
1917 大正 6 2 22 画家=岸田劉生、鵠沼の佐藤別荘に移住 鵠沼15・26・78・82号
1917 大正 6 3 1 内藤千代子、『女學世界』17巻3号に内藤千代の筆名で『毒蛇』を掲載 嵯峨景子
1917 大正 6 4 1 内藤千代子、『女學世界』17巻4号に内藤千代の筆名で『毒蛇』を掲載 嵯峨景子
1917 大正 6 4 21 〜22、鵠沼中藤ヶ谷和辻哲郎宅で「例の会」。阿部次郎ら数人で雑誌『黒潮(岩波)』同人結成について協議 個性きらめく
1917 大正 6 5 1 内藤千代子、『女學世界』17巻5号に内藤千代の筆名で『毒蛇』を掲載 嵯峨景子
1917 大正 6 5   小説家=久保田万太郎(1889-1963)、祖母とともに東屋に滞在して『末枯』を執筆→10月三田文学に発表 鵠沼82号
1917 大正 6 5 31 谷崎潤一郎・芥川龍之介、鵠沼中藤ヶ谷和辻哲郎宅を訪問 鵠沼89号
1917 大正 6 6 1 内藤千代子、『女學世界』17巻6号に内藤千代の筆名で『毒蛇』を掲載※連載はここまで。未完に終わる 嵯峨景子
1917 大正 6 6 24 画家=岸田劉生、松本別荘(鵠沼下岡6732-13・現鵠沼松が岡4-7-10)へ移る 鵠沼15・26・76号
1917 大正 6 6   内藤千代子、単行本『冷炎』京橋堂より刊行 鵠沼78号
1917 大正 6 7 1 〜2、阿部次郎、中藤ヶ谷和辻哲郎宅に1泊。翌日安倍能成宅に寄り岩波茂雄と交流 近代文学年表
1917 大正 6   画家=中川一政(1893-1991)、岸田劉生宅に1か月ほど滞在[岸田劉生氏の事共] 近代文学年表
1917 大正 6 9 1 東洋学者・歌人=高瀬笑子(ミネソタ大学名誉教授)、鵠沼中藤ヶ谷にて実業家=高瀬彌一の長女として誕生 鵠沼断想
1917 大正 6 11 11 〜12、鵠沼中藤ヶ谷和辻哲郎宅で「例の会」。阿部次郎ら集う 近代文学年表
1917 大正 6     志賀直哉、『鵠沼行』を著す。(1912年の家族旅行を作品化) 鵠沼43号
1917 大正 6     画家=鳥海青児(藤嶺藤沢中学生)、所宏(逗子開成中学生)とともに、鵠沼に住んでいた岸田劉生を訪問 WEBsite
1917 大正 6     編集者=横山 重(シゲル、1896−1980)、本郷富坂町から鵠沼四軒別荘へ転居 WEBsite
1918 大正 7 1 25 芥川龍之介、鵠沼滞在中の谷崎潤一郎のもとに泊まる[全集書簡] 近代文学年表
1918 大正 7 1 26 〜27、中藤ヶ谷安倍能成宅で「例の会」。阿部次郎・小宮豊隆・和辻哲郎が集い、翌日横浜三渓園へ 近代文学年表
1918 大正 7 1   内藤千代子、京橋堂より『春雨』を刊行 鵠沼96号
1918 大正 7 3 28 阿部次郎、中藤ヶ谷和辻哲郎宅を訪問 近代文学年表
1918 大正 7 3   〜9月、谷崎潤一郎、東屋の離れにせい子と滞在。小説『金と銀』『小さな王国』を執筆。里見クと交流 鵠沼15・75・82号
1918 大正 7 3   安倍能成、鵠沼中藤ヶ谷7200から転出 別冊文化人
1918 大正 7 4   志賀直哉、『或る朝』(春陽堂,新興文藝叢書 ; 第7編)を刊行 同書
1918 大正 7 6 7 和辻哲郎・照夫妻、藤ヶ谷高瀬邸内より東京へ転居。阿部次郎も和辻哲郎宅を去る[和辻哲郎とともに] 鵠沼89号
1918 大正 7 6   画家=岡崎精郎、岸田劉生宅に寄宿 別冊文化人
1918 大正 7 7   内藤千代子、単行本『春雨』京橋堂より刊行 鵠沼78号
1918 大正 7   高木和男(会員)、鵠沼に移住 鵠沼10号
1918 大正 7   岸田麗子、初めて父=劉生の『麗子五歳の像』のモデルとなる 鵠沼26・76号
1918 大正 7   彫刻家=高田博厚(1900-1987)、高村光太郎の紹介で鵠沼の岸田劉生宅を訪問。自作の絵を見せる 近代文学年表
1918 大正 7 9 谷崎潤一郎、鵠沼から上京、澤田卓爾のいた愛宕下の下宿青木に1ヵ月ほど滞在 谷崎潤一郎日記
1918 大正 7 9   新潮社創業者=佐藤義亮(1878-1951)、胃腸病静養のため鵠沼海岸に転地する 近代文学年表
1918 大正 7 10   俳人=西東三鬼(1900-1962)、母の死により鵠沼松が岡の長兄のもとに引き取られる[全句集年譜] 近代文学年表
1918 大正 7   茅野雅子、長女=晴子の療養で高瀬邸に滞在 鵠沼89号
1918 大正 7   歌人=金子薫園(1876-1951)、鵠沼に友人を見舞う[海岸の雨] 近代文学年表
1918 大正 7 12   海軍軍人・民族学者=松岡静雄(1877-1936)、海軍を依願退職 鵠沼75号
1918 大正 7     この頃、元東大法学部教授シュテルンベルク(独)現鵠沼松が岡4-7松本別荘に移住。「ステルンさん」 鵠沼80号
1918 大正 7     画家=硲 伊之助、第5回二科展で『鵠沼の白い橋』『鵠沼風景』など26点を出品し再度二科賞を受賞する 鵠沼83号
1918 大正 7     俳人=西東三鬼、岡山県苫田郡津山町大字南新座84番地(津山市南新座)より鵠沼に移り青山学院中等部に編入 WEBsite
1919 大正 8 2   画家=岡崎精郎、岸田劉生宅を離れる 別冊文化人
1919 大正 8 6   藤沢実科女学校校庭で「汽車会」大会を開催[横浜貿易新報] 鵠沼85号
1919 大正 8 8 5 小説家=長與善郎(1888-1961)、妻と岸田劉生を訪ねる[全集日記] 近代文学年表
1919 大正 8 8   新潮社創設者=佐藤義亮(さとうぎりょう 1878−1951)、鵠沼海岸で避暑 近代文学年表
1919 大正 8 9 14 小説家=中村武羅夫(1886-1949)、鵠沼に居住[九月の日記]〜1922 個性きらめく
1919 大正 8 10   内藤千代子、単行本『毒蛇』三徳社より刊行※以後、文学活動は見られない 鵠沼78・96号
1919 大正 8   歌人=金子薫園、鵠沼に友人を見舞う 藤沢文学展図録
1919 大正 8 12   小説家=網野 菊(1900-1978)、卒業論文制作のため、河崎なつ子と冬休みの2週間を鵠沼慈教庵に滞在 鵠沼45号
1919 大正 8     小説家=田中 純(1890-1966)、鵠沼海岸で執筆活動に従事 藤沢文学展図録
1920 大正 9 1 1 画家=岸田劉生、数え年30歳になったことを期に『鵠沼日記』を1925年7月まで5年7ヵ月にわたり記述 鵠沼26号
1920 大正 9 2 24 画家=中川一政、鵠沼の岸田劉生を訪ねる 近代文学年表
1920 大正 9 2 1 画家=椿 貞雄、鵠沼八軒別荘に居住。岸田劉生と親交を結ぶ(1916年とも) 別冊文化人
1920 大正 9 2 〜3月末、武林無想庵(1880-1962)、東屋九号室に滞在。中平文子・内藤千代子と知り合う[放浪第二信] 鵠沼75・79・82号
1920 大正 9 2   飯尾常吉、没[飯尾常吉翁碩徳碑] 鵠沼30号
1920 大正 9 3   岸田劉生の許に葉山サダ(『村娘像』のモデル=マツの母親)が手伝いに入る[鵠沼日記] 東屋旅館物語
1920 大正 9 3   小説家=宇野浩二(1891-1961)、鵠沼東屋で執筆[文学散歩] 鵠沼15号
1920 大正 9 3   出版人=足助素一(1878-1930)、岸田劉生のもとに「人間的生活」の表紙を持参 近代文学年表
1920 大正 9 4 劇作家・小説家・演出家=伊藤松雄(1895-1947)、鵠沼海岸の中屋三号に仮寓[よみうり抄] 近代文学年表
1920 大正 9 4   小説家=武林夢想庵、東屋で中平文子と結婚[藤沢の文学] 鵠沼15号
1920 大正 9 4   今井達夫、藤嶺中学を4年で卒業し、慶應義塾大学文学部予科に入学。渋谷区常磐松の祖母宅に下宿 鵠沼別冊
1920 大正 9 5 8 武者小路実篤、鵠沼に岸田劉生を訪ねる 個性きらめく
1920 大正 9 5   〜1921.3、雑誌記者・評論家・翻訳家=木蘇 穀(1893. 8.26-?)、鵠沼海岸の中村武羅夫の隣家に転居 近代文学年表
1920 大正 9 6 14 小説家=近松秋江(1876-1944)・徳田秋声(1871-1943)、中村武羅夫を尋ね東屋に二泊後箱根に向かう[函嶺浴泉記] 近代文学年表
1920 大正 9 9 1 〜1921/1、小説家=島田清次郎(1899-1930)、中屋の離れに滞在。『地上』第3部を推敲→1921/1発刊 鵠沼82号
1920 大正 9 9 20 矢代幸雄・松夫妻、協議離婚 鵠沼89号
1920 大正 9 9 29 武者小路実篤夫妻・編集者=中根駒十郎(1882-1964)、岸田劉生宅を訪問 近代文学年表
1920 大正 9   高木和男(会員)、鵠沼海岸の別荘に定住 百年の歴史
1920 大正 9   小説家=吉屋信子(1896-1973)、中屋に滞在。『海の極みまで』を執筆。『片瀬心中』などの想を得る 鵠沼82号
1920 大正 9 12 9 歌人=與謝野鉄幹・晶子夫妻、北原白秋・西村伊作らと東屋に泊まる[太陽と薔薇] 鵠沼82・88号
1920 大正 9 12   中島正貴、『鵠沼の或る道』を第8回草土社展に出品 出品目録
1920 大正 9 12   経済学者=野呂栄太郎(1900-1934)、東仲通島田いし宅に滞在[鵠沼時代の野呂栄太郎] 個性きらめく
1920 大正 9     画家=椿 貞雄、「鵠沼の或る道」(油彩・カンヴァス 38.0×45.6cm 宮城県美術館蔵)を制作 WEBsite
1920 大正 9     画家=梅原龍三郎(1888-1986)、『 煙突のある風景(鵠沼風景)』(神奈川県立近代美術館蔵)を描く WEBsite
1921 大正10 1 16 島田清次郎(1899-1930)、鵠沼に転居する 近代文学年表
1921 大正10 2 26 島田清次郎、中村武羅夫宅を訪問、久米正雄・佐佐木茂策と共に東屋で会食 近代文学年表
1921 大正10 2   飯尾常吉翁碩徳碑、鵠沼神明 5-6 白旗稲荷境内に造立 鵠沼15・30号
1921 大正10 2   小説家=中戸川吉二(1896-1942)、鵠沼で島田清次郎と会い、激論する[新潮] 近代文学年表
1921 大正10 2   志賀直哉、『荒絹』(春陽堂)を刊行 同書
1921 大正10 3   画家=長谷川路可、東京美術学校日本画科を卒業[画文集] 鵠沼95号
1921 大正10 3   〜5月、画家=棟方寅雄、岸田劉生宅に寄食 別冊文化人
1921 大正10 4 5 硲 伊之助、岸田劉生を訪問する 鵠沼83号
1921 大正10 4   小説家=宇野浩二(1891-1961)、東屋に数日滞在[文学の三十年]。江口 渙の訪問を受ける 鵠沼82号
1921 大正10 4   〜5.1、評論家=山川均(1880-1958)・菊栄(1890-1980)夫妻、長男の病後保養のため鵠沼海岸に転地 近代文学年表
1921 大正10 5   画家=長谷川路可、日本郵船「加茂丸」にて渡欧。船中で徳川義親侯爵に知己を得る[画文集] 鵠沼95号
1921 大正10 初夏   吉屋信子、東屋に滞在して『海の極みまで』を書きつぐ 近代文学年表
1921 大正10 6 1 小説家=芥川龍之介、小説家・編集者=佐々木茂索宛書簡を鵠沼より出す WEBsite
1921 大正10 6 20 小説家=芥川龍之介、評論家=神崎 清宛書簡を鵠沼より出す WEBsite
1921 大正10 7 26 画家=岸田劉生、村娘裸像油8号エスキース[製作日誌]→モデルの葉山マツ逃げ帰る 東屋旅館物語
1921 大正10 7   画家=硲 伊之助、フランス留学のため鵠沼上鰯5217(鵠沼海岸2-16)を離れる 鵠沼84号
1921 大正10 8 17 〜8.31、思想評論家=林 達夫(1896-1984)、鵠沼川袋の高瀬邸に滞在 個性きらめく
1921 大正10   吉屋信子、中屋で朝日新聞連載小説(7/10〜12/30)『海の極みまで』を執筆 鵠沼82号
1921 大正10 9 思想家=大杉 栄(1885-1923)、東屋に滞在して『自叙伝』を書き始める。吉屋信子と面会 鵠沼82号
1921 大正10 9   画家=横堀角次郎(1897-1978)、品川区上大崎より鵠沼海岸2丁目中屋の貸し別荘に転居。岸田劉生と親交 鵠沼78号
1921 大正10 10 11 〜12、俳人=川端茅舎(1987-1941)、友人と岸田劉生宅に一泊。以後、劉生に師事し、岸田邸に出入りする 近代文学年表
1921 大正10 10   宇野浩二、東屋に10日余り滞在。『文学の三十年』に里見・久米・芥川・佐佐木・大杉と面会したと書く 鵠沼82号
1921 大正10 10   江口 渙、宇野浩二を追って東屋にくる 鵠沼82号
1921 大正10 10   歌人=山口茂吉(1902-1958)、各務幸一郎の書生として鵠沼の各務別荘に数日間滞在 近代文学年表
1921 大正10 11 4 足助素一、岸田劉生を訪ね、作品を購入 近代文学年表
1921 大正10 11 4 詩人・小説家=佐藤春夫(1892-1964)、東屋に滞在。『都会の憂鬱』を執筆 鵠沼82号
1921 大正10 11 5 思想家=大杉 栄、東屋に滞在中の佐藤春夫を訪問 鵠沼79・82号
1921 大正10   小説家=徳田秋声(1871- 1943)、東屋に滞在。後に『私の見た人』を執筆 鵠沼82号
1921 大正10 12 13 小説家=芥川龍之介、歌人=斎藤茂吉宛書簡を鵠沼より出す WEBsite
1921 大正10 12 26 小説家=江口 渙(1887-1975)、下谷区上野桜木町から鵠沼海岸の借家に転居 個性きらめく
1921 大正10 12   〜翌年3月、画家=棟方寅雄、岸田劉生宅に寄食 別冊文化人
1921 大正10     画家=椿 貞雄、「鵠沼風景」(油彩・カンヴァス 45.5×53.0cm 平塚市美術館蔵)を制作 WEBsite
1921 大正10     画家=岸田劉生、「石垣ある道(鵠沼風景) 」(油彩・カンヴァス 501×610mm 平塚市美術館蔵)を制作 WEBsite
1922 大正11 1   歌人=深尾須磨子(1888-1974)、鵠沼に遊び、短歌『氷雨の谷―鵠沼にて』を発表 近代文学年表
1922 大正11 2 芥川龍之介、鵠沼で数日静養 鵠沼82号
1922 大正11 2   歌誌『明星』2月号に深尾須磨子の『鵠沼にて』、荻野綾子の『湘南にて』掲載 個性きらめく
1922 大正11 2   小説家=久米正雄(1891-1952)、東屋に滞在[人間] 近代文学年表
1922 大正11 5 19 志賀直哉、箱根強羅温泉の帰途、鵠沼の岸田劉生を訪ねる 鵠沼日記
1922 大正11 5 21 思想評論家=林 達夫、鵠沼四軒別荘の北から3軒目に居住 個性きらめく
1922 大正11 6   画家=横堀角次郎、中屋の貸し別荘から出て中屋の2階に間借り 別冊文化人
1922 大正11 8 5 葉山虎吉(鵠沼の漁師。川戸マツの父親)、没 鵠沼78号
1922 大正11   網野 菊、義祖母・弟妹たちと鵠沼の農家に間借りして暮らす[全集年譜] 近代文学年表
1922 大正11 9 25 アナキスト=古田大次郎・中浜鉄、江口 渙宅を訪問。3か月滞在 WEBsite
1922 大正11 9 26 高瀬 芳、林 達夫と結婚。松が岡四軒別荘の北から3軒目に新居を構える 鵠沼89号
1922 大正11 9   江口 渙、少女小説作家=北川千代との結婚生活が破局、借家を古田大次郎・中浜鉄に預け相馬孝と出奔 WEBsite
1922 大正11 10 21 大杉 栄、魔子と一緒に鵠沼へ[自叙伝] WEBsite
1922 大正11 10 30 〜11.3、大杉 栄、東屋に投宿。31日は朝飯がすんだら鎌倉行き[伊藤野枝宛書簡] WEBsite
1922 大正11 10 江口 渙の借家を預かっていた古田大次郎を大杉 榮・村木源次郎らが訪問 WEBsite
1922 大正11 10 江口 渙の借家を預かっていた中浜鉄、千住に転居 WEBsite
1922 大正11 11 6 〜12.2、詩人=北村初雄(1897-1922)、東屋で静養 鵠沼82号
1922 大正11 11 6 大杉 栄、一週間ばかり鵠沼滞在[伊藤野枝宛書簡] WEBsite
1922 大正11 11 7 詩人=千家元麿(1888-1948)、鵠沼の岸田劉生を訪問 個性きらめく
1922 大正11 12 2 北村初雄、東屋にて病没 鵠沼82号
1922 大正11 12 8 詩人=千家元麿、長與善郎と子の宏を連れて岸田劉生宅と椿貞雄宅を訪問。園池公致夫妻とも会う 近代文学年表
1922 大正11     〜1923.9、歌人=茅野雅子、長女の病気療養のため子ども2人と鵠沼に借家して暮らす(1923.8長女没) 個性きらめく
1922 大正11     画家=椿 貞雄、「鵠沼風景」(油彩・カンヴァス 53.0×45.5cm 星野画廊蔵)を制作 WEBsite
1922 大正11     画家=横堀角次郎、「鵠沼風景」(油彩・カンヴァス 32.0×42.0cm 東京都現代美術館蔵)を制作 WEBsite
1922 大正11     今井達夫、処女詩集『心の風景』を大雲堂書店より刊行 鵠沼別冊
1923 大正12 1 画家=椿 貞雄、鵠沼海岸八軒別荘から林別荘に移住。震災まで岸田劉生と親交を結ぶ 別冊文化人
1923 大正12 1   宇野浩二、鵠沼で作品『思い川』のモデル村上八重を知る[文学散歩] 鵠沼15号
1923 大正12 1   江口 渙の借家は家賃棒引き、引っ越し費用警察持ちで明け渡すことを承諾 WEBsite
1923 大正12   美術史家=沢木四方吉(ヨモキチ 1886-1930)、結核療養のため鵠沼に居住[鵠沼物語] 近代文学年表
1923 大正12   海軍大佐・民族学者=松岡静雄(1878-1936)、鵠沼の山口紋蔵の別棟に滞在 鵠沼2号
1923 大正12 8 12 医師=富士 山、岸田麗子を往診[鵠沼日記] 鵠沼93号
1923 大正12 8 31 後の歴史学者=江口朴郎(1911-1989)、鵠沼川袋2486(橘2-5-12)に居住 別冊文化人
1923 大正12 8   文芸誌=『白樺』、震災のため8月号で廃刊 鵠沼5号
1923 大正12 9 1 倒壊の記録のある文化人=岸田劉生・国木田虎雄(独歩の長男) WEBsite
1923 大正12 9 1 美術史家=沢木四方吉、被災して鵠沼を去る 続個性きらめく
1923 大正12 9 1 思想評論家=林 達夫、自宅全壊→三輪博士(千葉医事校長)宅に身を寄せ、鵠沼川袋の高瀬邸へ避難 WEBsite
1923 大正12 9 16 岸田劉生、鵠沼を去り名古屋へ出発[絵日記] 鵠沼15・26・76号
1923 大正12 9   今井達夫・画家=横堀角次郎(1897-1978)、被災して鵠沼を去る 鵠沼41号
1923 大正12     内藤千代子(24歳)、双生児の姉妹を出産 鵠沼78・96号
1924 大正13 7 和辻哲郎・照夫妻、子どもたちを連れて川袋高瀬家に2泊する[全集書簡] 近代文学年表
1924 大正13 12   松岡静雄、『爪畦史』を岩波書店から刊行 鵠沼23号
1924 大正13     松岡静雄、脳溢血で倒れる(47才) 鵠沼23号
1924 大正13     若尾 肇、鵠沼に生まれる 鵠沼75号
1924 大正13     歌人・一高校長=杉敏助(1872-1960)、鵠沼川袋に数年間居住。隣家のP彌一と交流 別冊文化人
1924 大正13     久米正雄、東屋に滞在。作品を執筆 続個性きらめく
1924 大正13     雑誌記者=馬 海松(マ・ヘソン)、久米正雄の原稿受け取りに東屋を訪れ、文藝春秋1925.1に『鵠沼行』を発表 続個性きらめく
1924 大正13     原精一、「鵠沼へ行く道」(紙・水彩 22.5×30.0 三重県立美術館蔵)を制作 三重県立美術館
1924 大正13     萬鐵五郎、「鵠沼風景」(油彩・画布 43.7×59.3)を制作 WEBsite
1925 大正14 2 文芸評論家=高木藤太郎、與謝野夫妻らと三浦に遊んだ帰途、一人で鵠沼に立ち寄る[明星] 近代文学年表
1925 大正14 2 26 中国の書画家=呉 昌碩の長男、鵠沼松が岡1丁目の菊本別荘に滞在、『三宜荘』と命名。扁額に揮毫 鵠沼87号
1925 大正14 3 23 作家=内藤千代子(1893.12. 9-1925)、肺及び咽頭結核で没。享年31。鵠沼神明の万福寺に埋葬 鵠沼39・78・96号
1925 大正14 3   松岡静雄、『通俗文法講話』を国語書院から刊行 鵠沼23号
1925 大正14 3   洋画家=塚本茂、東京美術学校を卒業。鵠沼に住み、湘南中学に就職 30日美術展
1925 大正14 5 9 林 巳奈夫(1925年5月9日-2006年1月1日)、林 達夫の長男として誕生 WEBsite
1925 大正14 6   フランス文学者=小牧近江(1894-4978)、鵠沼在住中、長男が生まれ左馬介と名付ける[ある現代史] 近代文学年表
1925 大正14 9 26 歌人=山口茂吉、鵠沼の各務別荘に滞在。短歌『鵠沼海岸』四首を詠む 近代文学年表
1925 大正14 9   松岡静雄、『中間階級の研究』を聚英閣から刊行 鵠沼23号
1925 大正14 10   松岡静雄、『太平洋民族誌』を岡書院から刊行 鵠沼23号
1925 大正14 12 1 雑誌『中央公論』12月号に宮本百合子:『狭い一側面』掲載。鵠沼の東屋に原稿取りに行く話題 WEBsite
1925 大正14     教育者(一高校長)・国文学者=杉 敏介(1872-1960)、鵠沼橘(高瀬通り)に居住 WEBsite
1925 大正14     思想評論家=林 達夫、鵠沼川袋の高瀬邸の離れに滞在[個性きらめく] 個性きらめく
1925 大正14     旧近藤邸、辻堂に朝日石綿工業社長・近藤賢二(1874-1948)の別荘として建てられる。1981年鵠沼東8-1に移築 WEBsite
1926 大正15 1   評論家=山川均(1880-1958)・菊栄(1890-1980)夫妻、鵠沼海岸から鎌倉乱橋材木座257番地に転居 近代文学年表
1926 大正15 1   芥川龍之介の妻文子の弟=塚本八洲、療養のため鵠沼に移住。この転地が、芥川の鵠沼滞在の契機となった WEBsite
1926 大正15 2 22 〜5/25、芥川龍之介が妻と三男也寸志をともなって初めて東屋に滞在。『追憶』を発表し始める 鵠沼5・11・64・82号
1926 大正15 4   小説家=田中英光、湘南中学に入学。江ノ電で通学する。この年『赤い鳥』3月号に詩『波』掲載[全集年譜] 近代文学年表
1926 大正15 4 13 芥川龍之介、東屋に滞在。小品『凶』を執筆(遺稿) WEBsite
1926 大正15 4 22 芥川龍之介、鵠沼に文・也寸志と静養に行き東屋に滞在する。以後翌年1月ごろまで鵠沼を生活の本拠とする 近代文学年表
1926 大正15 4 25 小説家=蒲原春夫(1900-1960)、東屋に芥川龍之介を訪ねる 続個性きらめく
1926 大正15 4   〜年末、芥川龍之介の妻=文の母、弟の八洲(ヤシマ)が鵠沼海岸3-11-5あたりに住む 鵠沼83号
1926 大正15   「改造」の編集記者=古木鉄太郎、東屋に滞在中の芥川龍之介から原稿を受け取る[芥川龍之介] 近代文学年表
1926 大正15 5 2 歌人=山口茂吉、斎藤茂吉の『金槐集私鈔』を鶴岡八幡宮に献本し、ついで鵠沼に行く[鎌倉鵠沼] 近代文学年表
1926 大正15 5 5 芥川 文、也寸志、也寸志の初節句で一旦田端に戻る WEBsite
1926 大正15 5 25 〜6/8、芥川龍之介、一旦帰京[全集書簡] 近代文学年表
1926 大正15 6 8 〜6/22、芥川龍之介、東屋に滞在 鵠沼82号
1926 大正15 6 文芸評論家=神崎 清(1904-1979)、東屋に芥川龍之介を訪ねる 続個性きらめく
1926 大正15 6 22 〜7/6、芥川龍之介、下痢が続くので不安になり、一旦帰京 WEBsite
1926 大正15 7 6 芥川龍之介、東屋に滞在。小品『鵠沼雑記』を執筆。茂吉の勧めで、貸し別荘「イ−4号」を借りる 鵠沼82号
1926 大正15 7 13 洋画家=小穴隆一(号は一遊亭。1894-1966)、東屋に芥川龍之介を訪ねる 続個性きらめく
1926 大正15 7 20 芥川龍之介、妻と三男也寸志をともなって「イ-4号」に転居。比呂志、多加志が来る『点鬼簿』を執筆 鵠沼5・15・78・82号
1926 大正15 7 20 芥川龍之介、小品『家を借りてから』『鵠沼雑記』を脱稿 鵠沼11号
1926 大正15 7 27 医師=富士 山、芥川龍之介を初診。神経衰弱と診断。7/28・8/7・8/11・8/16にも処方[富士山] 鵠沼11・23・55号
1926 大正15 7 出版人=山本実彦(1885-1952)、芥川龍之介を訪ねる 続個性きらめく
1926 大正15 7 洋画家=小穴隆一、東屋「イ−2号」に居住(『蜃気楼』O君のモデル) 続個性きらめく
1926 大正15 8 7 芥川龍之介、富士医院に来院[富士山] 鵠沼11・93号
1926 大正15 8 10 小説家=堀 辰雄(1904-1953)、芥川龍之介を訪ねる 続個性きらめく
1926 大正15 8 18 芥川龍之介、富士医院に再び来院[富士山] 鵠沼11号
1926 大正15 8 24 宇野浩二、知友の下島勲に宛てた手紙に鵠沼での芥川龍之介の生活を紹介 鵠沼78号
1926 大正15 8 芥川龍之介、田端に帰宅 WEBsite
1926 大正15 9 3 芥川龍之介、鵠沼に戻る WEBsite
1926 大正15 9 9 芥川龍之介、小品『點鬼簿』を脱稿 點鬼簿
1926 大正15 9 16 俳人=小澤碧童(1881-1941)、小穴隆一と芥川龍之介を見舞い、俳句2句を詠む。30日頃まで滞在 近代文学年表
1926 大正15 9 19 小説家=堀 辰雄(1904-1953)、芥川龍之介を見舞い一泊する 鵠沼82号
1926 大正15 9 20 芥川龍之介、柴さんの二階家(鵠沼海岸2-7-18)に移る[富士山] 鵠沼15・78号
1926 大正15 9 25 歌人=斎藤茂吉(1882-1953)と歌人=土屋文明(1890-1990)、スルガランを土産に芥川龍之介を訪問[富士山] 鵠沼15・22号
1926 大正15 9 28 法哲学者(龍之介の親友)=恒藤恭(1888-1967)、26日米国より帰国し、鵠沼を訪れ芥川龍之介と面会 旧友芥川龍之介
1926 大正15 10 1 芥川龍之介、小品『點鬼簿』を『改造』に発表 改造
1926 大正15 10 17 〜10/19、芥川龍之介、田端に戻る WEBsite
1926 大正15 10 26 芥川龍之介、小品『悠々荘』を脱稿 東京日日新聞
1926 大正15 10 俳人=小澤碧童(1881-1941)、芥川龍之介を訪ねる 続個性きらめく
1926 大正15 10   小説家=川端康成(1899-1972)、芥川龍之介の紹介状を持って富士 山医師を訪問[富士山] 鵠沼11・15・93号
1926 大正15 10   小説家=菊池 寛(1888-1948)、鵠沼に滞在。芥川龍之介と面会する[芥川の事ども] 文藝春秋
1926 大正15 10   松岡静雄、『チャモロ語の研究』を郷土研究社から刊行 鵠沼23号
1926 大正15 10   評論家=室伏高信(1892-1970)、鵠沼2217に転居する 近代文学年表
1926 大正15 11 27 小説家=宇野浩二(1891-1961)、芥川龍之介を見舞う。小説『悠々荘』『彼』『玄鶴山房』など執筆 鵠沼82号
1926 大正15 11 小沢碧童、芥川龍之介を訪ねる 続個性きらめく
1926 大正15 12   松岡静雄、『日本古族誌」を刀江書院から刊行 鵠沼23号
1926 大正15     松岡静雄、『日本言語学』を刀江書院から刊行 鵠沼23号
1926 大正15     東京帝国大学名誉教授=村川堅固、鵠沼松が岡5-8一帯の砂丘1800坪を榛葉家より3回に分けて購入 鵠沼76号
1926 大正15   小穴隆一、隣りに住む芥川龍之介夫妻と横浜オデヲン座でヴァレンチノの「熱砂の舞」を観る 近代文学年表
1926 昭和 1 12 28 芥川龍之介の夫人文は子供三人をつれて田端の家に帰る 鵠沼20号
1926 昭和 1 12 29 芥川龍之介の甥葛巻義敏(1918-1985)、龍之介の二階家に来て一緒に泊まる 鵠沼20号
1926 昭和 1 12 30 〜1927/4/2、芥川龍之介、再び「イ−4号」に戻る 鵠沼82号
1926 昭和 1 12 31 午前、芥川龍之介は鎌倉の小町園へ行き二泊する 鵠沼20号
1926 昭和 1 12   〜1927/1、婦人運動家(羽仁五郎の妻,羽仁もと子の子)=羽仁説子(1903-1987)、東屋で転地療養 近代文学年表
1927 昭和 2 1 1 芥川龍之介、『サンデー毎日』に『悠々荘』を発表。モデルは鵠沼松が岡の「楽々荘」 鵠沼69号
1927 昭和 2 1 2 午前龍之介鎌倉より帰宅。その日のうちに田端の家に帰る。義敏は整理のため二・三日遅れて田端へ帰る 鵠沼15・20・78号
1927 昭和 2 1 3 鵠沼に滞在中の羽仁説子、二宮に知人を訪ねる[半生を語る] 近代文学年表
1927 昭和 2 1 17 哲学者・評論家=三木 清(1897-1945)、林 達夫と東京で会い、鵠沼の林宅に行き1泊する 近代文学年表
1927 昭和 2 1 18 〜20、和辻哲郎、高瀬家に泊まる[林 達夫書簡] 近代文学年表
1927 昭和 2 2 7 思想家=河合栄治郎(1891-1944)、箱根に向かう途中で鵠沼に立ち寄る[全集日記] 近代文学年表
1927 昭和 2 2 28 画家=小穴隆一、東屋「イ−2号」を去り、東京田端へ転居 近代文学年表
1927 昭和 2 3   芥川龍之介、『婦人公論』に小品『蜃気楼』を発表。 鵠沼69号
1927 昭和 2 3   芥川龍之介、姪の葛巻左登子宛に落木の図[葛巻文庫]を贈る 鵠沼75号
1927 昭和 2 3 28 〜4/2、芥川龍之介、文子と東屋に滞在。文子・也寸志は5/4まで滞在 鵠沼78・82号
1927 昭和 2   経済学者=野呂栄太郎、東仲通島田いし宅に居住 鵠沼18号
1927 昭和 2 5   小説家=神西 清(1903-1957)、『鎌倉の女』を発表。鵠沼風景を描く[同人誌「虹」第2号] 藤沢文学年表
1927 昭和 2 6 15 芥川龍之介、鎌倉の佐佐木茂策宅で菅忠雄・川端康成と会い、その帰途鵠沼(東屋?)に1泊(→7/24自殺) 近代文学年表
1927 昭和 2 7   松岡静雄、『ミクロネシア民族誌』(岡書院)を刊行 鵠沼23・75号
1927 昭和 2 9 1 菊池 寛、『文藝春秋』9月号に『芥川の事ども』を掲載。鵠沼時代の芥川との関係を記す WEBsite
1927 昭和 2 11   芥川龍之介、『文藝春秋』に小説『歯車』を発表。舞台は鵠沼の二階家。葛巻左登子らしい人物登場 鵠沼69号
1927 昭和 2 12 26 〜1928/1.7、和辻哲郎、一家で鵠沼で越年(高瀬邸?)[全集書簡] 近代文学年表
1927 昭和 2 12   小説家=田中 純(1890-1966)、大橋幾久子と結婚して鵠沼に住む。広津和郎がこの家に2〜3回尋ねてきた 近代文学年表
1927 昭和 2     画家=長谷川路可、フランス留学より帰国し、鵠沼海岸2-9にアトリエを構える[画文集] 鵠沼95号
1927 昭和 2     松岡静雄、『播磨風土記物語』を刀江書院から刊行 鵠沼23号
1928 昭和 3 1 7 和辻哲郎、鵠沼から馬込に戻る WEBsite
1928 昭和 3 1 15 画家=長谷川路可、菊池登茂と結婚[画文集] 鵠沼95号
1928 昭和 3 4 3 医師・民権運動家=平野友輔(1857-1828)、没 藤沢市史年表
1928 昭和 3 4   松岡静雄、『播常陸風土記物語』を刀江書院から刊行 鵠沼23号
1928 昭和 3 5   松岡静雄、『民族学より見たる東歌と防人歌』を大岡山書店から刊行 鵠沼23号
1928 昭和 3 7   詩人・評論家・小説家=橋爪健、藤沢に行き、保養をかねて鵠沼海岸に住む[文芸時報] 近代文学年表
1928 昭和 3   小説家=子母沢 寛(1892-1968)、鵠沼西海岸(後に堀川)に別荘を借り、毎夏避暑[文学碑建立記念誌] 個性きらめく
1928 昭和 3 9   松岡静雄、『中央カロリン語の研究』を郷土研究社から刊行 鵠沼23号
1928 昭和 3 11 3 長谷川路可に長女=百世、誕生 鵠沼95号
1928 昭和 3 12   松岡静雄、『日本国体本義』を日本国体本義編纂審議会から刊行 鵠沼23号
1928 昭和 3     歌人=安藤 寛(1882-1993)、鵠沼に転居 鵠沼55号
1928 昭和 3     演出家=土方与志(1898-1959 長谷川路可の友人)、東屋に滞在して結核療養 近代文学年表
1929 昭和 4 3   松岡静雄、『日本古語大辞典』第1巻(語誌)を刀江書院から刊行 鵠沼23号
1929 昭和 4 4   長谷川路可、大和学園高等女学校(現・聖セシリア女子高校)で美術を担当する 鵠沼95号
1929 昭和 4 6   松岡静雄、『マーシャル語の研究』を郷土研究社から刊行 鵠沼23号
1929 昭和 4   西洋古代史家(東大名誉教授)=村川堅固(1875-1946)、鵠沼中岡6282(鵠沼松が岡5-8-30)に別荘建設 鵠沼76号
1929 昭和 4 11   画家=硲 伊之助、フランスから帰国、再び鵠沼上鰯5217(鵠沼海岸2-16)に居住 鵠沼83・84号
1929 昭和 4 12 20 画家=岸田劉生(1891. 6.23-1929.12.20)、腎臓尿毒症に胃潰瘍を併発して急逝 鵠沼26・72号
1929 昭和 4 12   松岡静雄、『日本古語大辞典』第2巻(訓話)を刀江書院から刊行 鵠沼23号
1929 昭和 4     長谷川路可、藤沢町旧郡役所で個展を開く[画文集] 鵠沼95号
1929 昭和 4     中村武羅夫、鵠沼から辻堂に移住 個性きらめく
1929 昭和 4     ハーモニカ奏者=川口章吾、妻の病気療養のため鵠沼(現鵠沼松が岡3-18-6)に転居 別冊文化人
1930 昭和 5 3   松岡静雄、「パラウ語の研究」を郷土研究社から発行 鵠沼23号
1930 昭和 5 4 18 歌人=與謝野寛・晶子夫妻、「冬柏」同人らと鵠沼碧瀾荘に滞在[冬柏5月号] 鵠沼88号
1930 昭和 5 4   松岡静雄、「中等学校に於ける国語研究並に教授法」を発行 鵠沼23号
1930 昭和 5 5   岸田 蓁、雑誌「いとし児」の5月号に「吾子のモデルの想出」発表 鵠沼72号
1930 昭和 5 7 21 歴史家=羽仁五郎(1901- 1983)、島田いし宅に野呂栄太郎を見舞う WEBsite
1930 昭和 5 7   松岡静雄、「歌学」を新興学会出版部から発行 鵠沼23号
1930 昭和 5 9   松岡静雄、「紀記論究神代篇1創世記」を新興学会出版部から発行 鵠沼23号
1930 昭和 5 10   松岡静雄、「ボナペ語の研究」を郷土研究社から発行 鵠沼23号
1930 昭和 5 12 17 元NHK音楽ミキサー=浅見啓明、鵠沼にて生誕 WEBsite
1930 昭和 5 12 19 小説家=宮本百合子(1899-1951)、湯浅芳子と藤沢の鵠沼に行き、東屋に泊まる[全集日記] 近代文学年表
1930 昭和 5 12 23 宮本百合子、湯浅芳子と東屋滞在中、二人で茅ケ崎の病院に行く[全集日記] 近代文学年表
1930 昭和 5 12 29 宮本百合子、鵠沼の「まんじゅう屋の借家」に移り、越年する。[全集日記] 近代文学年表
1930 昭和 5     教育者・国文学者=杉 敏介(1872-1960)、鵠沼(高瀬通り)を去る 別冊文化人
1930 昭和 5     声楽家=塚本智子、兄=茂(洋画家)の住む鵠沼新田(鵠沼橘2-13-1)に居住 別冊文化人
1930 昭和 5     東洋思想史学者(東京帝国大学教授)=宇野哲人(1875-1974)、鵠沼中岡6281に居住 鵠沼76号
1930 昭和 5     長谷川路可、《羅馬(ローマ)開催日本美術展覧會》に大観、映丘、百穂などと参加、勲章を受賞 鵠沼95号
1930 昭和 5     藤沢友の会(「婦人之友」愛読者の会)、結成 WEBsite
1931 昭和 6 1 30 小説家=宮本百合子(1899-1951)、鵠沼で日光浴[全集日記] 近代文学年表
1931 昭和 6 2   宮本百合子、鵠沼に湯浅芳子と行き、一泊[全集日記] 近代文学年表
1931 昭和 6 4   画家=荒木襄太郎(1917-2001)、湘南中学3年に編入。現鵠沼桜が岡2丁目に住む 荒木襄太郎展
1931 昭和 6 4   松岡静雄、「紀記論究神代篇2諾冊二尊」を同文館から発行 鵠沼23号
1931 昭和 6 5 6 中 勘助、鵠沼の知人宅を訪れる[しづかな流] 個性きらめく
1931 昭和 6 5   松岡静雄、「紀記論究神代篇3高天原」を同文館から発行 鵠沼23号
1931 昭和 6 6   松岡静雄、「紀記論究神代篇4出雲伝説」を同文館から発行 鵠沼23号
1931 昭和 6 6   プロレタリア詩人=淺野晃(1901-1990)、一時期鵠沼に潜伏 WEBsite
1931 昭和 6 7   芥川龍之介著『文学的なあまりに文学的な』岩波書店より刊行。『鵠沼雑記』を収録 鵠沼69号
1931 昭和 6 7   松岡静雄、「紀記論究神代篇5国譲」を同文館から発行 鵠沼23号
1931 昭和 6 8   松岡静雄、「紀記論究神代篇6高千穂時代」を同文館から発行 鵠沼23号
1931 昭和 6 8   松岡静雄、「ヤップ語の研究」を郷土研究社から発行 鵠沼23号
1931 昭和 6 9   松岡静雄、「紀記論究建国篇1神武天皇」を同文館から発行 鵠沼23号
1931 昭和 6 10 23 中 勘助、鵠沼の安倍能成宅を訪れ、能成の長男=亮と鎌倉に行く[しづかな流] 近代文学年表
1931 昭和 6 11   松岡静雄、「紀記論究建国篇2大和欠史時代」を同文館から発行 鵠沼23号
1931 昭和 6 12   改造社、改造文庫 第2部 第174篇(志賀直哉全集 ; 第6巻)として志賀直哉『好人物の夫婦』を刊行 同書
1931 昭和 6 12   松岡静雄、「紀記論究建国篇3師木宮」を同文館から発行 鵠沼23号
1931 昭和 6     この頃、歌人=吉野秀雄(1902-1967)が松岡静雄の書斎神楽舎(ささらのや)を足しげく訪問 鵠沼2号
1932 昭和 7 1 小説家・劇作家=長與善郎(1888-1961)、鎌倉の帰りに鵠沼の別の友人を訪ねる[七里ヶ浜を通つて] 近代文学年表
1932 昭和 7 2   松岡静雄、「紀記論究建国篇4日代官」を同文館から発行 鵠沼23号
1932 昭和 7 4   松岡静雄、「紀記論究建国篇5国内統一」を同文館から発行 鵠沼23号
1932 昭和 7 6   松岡静雄、「紀記論究建国篇6外藩帰伏」を同文館から発行 鵠沼23号
1932 昭和 7 7   松岡静雄、「伊予上代史考 伊曽乃神社」を郷土研究社から発行 鵠沼23号
1932 昭和 7 8 1 長谷川路可に次女=百合子、誕生 鵠沼95号
1932 昭和 7 9   松岡静雄、「紀記論究外篇古代歌謡」(上)を同文館から発行 鵠沼23号
1932 昭和 7 10   〜1833/12、歌人=日夏耿之介(1890-1971)、療養のため鵠沼下岡円城の別荘に居住[鵠沼之記] 個性きらめく
1932 昭和 7 10   経済学者=野呂栄太郎、東仲通島田いし宅を去る[山口富男]※翌年説も 別冊文化人
1932 昭和 7 11   松岡静雄、「紀記論究外篇古代歌謡」(下)を同文館から発行 鵠沼23号
1932 昭和 7     植物学者=服部静夫(東京帝国大学助教授)、病気療養のため鵠沼下鰯(鵠沼海岸3-9)に居住 鵠沼88号
1933 昭和 8 1 11 岡田時彦の長女鞠子生まれる(後に谷崎純一郎が岡田茉莉子の芸名を与える) 谷崎潤一郎年譜
1933 昭和 8 2 1 加藤徳右衛門、『現在の藤澤』を刊行 鵠沼15・27・73・75号
1933 昭和 8   経済学者=野呂栄太郎、東仲通島田いし宅を去る 鵠沼18号
1933 昭和 8 9   松岡静雄、「国語と民族思想」第1輯発行 鵠沼23号
1933 昭和 8 10 12 野球選手→解説者=佐々木信也、鵠沼で誕生 WEBsite
1933 昭和 8 10   詩人=日夏耿之助(1890-1971)、病気静養のため鵠沼海岸に転地[文学散歩]※前年説あり 鵠沼15号
1933 昭和 8 11 26 〜1936年、評論家=上田 進(1907-1947)、妻=千代子(秋田雨雀の娘)の療養のため鵠沼に転居[雨雀日記] 近代文学年表
1933 昭和 8 11 28 経済学者=野呂栄太郎、特高に逮捕される WEBsite
1933 昭和 8 12 31 歌人=日夏耿之介(1890-1971)、鵠沼を去る 鵠沼15号
1933 昭和 8   映画俳優=岡田時彦(鵠沼松が岡2-7-3)、入院 別冊文化人
1933 昭和 8     評論家=室伏高信、現鵠沼石上に居住 WEBsite
1933 昭和 8     日本芸能百撰会・創韻会会長=杵屋五十郎、東京から鵠沼橘通りの借家に転居 鵠沼61号
1933 昭和 8     画家=硲伊之助、再渡仏、版画家、長谷川潔とともに「日本の近代版画とその起源展」開催に尽力 鵠沼83号
1934 昭和 9 1 19 映画俳優=岡田時彦(鵠沼松が岡2-7-3)、入院先の病院で没 別冊文化人
1934 昭和 9 1 21 関東陸上競技協会主催のクロスカントリー大会、鵠沼海岸で挙行[横浜貿易新報] 20世紀藤沢
1934 昭和 9 2 19 経済学者=野呂栄太郎、拷問の末、品川病院で没 鵠沼18号
1934 昭和 9 2   松岡静雄、「万葉集論究」第1輯を竜華社から発行 鵠沼23号
1934 昭和 9 2   松岡静雄、「国語と民族思想」第2輯発行 鵠沼23号
1934 昭和 9 2   仏教史学者=圭室諦成、鵠沼海岸に居住[藤沢文人録] 藤沢文人録
1934 昭和 9 3 30 詩人=秋田雨雀(1883-1962)、松岡静雄の別荘で結核療養中の娘=千代子を見舞い、一泊 近代文学年表
1934 昭和 9   出版人、随筆家=小林 勇(1903-1981)・岩波茂雄、鵠沼で小林の岩波書店への復職について話し合う 近代文学年表
1934 昭和 9 5   松岡静雄、「国語と民族思想」第3輯(国語教育是正号)発行 鵠沼23号
1934 昭和 9 6   松岡静雄、「万葉集論究」第2輯を竜華社から発行 鵠沼23号
1934 昭和 9 8   劇作家・演出家=村山知義(1901-1977)、鵠沼に滞在[伝記おぼえ書] 近代文学年表
1934 昭和 9 9   松岡静雄、「国語と民族思想」第4輯(上代思想研究号)発行 鵠沼23号
1934 昭和 9 12   詩人=日夏耿之助、鵠沼海岸を去る[文学散歩] 鵠沼15号
1934 昭和 9     日本芸能百撰会・創韻会会長=杵屋五十郎、鵠沼橘通に家を建て、借家より転居 鵠沼61号
1934 昭和 9     劇作家=田中千禾夫・澄江夫妻、新婚から昭和10年代を鵠沼2439(鵠沼桜が岡4-15-20)に借家して暮らす 別冊文化人
1934 昭和 9     随筆家=奥田 操、鵠沼木下別荘に出養生に赴く[鵠沼海岸] 鵠沼77号
1935 昭和10 1   松岡静雄、「国語と民族思想」第5輯(文法研究号)発行 鵠沼23号
1935 昭和10 1   松岡静雄、「簡易文典」を発行、実費1部24銭 鵠沼23号
1935 昭和10 2 14 〜18、在鵠沼の小説家=今井達夫が報知新聞に『鵠沼にいた文人』と題して5回連載[藤沢の文学] 鵠沼15・73・77号
1935 昭和10 3   松岡静雄、「ミクロネシア語の綜合研究」を岩波書店から発行 鵠沼23号
1935 昭和10 4 16 長谷川路可に三女=清子、誕生 鵠沼95号
1935 昭和10   後の小説家=阿部 昭(1934-1989)、父の転勤に伴い広島市から藤沢(場所不明)に転居 鵠沼55・63・97号
1935 昭和10 6   松岡静雄、「有田縁歌と防人歌」を瑞穂書院から発行 鵠沼23号
1935 昭和10 7 17 中国の青年作曲家=聶耳(ニェ・アール。1912-1935)(中華人民共和国国歌を作曲)、鵠沼海岸で遊泳中に水死 鵠沼2号
1935 昭和10 10   松岡静雄、「神楽舎講堂湘南国語研究会誌」第1輯発行 鵠沼23号
1935 昭和10 10   文藝春秋10月号に富士 山の『芥川龍之介の憶ひ出』掲載。鵠沼時代の芥川龍之介を描く 鵠沼23・69・75・83号
1935 昭和10 11 21 松岡静雄家で湘南国語研究会の例会開催 鵠沼23号
1935 昭和10 11   松岡静雄、「神楽舎講堂湘南国語研究会誌」第2輯発行(会費30銭であった) 鵠沼23号
1935 昭和10 11   〜12.10、武者小路実篤、東屋に滞在して執筆 近代文学年表
1935 昭和10 12   松岡静雄、「神楽舎講堂湘南国語研究会誌」第3輯発行 鵠沼23号
1935 昭和10 12   後の小説家=阿部 昭、鵠沼海岸下鰯に定住 鵠沼55・63・97号
1935 昭和10     植物学者=服部静夫、鵠沼下鰯(鵠沼海岸3-9)より下岡(松が岡3-5)に転居 鵠沼88号
1935 昭和10     民俗学者=圭室諦成、鵠沼海岸を去る[藤沢文人録] 藤沢文人録
1935 昭和10     画家=裕 伊之助、帰国して「鵠沼の思い出」「砂丘」「小憩」などを制作 鵠沼83号
1935 昭和10     ハーモニカ奏者=川口章吾、てつ(書家=川口芝香)と再婚 別冊文化人
1936 昭和11 1   松岡静雄、「神楽舎講堂湘南国語研究会誌」第4輯発行 鵠沼23号
1936 昭和11 2 22 詩人=秋田雨雀、鵠沼で結核療養中の娘=千代子の容態が思わしくないので孫を引き取りに行く 近代文学年表
1936 昭和11 2   山口茂吉、鎌倉から鵠沼の各務別荘に社用で訪れる。短歌『鵠沼』8首を詠む 近代文学年表
1936 昭和11 3 川端康成、東屋に滞在。少女小説『花のワルツ』を執筆[改造] 鵠沼82号
1936 昭和11 3   松岡静雄、「神楽舎講堂湘南国語研究会誌」第5輯発行 鵠沼23号
1936 昭和11 4 15 秋田雨雀、鵠沼で結核療養中の娘=千代子を見舞い、松岡家で馳走になり、夜帰京 近代文学年表
1936 昭和11 4   松岡静雄、「神楽舎講堂湘南国語研究会誌」第6輯発行(活字印刷となる) 鵠沼23号
1936 昭和11 4   言語学者=田中隆尚(1918-2002)、山口県長府町より鵠沼2442(鵠沼桜が岡4-15)へ転居 鵠沼87号
1936 昭和11 5 6 秋田雨雀、鵠沼で結核療養中の娘=千代子を再び見舞う 近代文学年表
1936 昭和11 5 9 松岡静雄、病革る 鵠沼23号
1936 昭和11 5 18 評論家=春山行夫(1902-)、長谷川巳之吉を見舞う[人物書誌大系] 近代文学年表
1936 昭和11 5 20 松岡静雄、病室で写真を撮る 鵠沼23号
1936 昭和11 5 23 民族学者=松岡静雄、午後0時55分 妻子門弟にかこまれて没 享年59 鵠沼23号
1936 昭和11 5   松岡静雄、「神楽舎講堂湘南国語研究会誌」第7輯発行 鵠沼23号
1936 昭和11 6   松岡静雄、「国体明徴上の一考察」を時事新報社から発行 鵠沼23号
1936 昭和11 6   松岡静雄、「神楽吉講堂湘南国語研究会誌」第8輯発行(黒わくのお知らせあり) 鵠沼23号
1936 昭和11 7 11 湘南国語研究の松岡静雄追悼会。記念撮影する 鵠沼23号
1936 昭和11 7 16 秋田雨雀、娘=千代子が鵠沼から療養先を横浜久保山に移したので横浜に回る 近代文学年表
1936 昭和11 7   松岡静雄、「神楽舎講堂湘南国語研究会誌」第9輯発行 鵠沼23号
1936 昭和11 9 22 哲学者=西田幾太郎、鎌倉の自宅から徒歩で鵠沼まで散歩 藤沢文学年表
1936 昭和11 10 17 山口茂吉、鵠沼に遊び、短歌『冬の海』11首を詠む 近代文学年表
1936 昭和11 11 21 大森寿江子(宮本百合子の妹)、鵠沼へ転居 WEBsite
1936 昭和11     小説家=今井達夫、小説『青い鳥を探す方法』で三田文学賞を受賞 藤沢文学年表
1936 昭和11     出版人=長谷川巳之吉、鵠沼で静養 別冊文化人
1936 昭和11     書家=金田松月(?-1960)、息子=金田元彦と共に本鵠沼に転居 私の鵠沼日記
1937 昭和12   教育史学者=加藤仁平、鵠沼西海岸5572に居住 WEBsite
1937 昭和12 5 30 松岡静雄先生之庵址碑、鵠沼海岸7-18-18に造立 現地調査
1937 昭和12 6 17 随筆家=奥田 操、随筆集『鵠沼海岸』(有斐閣)刊行 鵠沼73・77号
1937 昭和12 7 仏文学者・詩人=吉江喬松(タカマツ、1880-1940)、鵠沼で療養中の娘のもとに行き、12日まで滞在[全集書簡] 近代文学年表
1937 昭和12 8 5 仏文学者・詩人=吉江喬松、鵠沼の娘のもとで4、5日滞在[全集書簡] 近代文学年表
1937 昭和12 11 23 俳人=萩原秋桜子、鵠沼に住む妻の父が亡くなり、葬儀に出、『鵠沼の家』5句、『葬り火』5句を詠む 近代文学年表
1937 昭和12 12   松岡静雄、「増補日本古語大辞典」を刀江書院から発行 鵠沼23号
1937 昭和12   思想評論家=林 達夫、鵠沼上岡6098(鵠沼桜が岡)に古英国風田舎家を新築 鵠沼63・83号
1937 昭和12     画家=長谷川路可、鵠沼より東京目白へ転出 鵠沼95号
1937 昭和12     松岡静雄、「新篇日本古語辞典」を刀江書院から発行 鵠沼23号
1937 昭和12     〜1952、西洋古代史家(東大教授)=村川堅太郎・操夫妻、鵠沼中岡6282(鵠沼松が岡5-8-30)に居住 鵠沼76号
1938 昭和13 1   〜6月、武者小路実篤、東屋に滞在して執筆[全集書簡] 近代文学年表
1938 昭和13 1   山口茂吉、鵠沼などに遊ぶ 藤沢文学展図録
1938 昭和13 2   松岡静雄、「神楽台黙語」を書物展望社から発行 鵠沼23号
1938 昭和13 2   松岡静雄、「日本固有民族信仰」を刀江書院から発行 鵠沼23号
1938 昭和13 3   植物学者=服部静夫、鵠沼下岡(鵠沼松が岡3-5)より東京に転居→大学に復職 鵠沼88号
1938 昭和13 5   劇作家=真船 豊(1902-1977)、妻の病気療養のため大森から鵠沼藤が谷片瀬河畔に転居 個性きらめく
1938 昭和13 7   真船 豊、片瀬川洪水の様子を『片瀬川』と題し東京朝日新聞に寄稿 個性きらめく
1938 昭和13 8   山本周五郎、鵠沼を舞台にした推理小説「海浜荘の殺人」を『少年少女譚海』8月号に発表 WEBsite
1938 昭和13 9 12 評論家=小林秀雄、鵠沼の真船 豊を訪問[孤独の徒歩]その後も何度か訪問する 近代文学年表
1938 昭和13 10   思想評論家=林 達夫、婦人公論10月号に『私の家』掲載。鵠沼上岡の自宅を紹介 鵠沼83号
1938 昭和13 10   俳人=松本たかし、句集『鷹』を刊行。「鵠沼二句」を収める 藤沢文学年表
1938 昭和13 12   ロシア文学者=湯浅芳子(1896-1990)、松島苑にこの頃滞在[田村俊子書簡] 近代文学年表
1939 昭和14 3 16 〜23、武者小路実篤、東屋に滞在して執筆[全集書簡] 近代文学年表
1939 昭和14 3 22 民俗学者=柳田國男、鵠沼に松岡静雄・冬樹(甥)の墓参に訪れる[定本年譜] 近代文学年表
1939 昭和14 3   歌人=與謝野晶子、鵠沼ホテルに滞在 鵠沼88号
1939 昭和14 4 15 思想家=河合栄治郎、二十数年ぶりに東屋に泊まる[全集日記] 近代文学年表
1939 昭和14 4   真船 豊の妻、鵠沼で没[新盆の月] 近代文学年表
1939 昭和14 4   阿部 昭、片瀬乃木幼稚園(現湘南白百合学園幼稚園)に入園 鵠沼97号
1939 昭和14 4   小説家・平塚高女教員=鳴山草平(1902-1972)、藤沢に居住 藤沢人物ファイル
1939 昭和14 5 6 出版人=長谷川巳之吉(1893-1973)、鵠沼松が岡1-17-20に瀟洒な洋館を新築して居住(富士見坂と命名) 近代文学年表
1939 昭和14 5   〜1940.5月号、長谷川巳之吉、雑誌『セルパン』に『鵠沼だより』を連載 近代文学年表
1939 昭和14 8   雑誌「スタイル」昭和14年8月号に 真氏が「林達夫のお住い拝見」を掲載 鵠沼101号
1939 昭和14 9 12 『東京日々新聞』、「突如廃業の声明」「鵠沼名物”文士宿”」と東屋の廃業を報道 鵠沼76・82号
1939 昭和14 10 6 長谷川巳之吉、『セルパン』106号に「鵠沼海岸だより」を初めて掲載 セルパン
1939 昭和14 11   評論家=小林秀雄、真船 豊を訪問[孤独の徒歩] 近代文学年表
1939 昭和14     小説家=鳴山草平、雑誌「新青年」の1000円懸賞小説に『極楽剣法』が第一席で当選 藤沢文学年表
1939 昭和14     民俗学者=圭室諦成、鵠沼海岸3-12-28に居住[藤沢文人録] 藤沢文人録
1939 昭和14     ソプラノ歌手=井崎千恵、鵠沼(現松が岡2-14-2)に住む 別冊文化人
1940 昭和15 1 1 長谷川巳之吉、『セルパン』108号に「鵠沼海岸だより」を掲載 セルパン
1940 昭和15 1 20 小説家=邦枝完二、東京麹町より鵠沼上岡(桜が岡2-1-29)に転居 藤沢文学年表
1940 昭和15 2 1 宮本百合子、「鵠沼のあずまやがつぶれたのでいやね」と書く[書簡] WEBsite
1940 昭和15 2 12 〜13、宮本百合子、鵠沼ホテルに泊まる[書簡] WEBsite
1940 昭和15 3 6 哲学者=西田幾太郎、鎌倉の自宅から柳小路あたりまで散歩 藤沢文学展図録
1940 昭和15 3   地理学者=有賀密夫、鵠沼2883(鵠沼桜が岡4-9-8)に転居 有賀氏遺稿集
1940 昭和15 5 1 長谷川巳之吉、『セルパン』112号に「詩と音樂 鵠沼海岸だより」を掲載 セルパン
1940 昭和15 5 25 日夏耿之介、随筆集『聴雪盧小品』(中央公論社)を刊行。鵠沼生活を「鵠沼之記」と題しおさめる WEBsite
1940 昭和15 6 〜23、武者小路実篤、廃業後の東屋に滞在[文学者たちの神奈川] 東屋旅館物語
1940 昭和15 7 1 神奈川県、鵠沼図書館(第三尋常小学校内)に貸出文庫を設置(第1期設置県内4か所の1つ) WEBsite
1940 昭和15 9 4 哲学者=西田幾太郎、鎌倉の自宅から鵠沼まで散歩 藤沢文学展図録
1940 昭和15 10   歌人=山口茂吉、鵠沼・江の島に遊ぶ 近代文学年表
1940 昭和15 11 13 歌人=山口茂吉、鵠沼・江の島に遊び、短歌『砂丘』11首を詠む 近代文学年表
1940 昭和15     画家=硲 伊之助、鵠沼上鰯5217(鵠沼海岸2-16)を去る 鵠沼84号
1941 昭和16 1 22 藤沢市内外の文化人・宗教家が集まり、湘南文化連盟結成 震災戦後復興期
1941 昭和16 3 1 鵠沼を舞台にした松竹映画『戸田家の兄妹』(監督:小津安二郎)、制作公開 WEBsite
1941 昭和16 4 1 阿部 昭、藤沢第一国民学校(現藤沢小学校)に入学 鵠沼97号
1941 昭和16 4   歴史学者=江口朴郎(1911-1989)、姫路高等学校着任のため鵠沼より姫路市に転居 朴郎文庫目録
1941 昭和16 5 詩人=堀口大學(1892-1981)、鵠沼の友人宅に滞在[興津懐古] 個性きらめく
1941 昭和16   歌人=都筑省吾、鵠沼の友人宅での歌会に出席 近代文学年表
1941 昭和16 10 25 〜29、中山義秀・菊池寛・吉川英治・福田正夫、大政翼賛会鵠沼道場で禊修業 近代文学年表
1941 昭和16 11 2 市民体育大会が湘南中学で挙行される 震災戦後復興期
1941 昭和16 12   歌人=與謝野晶子、病床で“鵠沼の松の敷波ながめつつ我は師走の鶯を聞く”を詠む 鵠沼86号
1942 昭和17 3   小説家=宮内寒弥(1912-1983)、鵠沼東海岸6711(鵠沼松が岡)に転居[食用蛙その他] 藤沢人物ファイル
1942 昭和17 3   小説家=城夏子、鵠沼の知人の別荘を借りて住む。長谷川巳之吉・林 達夫らと交流[辰知十年] 近代文学年表
1942 昭和17 3   小説家=網野 菊、『若い日』を著す。大正8年鵠沼慈教庵での生活を描写 藤沢文学展図録
1942 昭和17   今井達夫、鵠沼海岸3-10「新風荘」に転入 鵠沼別冊
1942 昭和17 9   歌人=生田蝶介(1889-1976)、鵠沼に遊ぶ。短歌『鵠沼海岸』 近代文学年表
1942 昭和17     映画評論家=小森和子、鵠沼下岡6703に居住 WEBsite
1942 昭和17     パナマの実業家=天野芳太郎(1898-1982)、捕虜交換船で一時帰国し、現鵠沼橘に居住 鵠沼断想
1942 昭和17     三笠書房、(現代叢書 ; 31-32)として谷川徹三編『志賀直哉の作品』上巻 , 下巻を刊行 同書
1942 昭和17     画家=矢田 修(1906-1980)、藤沢相生町から鵠沼橘1-16-11に転居 別冊文化人
1943 昭和18 1 5 藤沢文化協会(大政翼賛会の外郭団体)創立 震災戦後復興期
1943 昭和18 3   小説家=福永武彦(1918-1979)、2年間、日の出町420番地に居住 別冊文化人
1943 昭和18 4   歌人=高橋俊人(トシンド1898-1976)、三重県から鵠沼海岸に転居。藤沢中学に勤務 発掘街道の文学
1943 昭和18   俳人=滝 春一(1901-1996)、鵠沼に遊ぶ[全句集] 近代文学年表
1943 昭和18 7 31 小説家=神西 清(1903-1957)、鵠沼海岸で海水浴。帰りはリュックで農水産物を担ぐ[人物書誌大系] 近代文学年表
1943 昭和18 10 22 哲学者=西田幾太郎、鎌倉の自宅から鵠沼まで散歩 藤沢文学展図録
1943 昭和18 10 山口茂吉、鵠沼に遊ぶ。短歌『秋海』13首を詠む 近代文学年表
1943 昭和18     松岡静雄著『ミクロネシア民族誌』岩波書店より再刊 鵠沼75号
1943 昭和18     言語学者=田中隆尚、鵠沼2442(鵠沼桜が岡4-15)より鵠沼桜が岡3-17-25へ転居 鵠沼87号
1943 昭和18     サンスクリット学者(東京帝国大学教授)=辻 直四郎(1899-1979)、鵠沼下岡6708に居住[学士会名簿] 別冊文化人
1943 昭和18     出版人=長谷川巳之吉、鵠沼松が岡1-17-20から鵠沼松が岡3-24-35に転居 別冊文化人
1943 昭和18     日本画家=佐多芳郎(1927-1997)、鵠沼藤が谷2-11-32に居住 別冊文化人
1943 昭和18     日本精工敷地内から弥生式土器の完形品が発掘される 史談会報1号
1944 昭和19 1 20 邦枝完二、鵠沼上岡6098(鵠沼桜が岡2-1-29)より堀川へ転居 鵠沼78号
1944 昭和19 3 歴史学者=大類 伸(1884−1975)、鵠沼下岡6684の別荘へ疎開。東北帝大の職を辞し、日本女子大学へ転勤 別冊文化人
1944 昭和19 5   文芸評論家=葛巻義敏、東京田端より疎開、鵠沼に転居 鵠沼69号
1944 昭和19 6   芥川龍之介の妻=文、鵠沼西海岸5501(鵠沼海岸3丁目)に疎開 鵠沼83号
1944 昭和19 7 24 谷崎潤一郎、鵠沼に阿部徳蔵を見舞う[全集書簡] 近代文学年表
1944 昭和19   日本精工の工員慰安会に市川猿之助公演。肝煎り=邦枝完二 鵠沼78号
1944 昭和19     長谷川巳之吉、講談社に権利を譲り、第一書房を廃業→以後鵠沼に隠棲 第一書房
1944 昭和19     ガラス工芸作家=各務鑛三(1896-1985)、鵠沼海岸7-18-2に疎開、以後後半生を居住 郷土史料展示室
1944 昭和19     日本芸能百撰会・創韻会会長=杵屋五十郎、鵠沼橘通より群馬県伊香保に疎開 鵠沼61号
1944 昭和19     劇作家=田中千禾夫・澄江夫妻、鵠沼2439(鵠沼桜が岡4-15-20)を去り、鳥取に疎開 別冊文化人
1944 昭和19     天野芳太郎夫人=天野志津子、鵠沼橘1-10-15にて病没 別冊文化人
1945 昭和20   俳優=芥川比呂志(1920-1981)一家、田端から母の実家=鵠沼西海岸に疎開(本人は出征中) WEBsite
1945 昭和20 3 24 弁士=徳川夢声、日本精工藤沢工場を慰問[夢声戦争日記] 近代文学年表
1945 昭和20 3   民俗学者=圭室諦成、応召。家族は鵠沼海岸3-12-28から熊本県に移住※藤沢文人録では4月 別冊文化人
1945 昭和20 4 1 俳人=渡辺水巴(義 1882-1946)、強制疎開で鵠沼7327(鵠沼藤が谷2-10)に転居 近代文学年表
1945 昭和20 6   子母沢寛、東京から鵠沼5594(鵠沼海岸 7-15-4)堀川の別荘に移る[年譜] 鵠沼15号
1945 昭和20     今井達夫、鵠沼を去り、福島市北町に転居 鵠沼別冊
1945 昭和20 8 16 報道カメラマン=影山光洋、朝日新聞社を退職 聴取
1945 昭和20 8 16 東京音楽学校学生=芥川也寸志(1925-1989)、鵠沼下鰯5501(鵠沼海岸3-11-5)の母の実家に転居 WEBsite
1945 昭和20 8 19 林 達夫ら、本鵠沼金田邸と鵠沼海岸駅前に文化人の書籍提供を受け貸本屋「湘南文庫」開設※終戦直前? 鵠沼83号
1945 昭和20 10 23 東京新聞、「文化人の書斎開放」の見出しで「湘南文庫」開設を報道 鵠沼83号
1945 昭和20 10   小説家=安岡章太郎(1920-)、復員して鵠沼海岸3-に居住。脊椎カリエスを病む 藤沢人物ファイル
1945 昭和20 11 1 雑誌『俳句研究』11月号に渡辺水巴:『鵠沼新居』掲載 占領期雑誌記事
1945 昭和20 11   写真家=影山光洋、鵠沼に転居 WEBsite
1945 昭和20 12 6 松岡静雄の長女=雪子、没 鵠沼23号
1945 昭和20     古書の弘文荘の反町茂雄(1901-1991)、鵠沼海岸5-13付近に300坪の土地を購入 WEBsite
1945 昭和20     日本画家=上田臥牛(1920-1999)、鵠沼新田(鵠沼橘2-1-13)に居住 上田臥牛展
1946 昭和21 1 21 東京帝国大学名誉教授(西洋史)=村川堅固(1875-1946)、疎開先の溝口にて没 鵠沼76号
1946 昭和21 4 1 渡辺水巴、鵠沼7327に句誌『曲水』発行所を移し、第30巻第1号より『鵠沼より』を連載 占領期雑誌記事
1946 昭和21 6   六代目尾上菊五郎一家、江の電鵠沼駅の裏、境川の畔に居を構える。九郎右衛門一家も大川橋蔵も一緒 鵠沼25号
1946 昭和21 7 1 短歌雑誌『かぎろひ』第1巻第4号に富田喜代松:『鵠沼海岸』掲載 占領期雑誌記事
1946 昭和21 7 21 林 達夫・長谷川巳之吉ら、湘南学園の夏期休暇を利用し、市民向け教養講座「鵠沼夏期自由大学」を開催 鵠沼77号
1946 昭和21 8 1 俳人=渡辺水巴、腸閉塞症病臥 鵠沼9号
1946 昭和21 8 10 子母沢寛、堀川から鵠沼6350(鵠沼松が岡5-1-16)熊倉通りに移る[藤沢風物] 鵠沼15号
1946 昭和21 8 13 俳人=渡辺水巴(1882. 6.16-1946)、鵠沼の寓居で没。享年65 夏岳院正心義道居士 墓所=浅草今戸潮江院 鵠沼9号
1946 昭和21 11 5 雑誌『現代俳句』11月号に渡辺水巴:『水巴句抄』掲載。小見出しに『鵠沼』 占領期雑誌記事
1946 昭和21     鵠沼海岸に「なぎさクラブ」(文化活動の交流会)結成(1948年まで) 鵠沼82号
1947 昭和22 5 5 後の小説家=阿部 昭、藤沢市立第一中学校に入学 鵠沼97号
1947 昭和22 5   歴史学者=江口朴郎、姫路市より鵠沼に戻る 朴郎文庫目録
1947 昭和22 6 1 「心の花 湘南短歌会」、発足  公民館記録
1947 昭和22 10 1 雑誌『青年作家』第1巻第2号に野田桂子の入選小説:『鵠沼』掲載 占領期雑誌記事
1947 昭和22 10 1 雑誌『川柳きやり』第27巻第5号に坂本猿冠:『鵠沼だより』掲載 占領期雑誌記事
1947 昭和22 11   安岡章太郎、進駐軍接収家屋空き家の留守番となる 年譜
1947 昭和22     網野 菊、『海辺』(三島書房)を著す。大正8〜9年の鵠沼を描写 鵠沼45号
1947 昭和22     書誌学者=森 銑三(1895-1985)、鵠沼海岸5-13付近(反町茂雄所有地)に東京板橋から転居 鵠沼79号
1947 昭和22     画家=兵藤和男(1920-)、第15回独立美術協会展に『鵠沼風景』を出品、会友となる WEBsite
1947 昭和22     脚本家・映画評論家=飯田心美、現鵠沼桜が岡1-3-7に居住 WEBsite
1947 昭和22     今井達夫、大森より鵠沼海岸3-10加藤産婦人科の2階を間借りして転入 鵠沼別冊
1947 昭和22     今井達夫、鵠沼海岸3-8安岡章太郎の父の家の離れに転居 鵠沼別冊
1947 昭和22     チェリスト=安田謙一郎、鵠沼藤が谷に居住 人物ファイル
1948 昭和23 2   作曲家=芥川也寸志(1925-1989)、山田紗織と結婚し、鵠沼を去る WEBsite
1948 昭和23 3   安岡章太郎、慶應義塾大学を卒業 年譜
1948 昭和23 4 5 雑誌『青森美術』第3巻第3号に棟方寅雄:『回想の劉生』掲載。小見出しに『鵠沼の家』 占領期雑誌記事
1948 昭和23 5 1 雑誌『かまくら』第3号に小島政二郎:『山茶花』掲載。小見出しに『鵠沼、松花亭眺望即事』 占領期雑誌記事
1948 昭和23 7 1 市立図書館、開館 WEBsite
1948 昭和23 8 1 雑誌『小説界』8月号に小穴隆一:『芥川竜之介と五十銭銀貨』掲載。小見出しに『鵠沼・鎌倉のころ』 占領期雑誌記事
1948 昭和23 8 2 女優=大田黒久美(本名:大田黒美波)、鵠沼海岸で出生 WEBsite
1948 昭和23   第二十三世本因坊=坂田栄寿(1920-)、鵠沼に転居。鵠沼海岸町会事務所に仮寓 鵠沼80号
1948 昭和23 9 22 劇作家=戸板康二(1915-1993)、怪我で静養中の尾上梅幸を鵠沼に見舞う WEBsite
1948 昭和23 12 俳優=木村功、4月1日に邦枝梢(邦枝完二の長女)と結婚し、鵠沼上岡6098(鵠沼桜が岡2-1-29)へ転居 WEBsite
1948 昭和23     詩人=佐川英三(1913-1992)、鵠沼橘1-11-8に居住 別冊文化人
1948 昭和23     後の俳人=飯島晴子、疎開先=京都府富野荘村長池から鵠沼海岸の県営住宅に転居。夫結核に罹り、洋裁内職 飯島晴子読本
1948 昭和23     岸田劉生の『鵠沼日記』、建設社より刊行 鵠沼26号
1948 昭和23     画家、勝呂 忠(1926-)、鵠沼にアトリエを持つ(後に鎌倉へ転居) WEBsite
1949 昭和24 2   言語学者=喜安?太郎(1876-1955)、山梨県河口湖畔より鵠沼2724(本鵠沼4-7-6)に転居 わが住む里42号
1949 昭和24 3   高瀬笑子、津田塾を卒業、東京大学文科に進学(東大初の女子学生) ゆく河の流れ
1949 昭和24 5 28 古谷治子(鵠沼在住)、鎌倉アカデミアの同級生=山口 瞳(壽屋→作家)と結婚。文京区関口台町に住む WEBsite
1949 昭和24 5   喜安?太郎、雑誌『英語青年』5月号より『鵠沼通信』(『湖畔便り』改め)を連載(1955年5月号まで) わが住む里42号
1949 昭和24 7 1 「湘南コール・グリューン」、発足 公民館記録
1949 昭和24 7 10 歌舞伎役者=六代目尾上菊五郎(1885.8.26-1949)、東京木挽町の自宅で没 鵠沼25号
1949 昭和24 9 13 鵠沼を舞台にした松竹映画『晩春』(監督:小津安二郎)、制作公開 WEBsite
1949 昭和24 10 10 雑誌『映画春秋』10月号に木下恵介・小林正樹:シナリオ『破れ太鼓』掲載。鵠沼、野中の家のアトリエも舞台 占領期雑誌記事
1949 昭和24 12 1 鵠沼を舞台にした松竹映画『破れ太鼓』(監督:木下恵介)、制作公開 WEBsite
1949 昭和24     新劇俳優=芥川比呂志(1920-1981)一家と母=文、鵠沼西海岸から東京上目黒に転居 鵠沼83号
1949 昭和24     マルクス経済学者(東京大学教授)=宇野弘蔵(1899-1977)、鵠沼下岡6643(鵠沼海岸1-8-19)に居住 別冊文化人
1949 昭和24     〜1950、洋画家=斎藤真一(1922-1994)、萩野悦子と結婚し、鵠沼に居住するも1年で岡山県に戻る WEBsite
1949 昭和24     「神奈川フォークダンス普及会」、発足 公民館記録
1950 昭和25 3 11 詩人=伊藤海彦、これまでに片瀬より鵠沼海岸5311または5305(隣接地番)に転居 鵠沼86号
1950 昭和25 3   木村功・梢夫妻に長女菜穂誕生 WEBsite
1950 昭和25 4 1 阿部 昭、県立湘南高等学校学校へ進学 鵠沼97・98号
1950 昭和25 4 17 シュテルンベルク、東京・中落合の聖母病院で没 鵠沼80号
1950 昭和25 7   女声合唱団=湘南コール(後の湘南コール・グリューン)、高島二葉ら横浜第一高女(平沼)出身者を中心に結成(指揮:磯部 俶) 鵠沼88号
1950 昭和25     長谷川路可、母=長谷川たか墓所の本眞寺に『歩む釈迦像』[水墨板絵]を描く 鵠沼96号
1950 昭和25     安岡章太郎、「陰気な愉しみ」、「ガラスの靴」を書く 年譜
1951 昭和26 1 1 詩人=伊藤海彦、これまでに鵠沼海岸5311または5305より鵠沼海岸6629に転居(一時滞在) 鵠沼86号
1951 昭和26 2   天野芳太郎、鵠沼を去り、ペルーへ向かう。プレインカ文化の発掘・研究をし、リマに天野博物館開設 鵠沼断想
1951 昭和26 4   「鵠沼女声合唱団」、発足 公民館記録
1951 昭和26 5 5 鵠沼を舞台にした松竹映画『自由学校』(監督:渋谷実)、制作公開 WEBsite
1951 昭和26 6   歌手=井口小夜子、鵠沼東原2849-1(現鵠沼桜が岡4-4-9)に転居 湘南新聞
1951 昭和26 6   安岡章太郎、「ガラスの靴」を『三田文学』に発表 年譜
1951 昭和26 12   詩人=伊藤海彦、これまでに鵠沼海岸より鎌倉市台に転居 鵠沼86号
1951 昭和26 12   安岡章太郎、「ジングルベル」を『三田文学』に発表 年譜
1951 昭和26     今井達夫、鵠沼下岡6708(鵠沼松が岡3-14)に新築し、転居 鵠沼別冊
1951 昭和26     今井達夫ら湘南在住の作家・画家・俳優・ジャーナリストを中心に「スワン会」を結成 鵠沼別冊
1951 昭和26     高瀬笑子、ガリオア(翌年よりフルブライトと改称)留学生として米国ミネソタ大学に入学 ゆく河の流れ
1951 昭和26     心理学者(東京大学教授)=相良守次(1903-1986)、鵠沼西海岸5213(鵠沼海岸5-13-6)に居住 別冊文化人
1951 昭和26     鵠洋小学校PTAコーラス結成 カーテンコール
1951 昭和26     法政大学教授=逸見重雄(後に社会学部長。マルクス経済学)、松本陽松園一番左奥の家に居住 鵠沼77号
1952 昭和27 1 12 湘南市民コール発足(本拠地:藤沢公民館/会員数:77名(S.22/A.28/T.9/B.18)) WEBsite
1952 昭和27 2   安岡章太郎、「宿題」を『文学界』に発表 年譜
1952 昭和27 6 11 童画家=黒崎義介(1905-1984)、鵠沼海岸5-1-11に居住 義介絵と生涯
1952 昭和27 7 1 「藤沢市民短歌会」、発足 公民館記録
1952 昭和27 9   第二十三世本因坊=坂田栄寿、鵠沼から東京大森に転居 鵠沼80号
1952 昭和27 10   指揮者=福永陽一郎夫妻、東京より片瀬山に転居 演奏ひとすじ
1952 昭和27 12   小説家=安岡章太郎(1920-)、鵠沼海岸3丁目を去り、大田区新井宿に転居 藤沢文学展図録
1952 昭和27     岸田劉生の『劉生絵日記(全3巻)』、竜星閣より刊行 鵠沼26号
1952 昭和27     西洋古代史家(東大教授)=村川堅太郎、鵠沼中岡6282(鵠沼松が岡5-8-30)より文京区目白台に転居 鵠沼76号
1952 昭和27     小説家=広津桃子(1918-1988)、鵠沼6142(鵠沼桜が岡3-16-18)に居住 藤沢文学展図録
1952 昭和27     赤木圭一郎(本名:赤塚親弘)、鎌倉から鵠沼6867(鵠沼藤が谷4-19-29)へ転居し、鵠沼中学校に転校 WEBsite
1952 昭和27     彫刻家=菅沼五郎(1905-1999)、鵠沼松が岡1-22-2に転居(豊島区で交流のあった黒崎義介を追ってといわれる) 菅沼五郎展
1952 昭和27     歌人=高橋俊人、友人の平井啓朔・河口一紀らと歌誌『まゆみ』を創刊 WEBsite
1953 昭和28 1 30 翻訳者・小説家=日吉早苗(1900.11.25-1953 元鵠沼中学校教諭・校歌作詞者)、鵠沼海岸3-で没 藤沢人物ファイル
1953 昭和28 2 4 木村功・梢夫妻に次女里花誕生 WEBsite
1953 昭和28 4   阿部 昭、東京大学文科二類に進学 鵠沼97・98号
1953 昭和28 8   阿部 昭(東大1年生)、鵠沼下鰯(西海岸)から鵠沼字中岡(鵠沼松が岡5丁目)に転居 鵠沼97号
1953 昭和28     歌人=海野冨久子(1918-)、栃木県宇都宮市から鵠沼に転居 「BOOK」データベース
1954 昭和29 6   阿部 昭の長兄=亥之助、没 鵠沼98号
1954 昭和29 7   伊藤喜代子、「いづみ短歌会」を主宰(鵠沼公民館で活動する最古参サークル) 公民館記録
1954 昭和29 10   聶耳(ニェ・アール)記念碑(制作:山口文象)、鵠沼海岸2-18地先引地川河畔に造立。聶耳記念碑保存会、発足 鵠沼30・62号
1954 昭和29 10   俳優=木村功・梢夫妻、鵠沼から東京都渋谷区西原へ転居 WEBsite
1954 昭和29 11 1 鵠沼の聶耳(ニェ・アール)記念碑(設計:山口文象/碑文:秋田雨雀)、李徳全女史による除幕式[市史] 鵠沼15号
1954 昭和29     今井達夫・寺崎浩ら湘南在住の文化人を中心に「スワン会」を結成。丸政で第1回会合※1951年説あり 運河四十五年
1954 昭和29     小説家・平塚高女教員=鳴山草平(1902-1972)、鵠沼5601(鵠沼海岸7-14-3)に居住 別冊文化人
1954 昭和29     出版人=長谷川巳之吉(1893-1973)、鵠沼松が岡3-24-35から鵠沼松が岡4-15-9に転居 別冊文化人
1954 昭和29     葛巻左登子、東京田端より鵠沼引地川縁に転居 鵠沼69号
1954 昭和29     小説家/経済学者=南條範夫(1908-2004)、鵠沼松が岡5丁目に3年間居住 別冊文化人
1954 昭和29     岸田麗子(劉生の長女、『麗子像』のモデル)、鵠沼に来訪。逸見重雄宅に立ち寄る 鵠沼72号
1955 昭和30 4 19 鵠沼でもロケをした日活映画『青春怪談』、公開 WEBsite
1955 昭和30 4   阿部 昭、仏蘭西文学科に進む 鵠沼97号
1955 昭和30   教育史学者=加藤仁平(1894-1993)、鵠沼海岸7-10-22へ転居 WEBsite
1955 昭和30 10 30 藤沢を中心開催地として第10回国民体育大会(かながわ国体)、開催[市史] 藤沢市史年表
1955 昭和30 12 3 郭沫若ら中国学術視察団、聶耳(ニェ・アール)記念碑を訪問 藤沢市史年表
1955 昭和30 12 22 『英語青年』主宰者=喜安?太郎(1876-1955)、本鵠沼4-7-6にて没 わが住む里42号
1955 昭和30     葛巻左登子、鵠沼引地川縁より鵠沼海岸に転居 鵠沼69号
1955 昭和30     独文学者・演劇研究家=新関良三(1889-1979)、鵠沼松が岡5-1-4に居住[学士会名簿] 別冊文化人
1955 昭和30     彫刻家=加藤顕清(1894-1966)、東京練馬より鵠沼柳小路7200番地に移住 別冊文化人
1956 昭和31 2   『英語青年』2月号に喜安?太郎(-1955)による「鵠沼通信」最終回掲載(遺作) WEBsite
1956 昭和31 7   文芸座談会ノート第8号、天才作曲家聶耳の生涯と業績特集。附記「遭難終焉地鵠沼海弔訪記」影山 巍 WEBsite
1956 昭和31 8 2 小説家=邦枝完二(1892.12.28-1956)、自宅(鵠沼桜が岡2-1-29)で没。享年64[年譜] 鵠沼15号
1956 昭和31     阿部 昭、後のチェリスト=堤剛の家庭教師を引き受ける 鵠沼98号
1957 昭和32 7   歴史学者=大類 伸、『新潮』昭和32年7月号に『鵠沼随想』を寄稿 別冊文化人
1957 昭和32     版画家=馬渕 聖(トオル 1920〜1994)、横浜より鵠沼海岸に転居 WEBsite
1957 昭和32     阿部 昭、後のチェリスト=安田謙一郎の家庭教師を引き受ける 鵠沼98号
1957 昭和32     日本芸能百撰会・創韻会会長=杵屋五十郎、群馬県伊香保より鵠沼橘通に戻り、活動する 鵠沼61号
1958 昭和33 3   藤沢市図書館、『わが住む里 第10号』刊行(「鵠沼地域の変貌」掲載) わが住む里
1958 昭和33 5   岸田麗子、『鵠沼に住んでいた頃』を発表[現代の眼42号 (名作のモデル)] 現代の眼総目次
1958 昭和33 6 17 脇差(銘相州秋廣)1口(鵠沼在住個人藏)、県指定重要文化財に指定 鵠沼97号
1958 昭和33 8   映画俳優=赤木圭一郎(1939-1962)、日活第4期ニューフェースとして映画界に入り、鵠沼を去る WEBsite
1958 昭和33     独文学者・演劇研究家=新関良三(鵠沼松が岡5-1-4)、日本学士院恩賜賞、日本芸術院賞受賞  WEBsite
1958 昭和33     小説家=白井喬二(小説『富士に立つ影』)、杉沢家より「東屋の離れ」を借り受け、3年間静養生活 鵠沼75号
1958 昭和33     歌手・俳優=小坂一也、鵠沼松が岡2-5-25に居住 別冊文化人
1959 昭和34 1 19 ミュージシャン=白井貴子、鵠沼で生まれる WEBsite
1959 昭和34 4   阿部 昭、東京大学を卒業してラジオ東京(現在のTBS)に入社 鵠沼97号
1959 昭和34 9 27 鵠沼を舞台にした松竹映画『今日もまたかくてありなん』(監督:木下恵介)、制作公開 WEBsite
1959 昭和34 9   歌人=高橋俊人(トシンド1898-1976)、第二歌集『杖家集』を刊行 WEBsite
1959 昭和34 11 22 藤沢市民交響楽団、発会式(鵠沼公民館) 鵠沼88号
1959 昭和34 11 23 鵠沼公民館にて第1回市民俳句会開催 鵠沼15号
1959 昭和34 11 29 秩父宮記念体育館にて第1回市民音楽祭開催 鵠沼15・88号
1959 昭和34     独文学者・演劇研究家=新関良三(鵠沼松が岡5-1-4)、ドイツ国立ゲーテ研究所「ゲーテ賞」受賞  WEBsite
1959 昭和34     飯田晴子、夫の代理で藤沢で開かれた湘南馬酔木会例会に出席、能村登四郎に会う→俳人になるきっかけ 飯田晴子読本
1959 昭和34     長谷川巳之吉、鵠沼公民館に第一書房刊『短歌文学全集』を寄贈 鵠沼94号
1960 昭和35 1   「なぎさ会」(藤沢市中央婦人学級の同窓者)、発足 公民館記録
1960 昭和35 3   俳人=飯島晴子、鵠沼海岸4丁目から東京に転居 飯島晴子読本
1960 昭和35 6 19 藤沢市民交響楽団、第1回定期演奏会(湘南高校講堂) カーテンコール
1960 昭和35 7 17 藤沢市、聶耳(ニェ・アール)没後25周年「聶耳記念音楽祭」を鵠沼公民館で開催 WEBsite
1960 昭和35 8 14 藤沢市民交響楽団、サマー・コンサート(交響楽と吹奏楽の夕べ)鵠沼中学校体育館 WEBsite
1960 昭和35 9 2 書家=金田松月(?-1960)、本鵠沼駅頭で脳溢血に倒れ、翌日没。享年69 私の鵠沼日記
1960 昭和35 9   阿部 昭、NHK芸能局洋楽部の小野玉枝と結婚。10か月ほど実家近くの借家に住む 鵠沼97号
1960 昭和35 9   民俗学者=圭室諦成、熊本県から鵠沼松が岡3-7-15に居住[藤沢文人録] 藤沢文人録
1960 昭和35 11   講談社、(日本現代文學全集 / 伊藤整 [ほか] 編 ; 56)『芥川龍之介集』を刊行 同書
1960 昭和35 12 4 藤沢市民交響楽団、第2回定期演奏会(鵠沼公民館ホール) WEBsite
1960 昭和35 12 26 和辻哲郎、心筋梗塞のため東京都練馬区の自宅で没。享年71。 和辻哲郎全集
1960 昭和35     安藤 寛、処女歌集『山郷』を刊行 別冊文化人
1960 昭和35     日本ボーイスカウト神奈川連盟 藤沢第1団、鵠沼海岸7-10-20藤沢聖マルコ教会を本部に結成 WEBsite
1961 昭和36 5   阿部 昭、TBSテレビ局編成部運行課へ異動 鵠沼98号
1961 昭和36 6   阿部 昭、鵠沼松が岡5-実家に増築した新居に戻る  鵠沼97号
1961 昭和36 6   藤沢市民交響楽団、ポピュラー・コンサート、鵠沼中学校体育館 WEBsite
1961 昭和36 7   佐賀紀充、東急レストハウス前でサ−フィンをしていた米兵から技術を学ぶ[サーフィンザオフィシャルハンドブック] WEBsite
1961 昭和36 9   「ガールスカウト神奈川県第18団ブラウニー部門」、発足 公民館記録
1961 昭和36 11 26 藤沢市民交響楽団、第3回定期演奏会、鵠沼中学校体育館 WEBsite
1961 昭和36     小説家=川口松太郎(1899-1985)、鵠沼松が岡2-19-10に別荘を構え、執筆場とする 藤沢人物ファイル
1961 昭和36     岸田劉生『麗子像』のモデル岸田麗子と『村娘像』のモデル川戸マツ、40年ぶりに再会 鵠沼78号
1961 昭和36     日本画家=織田観潮(1889-1961)、鵠沼にて没 人物ファイル
1961 昭和36     高瀬笑子、『くげぬま』(新星書房)を刊行 くげぬま
1961 昭和36     鵠沼を舞台にした日活青春映画『ヨットとお転婆野郎』、公開 WEBsite
1962 昭和37 1   阿部 昭、半月ほど病欠、以後も4月まで断続的に休む 鵠沼98号
1962 昭和37 2 14 映画俳優=赤木圭一郎(1939-1962)、ゴーカートによる事故で慈恵医大第三病院に入院 WEBsite
1962 昭和37 2 21 映画俳優=赤木圭一郎(1939.5.8-1962)、午前7時50分没。享年21 WEBsite
1962 昭和37 2   松岡静雄の妻=初子(県令=野村靖の五女)、没 鵠沼23号
1962 昭和37 3   指揮者=福永陽一郎(1926-1970)、片瀬山から本鵠沼に転居 鵠沼89号
1962 昭和37 3   松岡静雄、「新篇日本古語辞典」再刊 鵠沼23号
1962 昭和37 5 5 鵠沼公民館で第1回鉄道模型会 公民館記録
1962 昭和37 6   小説家=阿部 昭、応募小説「子供部屋」で第一五回文學界新人賞を受賞 鵠沼97号
1962 昭和37 12   藤沢市民交響楽団、第4回定期演奏会、鵠沼中学校体育館 WEBsite
1962 昭和37     彫刻家=加藤顕清(1894-1966)、鵠沼柳小路より大庭5884番地に移住 別冊文化人
1962 昭和37     本多医師(代表)、作曲家=磯部 俶、声楽家=塚本智子らの提唱で「藤沢音楽院」発足 WEBsite
1963 昭和38 1   阿部 昭、長男=陽一郎誕生 鵠沼98号
1963 昭和38 6 9 藤沢市民交響楽団、ストリング・コンサート(弦楽演奏会) 鵠沼公民館ホール WEBsite
1963 昭和38 8 26 野呂さんの想い出を語る集い、島田家で開催。出席者:6名 鵠沼時代の野呂
1963 昭和38 9 1 南楽生会(高齢者団体)、発足 公民館記録
1963 昭和38 10 1 藤沢市立中央図書館(現在の南市民図書館)、開館 ふるさと藤沢
1963 昭和38 11 23 藤沢市民交響楽団、第5回定期演奏会、鵠沼中学校体育館 WEBsite
1963 昭和38 12 8 第5回藤沢市民音楽祭、鵠沼中学校体育館 WEBsite
1963 昭和38     詩人=高橋元吉(1893-1965)、鎌倉市材木座から鵠沼松が岡2-9-15倉田健次方に居を移す 鵠沼82号
1964 昭和39 1 15 元映画女優=黒木しのぶ(1910-1964。俳優=佐分利信の妻。鵠沼橘1-5-1)、没 別冊文化人
1964 昭和39 2 19 野呂栄太郎三十周忌、鵠沼公民館で開催 鵠沼18号
1964 昭和39 4 24 社会学者(慶応大学教授)加田哲二(1895.11.26-1964)、没。享年68 WEBsite
1964 昭和39 4 24 野呂栄太郎没後30周年講演と映画の夕、鵠沼公民館で開催。『日本の夜明』:宮川寅雄 鵠沼時代の野呂
1964 昭和39   教育史学者=加藤仁平、鵠沼海岸7-10-22から前橋市の長女水沢澄子方へ転居 WEBsite
1964 昭和39 5   阿部 昭、二男=龍二郎誕生 鵠沼98号
1964 昭和39 7 12 藤沢市民交響楽団、ベートーベンの夕べ、 鵠沼公民館ホール WEBsite
1964 昭和39 7 17 鵠沼海岸2-18に聶耳終焉之地碑、再建 文化財報告5
1964 昭和39 7 26 藤沢市民交響楽団、ストリング・コンサート(弦楽演奏会) 鵠沼公民館ホール WEBsite
1964 昭和39 8   阿部 昭、自ら希望してテレビ報道部へ異動 鵠沼98号
1964 昭和39 11 3 藤沢市民交響楽団、第6回定期演奏会 (創立5周年記念)鵠沼中学校体育館 WEBsite
1964 昭和39     「鵠沼デッサン会」、発足 公民館記録
1965 昭和40 1 28 詩人=高橋元吉(1893-1965)、鵠沼松が岡2-9-15倉田健次方にて没 鵠沼82号
1965 昭和40 3 31 平和の像、鵠沼海岸2、湘南海岸公園憩いの広場に造立(像製作者:難波孫次郎/撰・書:金子小一郎) 鵠沼15・30号
1965 昭和40 4   鵠沼海岸聶耳(ニェ・アール)記念碑再建運動活発化 藤沢市史年表
1965 昭和40 5 16 藤沢市民交響楽団、ポピュラー・コンサート、鵠沼公民館ホール WEBsite
1965 昭和40 5 31 空乗寺大橋重政の墓を藤沢市の文化財として「史跡」に指定 鵠沼15・24・37号
1965 昭和40 7   来日中の中国民族歌舞団代表、鵠沼海岸聶耳(ニェ・アール)記念碑を訪問 藤沢市史年表
1965 昭和40 8 18 図案家=杉浦非水(1876.5.15-1965 本鵠沼2-9-6)、没  別冊文化人
1965 昭和40 9 18 鵠沼海岸聶耳(ニェ・アール)記念碑、再建除幕式挙行。解説文(秋田雨雀)再建。聶耳終焉之地碑(郭沫若)造立 鵠沼15号
1965 昭和40 12 12 藤沢市民交響楽団、第7回定期演奏会、鵠沼公民館ホール WEBsite
1965 昭和40     この頃、俳優=中村錦之助(1932-1997)、鵠沼桜が岡3-17-24に居住 別冊文化人
1965 昭和40     小説家=宮内寒弥(1912-1983)、鵠沼松が岡から鎌倉市腰越に転居 別冊文化人
1965 昭和40     阿部 昭、「冬物語」及び「幼年詩篇」を『文學界』に発表 鵠沼98号
1965 昭和40     湘南コール・グリューン創立者=高島二葉、没。指揮者=磯部 俶→山根一夫 WEBsite
1965 昭和40     この年、鵠沼で国産サーフボードメーカー「テッド」初のサーフボードがテストライドされる WEBsite
1966 昭和41 1 17 法照寺境内江の島弁才天道標、市指定重要文化財建造物に指定 鵠沼97号
1966 昭和41 4   美術評論家=土方定一(1904-1980『岸田劉生全集』(岩波書店)の監修者)、鵠沼海岸旧東屋近くに転居 土方定一年譜
1966 昭和41 5 15 仏教史学者=圭室諦成(1902-1966)、鵠沼松が岡3-7-15にて没[藤沢文人録] 別冊文化人
1966 昭和41 5 15 藤沢市民交響楽団、第8回定期演奏会、鵠沼公民館ホール WEBsite
1966 昭和41 7 17 聶耳記念音楽祭、鵠沼公民館ホール WEBsite
1966 昭和41 9   阿部 昭、テレビ局からラジオ局へ異動 鵠沼98号
1966 昭和41 11 20 藤沢市民交響楽団、第9回定期演奏会(ベートーベン・コンサート)、鵠沼公民館ホール WEBsite
1966 昭和41 11   美術評論家=土方定一、鵠沼藤が谷3-1-10に新居を建てて鵠沼海岸の借家から移住 土方定一年譜
1966 昭和41 12 4 第8回藤沢市民音楽祭、鵠洋小学校体育館 WEBsite
1966 昭和41     阿部 昭、「月の光」及び「手」を『文學界』に発表 鵠沼98号
1966 昭和41     藤沢史談会、『藤沢郷土史研究の回顧と展望』を刊行。(「鵠沼農民小史」掲載) 同書
1967 昭和42 6 4 藤沢市民交響楽団、ポピュラー・コンサート、鵠沼公民館ホール WEBsite
1967 昭和42 7 3 画家=長谷川路可、ローマにて客死 鵠沼86号
1967 昭和42 8   阿部 昭、父=信夫、死去 鵠沼98号
1967 昭和42 12 10 藤沢市民交響楽団、第10回定期演奏会、鵠沼公民館ホール WEBsite
1967 昭和42     雅楽奏者=多(オオノ)忠麿、鵠沼海岸1丁目に土地を購入 別冊文化人
1967 昭和42     阿部 昭、「東京の春」を『文學界』に発表 鵠沼98号
1968 昭和43 4   「はまゆうの会(女性問題・高齢者問題サークル)」、発足 公民館記録
1968 昭和43 4   文芸評論家=葛巻義敏、世田谷の自宅が火災で焼け出され、鵠沼の妹=葛巻左登子宅に転居 鵠沼69・80号
1968 昭和43 4   声楽家=塚本智子(鵠沼橘2-13-1)、没 別冊文化人
1968 昭和43 5 1 「若葉会(消費者問題等学習サークル)」、発足 公民館記録
1968 昭和43 7 19 子母沢寛(梅谷松太郎1892-1968)、心筋梗塞で没 享年76(慧光院文宗寛居士)鎌倉霊園に埋葬 鵠沼15号
1968 昭和43 7 20 藤沢市民交響楽団、サマーコンサート 室内楽の夕べ、鵠沼公民館ホール WEBsite
1968 昭和43 9   財団法人全日本リトル野球協会藤沢リーグ、結成(事務局:鵠沼松が岡3-24-7) WEBsite
1968 昭和43 10 1 藤沢市民会館、正式開館 昭和の日年表
1968 昭和43 11 4 新関良三、文化功労者に選ばれる 藤沢文学展図録
1968 昭和43 12   阿部 昭、処女短篇集『未成年』(文藝春秋社)を刊行。三男=三郎誕生 鵠沼97・98号
1968 昭和43     阿部 昭、「未成年」を『新潮』に発表。以後『文學界』以外からも依頼増加 鵠沼98号
1968 昭和43     雅楽奏者=多(オオノ)忠麿、鵠沼海岸1丁目に新築し、居住 別冊文化人
1969 昭和44 4   画家=加藤東一(1916-1979)、鵠沼桜が岡2-5-15に居住 WEBsite
1969 昭和44 6   小説家=阿部 昭、雑誌「群像」6月号に『鵠沼西海岸』を発表 WEBsite
1969 昭和44 9 6 小説家=立原正秋(1926-1980)、鎌倉梶原に新居建築中、1年ほど鵠沼海岸3-8に居住 藤沢文学年表
1969 昭和44 9   鵠沼公民館、高齢者学級=明治青年大学、開催 公民館記録
1969 昭和44     阿部 昭、「鵠沼西海岸」を『群像』に発表 鵠沼98号
1970 昭和45 4   阿部 昭、『大いなる日』(講談社)を刊行 鵠沼97号
1970 昭和45 10 1 指揮者=福永陽一郎、藤沢市より文化功労者として表彰される 演奏ひとすじ
1970 昭和45 12   阿部 昭、長編「司令の休暇」を『新潮』に発表 鵠沼98号
1971 昭和46 4 1 湘南一草会(山野草)、発足 公民館記録
1971 昭和46 4   阿部 昭、『司令の休暇』(新潮社)を刊行 鵠沼97号
1971 昭和46 5 5 赤星四郎(プロゴルファー、藤沢CC)、鵠沼の自宅で没 WEBsite
1971 昭和46 7 1 立原正秋、鵠沼海岸を去り、鎌倉市梶原に転居 藤沢文人展
1971 昭和46 7   美術評論家=土方定一、「鵠沼、鎌倉時代の劉生」『神奈川県美術風土記・明治大正篇』を発表 土方定一著作集
1971 昭和46 9 17 教育文化研究所(鵠沼神明)所蔵の藤沢の信仰用具コレクション、県指定民俗資料となる 藤沢の歴史
1971 昭和46 10 31 阿部 昭、TBSを辞して専業作家となる 鵠沼97号
1971 昭和46 11 3 ガラス工芸作家=各務鑛三、第20回神奈川文化賞受賞 WEBsite
1971 昭和46 11 13 内藤長一遺稿集『白い花』(私家版)、刊行 白い花
1971 昭和46     湘南コール・グリューン指揮者 山根一夫→木村文男 WEBsite
1971 昭和46     阿部 昭、「明治四十二年夏」を『群像』に「一日の労苦」を『文藝』に発表 鵠沼98号
1971 昭和46     鵠沼公民館での商店街ラジオ体操始まる 鵠沼81号
1972 昭和47 2   阿部 昭、『日日の友』、『新鋭作家叢書阿部 昭集』(河出書房新社)を刊行 鵠沼97号
1972 昭和47 3 7 小説家/元県立希望ヶ丘高校教諭=鳴山草平(1902-1972、鵠沼海岸7-14-3)、没 別冊文化人
1972 昭和47 3   指揮者=福永陽一郎、本鵠沼から鵠沼藤が谷に転居 鵠沼89号
1972 昭和47 3   小説家=阿部 昭、辻堂東海岸に仕事部屋を設け、自宅から自転車で往復 鵠沼97号
1972 昭和47 3   阿部 昭、短編連作の第一回として「自転車」を『群像』に発表、以後18編を連載 鵠沼98号
1972 昭和47 3   歌人=高橋俊人(トシンド1898-1976)、第三歌集『壺中天』(まゆみ社)を刊行 WEBsite
1972 昭和47 4 1 指揮者=福永陽一郎、藤沢市文化担当参与となり、市民会館の自主事業をプロデュース 演奏ひとすじ
1972 昭和47 4 1 「鵠沼カウンセリング研究会」、発足 公民館記録
1972 昭和47 4   「チェリークラス(英会話サークル)」、発足 公民館記録
1972 昭和47 7 18 〜19、来日中の中国上海舞劇団一行、鵠沼海岸聶耳(ニェ・アール)記念碑を訪問 藤沢市史年表
1972 昭和47 8 17 来日中の中国上海ジュニアサッカーチーム、鵠沼海岸聶耳(ニェ・アール)記念碑を訪問 藤沢市史年表
1972 昭和47 8 18 中居正広(SMAP)、鵠沼で誕生。鵠沼小学校→明治小学校(小学校の途中で鵠沼を離れる) WEBsite
1972 昭和47 8   第1回「日本芸能百撰会」、藤沢市民会館で開催。以後年1回第20回まで公演 鵠沼61号
1972 昭和47 8   今井達夫、『昔の鵠沼抄』を「文芸広場」20号に発表[原稿は東京都近代文学博物館] WEBsite
1972 昭和47 10 15 第1回鵠沼公民館音楽祭開催 WEBsite
1972 昭和47 10   研究社出版、喜安?太郎著 ; 福原麟太郎編『湖畔通信・鵠沼通信』を刊行 同書
1972 昭和47 11 22 来日中の中国青年卓球代表団、鵠沼海岸聶耳(ニェ・アール)記念碑を訪問 藤沢市史年表
1972 昭和47 11   阿部 昭、評論随筆集『あの夏あの海』(河出書房新社)社、『大いなる日』(講談社文庫)を刊行 鵠沼97号
1972 昭和47     河出書房新社、新鋭作家叢書として『阿部 昭集』を刊行 同書
1972 昭和47     安藤 寛、第二歌集『千林』を刊行 別冊文化人
1972 昭和47     「びぢゅある湘南(ビデオ作品)」、発足 公民館記録
1973 昭和48 3   〜8月、阿部 昭、雑誌『群像』に短編小説を連載 鵠沼97号
1973 昭和48 4 1 「鵠沼コール・フロイデ」、発足 公民館記録
1973 昭和48 4   阿部 昭、『千年』(講談社)を刊行 鵠沼97号
1973 昭和48 4   「はこべ会(俳句サークル)」、発足 公民館記録
1973 昭和48 6   池波正太郎、『食卓の情景』に『鵠沼の夏』(長谷川伸と子母沢寛の交流を描く)を発表 池波正太郎年譜
1973 昭和48 10 10 〜12、第1回藤沢市民オペラ、『フィガロの結婚』公演(藤沢市民会館) 演奏ひとすじ
1973 昭和48 10 11 演劇評論家・詩人・出版者=長谷川巳之吉(1893.12.28-1973)、鵠沼にて没 享年79 別冊文化人
1973 昭和48 11 25 「藤沢子ども劇場鵠沼ブロック」、発足 公民館記録
1973 昭和48 11   小説家=阿部 昭、『千年』で第27回毎日出版文化賞[文学・芸術部門]受賞 鵠沼97号
1973 昭和48     独文学者・演劇研究家=新関良三(鵠沼松が岡5-1-4)、ギリシャ政府「文化功労フェニックス勲章」受賞  WEBsite
1973 昭和48     「ひまわりの会」(家庭教育学級参加者有志で組織)、発足 公民館記録
1974 昭和49 1 24 ハーモニカ奏者=川口章吾(鵠沼松が岡3-18-6)、没 別冊文化人
1974 昭和49 2 19 東洋思想史学者(東京帝国大学教授)=宇野哲人(1875.11.15-1974)、鵠沼中岡6281にて没 享年99 鵠沼76号
1974 昭和49 3 20 市教委社会教育課『藤沢市文化財調査報告書第9集』を刊行(服部清道:藤沢の辻と石造物) 文化財報告9
1974 昭和49 3 24 歌手=山岡 恭子、鵠沼で誕生 WEBsite
1974 昭和49 4 1 和裁サークル、発足 公民館記録
1974 昭和49 6 4 「スワロークラブ(ストレッチ・レクダンス)」、発足 公民館記録
1974 昭和49 6 7 早稲田大学グリークラブの磯部 淑が指導していた頃のメンバー、「いそべとし男声合唱団」を結成 WEBsite
1974 昭和49 10 19 松竹映画『砂の器』(原作:松本清張、監督:野村芳太郎、鵠沼でもロケ)、公開 WEBsite
1974 昭和49 11 3 来日中の中国中央楽団員、鵠沼海岸聶耳(ニェ・アール)記念碑を訪問 藤沢市史年表
1974 昭和49 11   阿部 昭、『無縁の生活』(講談社)を刊行 鵠沼97号
1974 昭和49 12 12 野呂栄太郎40周年記念集会、藤沢市民会館で開催 鵠沼時代の野呂
1974 昭和49 12   「柊(ひいらぎ)の会」(俳句サークル)、発足 公民館記録
1974 昭和49     蔵書家=横山 重(シゲル、1896-1980)、鵠沼より(?)伊豆高原(伊東市浮山町)へ転居 WEBsite
1974 昭和49     チェリスト=安田謙一郎、鵠沼を去り茅ヶ崎に転居 人物ファイル
1975 昭和50 3 1 野口喜久子編『砂のいろ』 法政大学出版局より刊行(鵠沼75号には1976とあり) 鵠沼23・75号
1975 昭和50 4 1 「鵠沼囲碁同好会」、発足 公民館記録 
1975 昭和50 4 6 「つくし会(百人一首競技かるた)」、発足 公民館記録 
1975 昭和50 4 25 小野光敬(こうけい=刀剣研磨 鵠沼石上)、重要無形文化財に指定 WEBsite
1975 昭和50 4   「墨水会(書道)」、発足 公民館記録 
1975 昭和50 4   「みどり会(水墨画)」、発足 公民館記録 
1975 昭和50 7 20 聶耳(ニェ・アール)碑前音楽祭開催 藤沢市史年表
1975 昭和50 9 1 鵠沼洋画会、発足(拠点:鵠沼公民館、指導者:故坂本幹男(日展会員)) WEBsite
1975 昭和50 10 1 蒸気機関車C11245号、国鉄から藤沢市ヘナンバープレートの授受が行われ、鵠沼運動公園に保存(76年?) 鵠沼14号
1975 昭和50 10 16 経済学者=逸見重雄(1895-1975、鵠沼松が岡4-3-1)、没[鵠沼時代の野呂榮太郎] 鵠沼19号/別冊
1975 昭和50 12 27 歴史学者=大類 伸(1884-1975)、鵠沼松が岡2-16-22の自宅で没。享年91 別冊文化人
1975 昭和50     版画家=馬渕 聖、鵠沼海岸より茅ヶ崎市芹沢に転居 WEBsite
1976 昭和51 1 13 歌人=高橋俊人(トシンド1898-1976)、没。享年77 発掘街道の文学
1976 昭和51 1 31 「柊(ひいらぎ)の会(俳句サークル)」、発足 公民館記録
1976 昭和51 3   阿部 昭、評論随筆集『子供の秘密』(河出書房新社)を刊行 鵠沼97号
1976 昭和51 3   藤沢市中央図書館、『わが住む里 第28号』刊行(「鵠沼の歴史地理考(古代・中世)」掲載) わが住む里
1976 昭和51 4 26 太陽の家に福祉ライブラリー開設 市史年表稿
1976 昭和51 4   鵠沼公民館、文化講座シリーズ「アメリカ文化講座」、語学講座、はじまる 公民館記録 
1976 昭和51 4   「くげぬま21(女性問題学習サークル)」、発足 公民館記録 
1976 昭和51 5   阿部 昭、鵠沼松が岡5-から辻堂東海岸の仕事場に一家転住 鵠沼97号
1976 昭和51 7 4 映画俳優=山路義人(1904-1976 鵠沼松が岡1丁目)、没 享年74 別冊文化人
1976 昭和51 7   阿部 昭、『人生の一日』(中央公論社)を刊行 鵠沼98号
1976 昭和51 8   美術評論家=土方定一、鵠沼藤が谷3-1-18から鎌倉市笛田に転居  WEBsite
1976 昭和51 10 1 蒸気機関車C11245号、国鉄から藤沢市ヘナンバープレートの授受が行われ、鵠沼運動公園に保存 鵠沼14号
1976 昭和51     書誌学者=森 銑三、鵠沼海岸5丁目から鵠沼海岸2丁目に転居 鵠沼79号
1976 昭和51     阿部 昭、絵本『こんなものひろった』『大きな木の下で』(婦人之友社)を刊行 鵠沼98号
1976 昭和51     安藤 寛、鵠沼公民館で短歌教室の講師を1年間務め、終了後、有志がて安藤氏中心の「二水会」を発足させる 別冊文化人
1976 昭和51     「波例会(俳句サークル)」、発足 公民館記録 
1976 昭和51     〜1988、村川夏子(堅太郎の長女)、鵠沼松が岡5-8-30の別荘に定住 鵠沼76号
1977 昭和52 1 30 藤沢市民交響楽団、鵠沼小学校演奏会 WEBsite
1977 昭和52 2 22 マルクス経済学者=宇野弘蔵(1899-1977、鵠沼海岸1-8-19)、肺炎のため没 享年79 別冊文化人
1977 昭和52 2 25 〜27 第1回鵠沼地区公民館まつり開催(2回・3回は3月に開催) 公民館の歩み
1977 昭和52 3   小説家=阿部 昭、『人生の一日』で藝術選奨新人賞を受賞 鵠沼98号
1977 昭和52 4 24 第1回湘南マラソン大会開催(10月から月例となる) 市史年表稿
1977 昭和52   「墨水会」(初心者のための書道入門講座)、発足 公民館記録 
1977 昭和52 7 20 「ひなたぼっこの会」(家庭園芸サークル)、発足 公民館記録 
1977 昭和52 10 2 「月例湘南マラソン」(毎月第1日曜日の朝に湘南海岸サイクリングコースを会場に開催)、始まる 湘南リビング
1977 昭和52 10   阿部 昭、「桃」が[Peaces]としてJay Rubinの英訳でKnoph社刊行 鵠沼98号
1977 昭和52     尾崎秀樹、『子母澤寛-人と文学』(中央公論社)刊行。聞き書き「鵠沼閑話」を含む WEBsite
1977 昭和52     湘南コール・グリューン指揮者 木村文男→福永陽一郎 WEBsite
1978 昭和53 1   「喜楽会」(謡曲サークル)、発足 公民館記録 
1978 昭和53 3   第2回鵠沼地区公民館まつり 公民館記録 
1978 昭和53 3   阿部 昭、『過ぎし楽しき日』(新潮社)を刊行 鵠沼98号
1978 昭和53 4 1 「木曜英会話」、発足 公民館記録 
1978 昭和53 4   阿部 昭、『阿部 昭全短編・上』(講談社)を刊行 鵠沼98号
1978 昭和53 4   鵠沼公民館、文化講座シリーズ「シルクロードの世界」 公民館記録 
1978 昭和53 5 6 今井達夫、鵠沼松が岡3-14にて没。享年75 鵠沼別冊
1978 昭和53 5   今井達夫、雑誌山紫水明5月号に『鵠沼物語序説』を掲載 個性きらめく
1978 昭和53 5   阿部 昭、『阿部 昭全短編・下』(講談社)を刊行 鵠沼98号
1978 昭和53 7 1 「婦人英会話サークル」、発足 公民館記録
1978 昭和53     河出書房新社、『日夏耿之介全集 第8巻』を刊行。(「鵠沼之記」を掲載) 同書
1978 昭和53     評論家=野田宇太郎(1909-1989)、『湘南相模野文学散歩』で芥川龍之介と東屋の関係について誤った記述 東屋旅館物語
1978 昭和53     画家=小林哲夫(1927-1997)、鵠沼海岸1丁目に居住 別冊文化人
1978 昭和53     鵠沼公民館、「鵠沼公民館のしおり」を刊行 公民館記録 
1979 昭和54 1 15 鵠沼公民館、サークル数80→サークル交歓会開催→サークル交歓会広報誌『しおさい』第1号刊行 公民館記録 
1979 昭和54 1 30 「古典文学の会」、発足 公民館記録 
1979 昭和54 1   鵠沼公民館広報委員会、「くげぬま」第1号を刊行(9号まで刊行された) 公民館記録 
1979 昭和54 3 3 ・11、藤沢市民オペラ、初の創作オペラ『竜恋譜』公演 カーテンコール
1979 昭和54 3 17 第3回鵠沼地区公民館まつり 公民館記録 
1979 昭和54 3 25 市教委社会教育課『藤沢市文化財調査報告書第14集』を刊行(服部清道:藤沢市域内の板碑) 文化財報告14
1979 昭和54 4 27 独文学者・演劇研究家=新関良三(1889-1979 鵠沼松が岡5-1-4)、没 享年90 別冊文化人
1979 昭和54 4   阿部 昭、評論随筆集『父たちの肖像』(中央公論社)を刊行 鵠沼98号
1979 昭和54 4   鵠沼公民館、文化講座シリーズ「中国文化講座」 公民館記録 
1979 昭和54 5 25 中国作家代表団、聶耳記念碑を訪問 市史年表稿
1979 昭和54 6   阿部 昭、連載読み物「言葉ありき」を『文藝』に12篇を1年連載 鵠沼98号
1979 昭和54 9 6 中国京劇院一行、聶耳記念碑を訪問 市史年表稿
1979 昭和54 9 7 詩人=木原孝一(1922-1979、鵠沼海岸5-11-4)、没 別冊文化人
1979 昭和54 9 21 「籐サークル」、発足 公民館記録 
1979 昭和54 9 24 サンスクリット学者=辻 直四郎(1899-1979)、鵠沼松が岡3-8-13にて没 享年80[学士会名簿] 別冊文化人
1979 昭和54 10 20 岸田麗子:『父岸田劉生』、読売新聞社より刊行 鵠沼72号
1979 昭和54 11 16 〜18、第4回鵠沼地区公民館まつり(この年度から秋に開催) 公民館記録 
1979 昭和54     「中国語サークル」(代表:川口幸子/指導:鍾清漢)、発足 公民館記録 
1979 昭和54     「かもめの会」(家庭教育学級参加者有志で組織、代表:加藤隆子)、発足 公民館記録 
1979 昭和54     「自由英会話」、発足 公民館記録 
1980 昭和55 3 10 中国演劇家代表団、聶耳記念碑を訪問 市史年表稿
1980 昭和55 3 25 市教委社会教育課『藤沢市文化財調査報告書第15集』を刊行(服部清道:鵠沼地域の石造文化財) 文化財報告15
1980 昭和55 3   阿部 昭、『海からの風』(作品社)を刊行。「自転車」が[自行車]として中国訳で中国で刊行 鵠沼98号
1980 昭和55 4 1 「ユミジャズダンスサークル」、発足 公民館記録 
1980 昭和55 4 1 「藤沢合唱団」、発足 公民館記録 
1980 昭和55 4   池波正太郎、エッセイ集『食卓の情景』刊行(新潮文庫『鵠沼の夏』を含む) 新潮社
1980 昭和55 4   〜5月、阿部 昭、初の海外旅行(フランス) 鵠沼98号
1980 昭和55 4   鵠沼公民館、文化講座シリーズ「秘境に生きる人々」 公民館記録 
1980 昭和55 5 5 「藤沢男声合唱団」、鵠沼公民館を練習場として発足 公民館記録 
1980 昭和55 6   阿部 昭、連載読み物「十二の風景」を『文藝』に12篇を1年連載 鵠沼98号
1980 昭和55 7 鵠沼公民館「こどもサマースクール」でカヌーの講座(湘南カヌースポーツクラブ発祥のきっかけ) 鵠沼63号
1980 昭和55 8 3 画家=矢田 修(1906-0980)、鵠沼橘1-16-11にて没。享年74 別冊文化人
1980 昭和55 8   小説家=広津桃子(1918-1988)、『石蕗の花』で第20回女流文学賞(中央公論社)を受賞 WEBsite
1980 昭和55 10 8 蔵書家=横山 重(シゲル、1896-1980)、没 享年84 WEBsite
1980 昭和55 10   第5回鵠沼地区公民館まつり 公民館記録 
1980 昭和55 10   第1回「創韻会」、藤沢市民会館で開催。以後年1回第12回まで公演 鵠沼61号
1980 昭和55 11   阿部 昭、『言葉ありき』(河出書房新社)を刊行 鵠沼98号
1980 昭和55 12 20 松竹映画監督=澁谷 實(鵠沼松が岡2-)、没 別冊文化人
1980 昭和55     北沢瑞史、『藤沢の文学』(名著出版 藤沢文庫 6)を刊行 同書
1980 昭和55     藤沢市教育委員会、『藤沢市文化財調査報告書 第15集』を刊行(鵠沼地域の石造文化財) 同書
1980 昭和55     藤沢合唱団、鵠沼公民館を練習場として発足 公民館記録 
1980 昭和55     加藤徳右衛門『藤沢郷土史』(原本は『現在の藤澤』昭和8年刊行)、復刻 鵠沼82号
1981 昭和56 1   阿部 昭、随筆集『みやげの小石』(作品社)を刊行 鵠沼98号
1981 昭和56 2 24 書家=川口芝香(1896-1981、鵠沼松が岡3-8-6)、没 別冊文化人
1981 昭和56 2   阿部 昭、絵本『こんなものひろった』(婦人之友社)を刊行 鵠沼98号
1981 昭和56 3 1 写真家=影山光洋(1907-1981、鵠沼石上)、没 別冊文化人
1981 昭和56 3 31 鵠沼公民館広報委員会、「くげぬま」第9号(最終号)を刊行して解散 公民館記録 
1981 昭和56 3   阿部 昭、絵本『大きな木の下で』(婦人之友社)を刊行 鵠沼98号
1981 昭和56 3   〜1982.6、阿部 昭、「単純な生活」を『婦人之友』に28回連載 鵠沼98号
1981 昭和56 3   藤沢市中央図書館、『わが住む里 第32号』刊行(「私と鵠沼」掲載) わが住む里
1981 昭和56 3   旧近藤邸(1925年辻堂に別荘として建てられた和洋折衷の建物)、保存のため鵠沼東の市民会館隣に移築 WEBsite
1981 昭和56 4 10 高木和男(会員)、『鵠沼海岸百年の歴史』刊行 鵠沼18号
1981 昭和56 4   阿部 昭、心臓の不調で9日間入院 鵠沼98号
1981 昭和56 4   鵠沼公民館、文化講座シリーズ「フランス文化講座」 公民館記録 
1981 昭和56 4   「鵠沼民踊クラブ」、発足 公民館記録 
1981 昭和56 5 1 「鵠沼社交ダンス同好会」、発足 公民館記録 
1981 昭和56 5 21 「なでしこ会(華道)」、発足 公民館記録 
1981 昭和56 6 1 「サークル・ボビン(洋裁)」、発足 公民館記録 
1981 昭和56 6 2 鵠沼在住の高橋 良氏より古代文化遺産3500点が市に寄贈される(高橋コレクション) 市史年表稿
1981 昭和56 6 27 「鵠沼ブリッジクラブ(コントラクトブリッジ競技)」、発足 公民館記録 
1981 昭和56 7 15 湘南カヌースポーツクラブ発足 WEBsite
1981 昭和56 9   阿部 昭、『十二の風景』(河出書房新社)を刊行 鵠沼98号
1981 昭和56 10 25 藤沢市民交響楽団、鵠沼小学校演奏会 WEBsite
1981 昭和56 11 1 「太極拳古舞枝(こぶし)の会」、発足 公民館記録 
1981 昭和56 11 1 鵠沼出身のロックシンガー=白井貴子、デビューシングル「内気なマイボーイ」でメジャーデビュー WEBsite
1981 昭和56 11 14 〜15、第5回鵠沼地区公民館まつり 公民館記録 
1981 昭和56 11   講談社、(日本現代文學全集 / 伊藤整 [ほか] 編 ; 24)『芥川龍之介集』豪華版 -- 改訂増補を刊行 同書
1981 昭和56 11   阿部 昭、母=ハル、死去。評論随筆集『散文の基本』(福武書店)を刊行 鵠沼98号
1981 昭和56 12 10 「鵠沼宝生会(謡曲/仕舞)」、発足 公民館記録 
1981 昭和56     「淡水会(書道)」、発足 公民館記録 
1981 昭和56     藤沢市文書館、『藤沢の南部-明治・鵠沼・村岡-』(ふじさわの歴史シリーズ 4)を刊行 同書
1982 昭和57 1 1 鵠沼公民館のしおり、刊行(表紙:青紙に黒崎義介画伯の子犬の絵) 公民館記録 
1982 昭和57 2 12 鵠沼公民館ホールで「聶耳生誕70周年記念の集い」、日中両国関係者により開催される 市史年表稿
1982 昭和57 3 5 公民館・俳句の会共催映画会「奥の細道」、開催 公民館記録 
1982 昭和57 3 11 鵠沼公民館、「鵠沼公民館20年のあゆみ」を刊行 公民館記録 
1982 昭和57 3 30 鵠沼公民館、講演会「激動の世界を語る」講師:筑紫哲也、開催 公民館記録 
1982 昭和57 3   指揮者=福永陽一郎、鵠沼藤が谷からみその台に転居 鵠沼89号
1982 昭和57 3   藤沢市中央図書館、『わが住む里 第33号』刊行(「私と鵠沼・鵠沼の野草」掲載) わが住む里
1982 昭和57 4   阿部 昭、「桃」が[Oszibarack]としてCzina Erzsebetのハンガリー語訳で刊行 鵠沼98号
1982 昭和57 5   「さつき会(レクダンス・フォークダンス)」、発足 公民館記録 
1982 昭和57 7 25 中国留学生約70名、聶耳記念碑を訪問 市史年表稿
1982 昭和57 8   阿部 昭、『単純な生活』(講談社)を刊行 鵠沼98号
1982 昭和57 9   〜1983.8 阿部 昭、「変哲もない一日」を『文藝』に24回連載 鵠沼98号
1982 昭和57 10 1 高木和男(会員)、『鵠沼海岸百年の歴史増補補正版』刊行 百年の歴史
1982 昭和57 10 4 声楽家=川崎静子(鵠沼海岸2-10-30)、没 別冊文化人
1982 昭和57 11 3 「しおさい」編集委員会、藤沢市教育文化貢献者間感謝会で市民文化の向上に貢献したとして表彰を受ける 公民館記録 
1982 昭和57 11 6 〜7、第6回鵠沼地区公民館まつり 公民館記録 
1982 昭和57 11   阿部 昭、『まどろむ入江』(福武書店)を刊行 鵠沼98号
1983 昭和58 2   藤沢ジュニアオーケストラ発足、鵠沼公民館で初練習 WEBsite
1983 昭和58 4   阿部 昭、長編小説「緑の年の日記」を『海燕』に11回連載 鵠沼98号
1983 昭和58 5   「藤沢中国語サークル」、発足 公民館記録 
1983 昭和58 5   「華道クラブ」、発足 公民館記録 
1983 昭和58 6 15 「リリー会(ジャズダンス体操)」、発足 公民館記録 
1983 昭和58 9 16 〜18『くげぬまの50年』展、鵠沼公民館にて開催 鵠沼17号
1983 昭和58 10 9 〜10、藤沢市民オペラ、『ウィリアム・テル』日本初演 カーテンコール
1983 昭和58 10   「鵠沼卓球サークル」、発足 公民館記録 
1983 昭和58 11 5 〜6、第7回鵠沼地区公民館まつり。テーマ『和と輪』、「子ども討論会」を実施 公民館記録 
1983 昭和58 11   「グーテンターククライス(ドイツ語サークル)」、発足 公民館記録 
1983 昭和58     洋画家/湘南中学→高校教諭=塚本茂(1903-1983、鵠沼橘2-13-2)、没 30日美術館
1984 昭和59 1 22 神奈川地域史研究会発足 市史年表稿
1984 昭和59 2   阿部 昭、『阿部 昭全作品』全8巻(福武書店刊)を刊行 鵠沼98号
1984 昭和59 3 25 市教委社会教育課『藤沢市文化財調査報告書第19集』を刊行(服部清道:中世に於ける藤沢市域の石造文化財板碑下) 文化財報告19
1984 昭和59 4 1 日本ボーイスカウト神奈川連盟 藤沢第21団、鵠沼海岸7-10-20藤沢聖マルコ教会を本部に第1団から分封 WEBsite
1984 昭和59 4 25 思想評論家=林 達夫(1896.11.20-1984)、鵠沼桜が岡2-1-26の自宅で没[個性きらめく] 鵠沼83号
1984 昭和59 4   阿部 昭、「まどろむ入江」が[A Napping Cove]として英訳 鵠沼98号
1984 昭和59 5   阿部 昭、『緑の年の日記』(福武書店)を刊行 鵠沼98号
1984 昭和59 7 1 福地誠一(会員)、写真集『鵠沼の五十年』刊行 鵠沼96号
1984 昭和59 8 12 童画家=黒崎義介(1905-1984)、鵠沼海岸5-1-11にて没 義介絵と生涯
1984 昭和59 8   阿部 昭、『変哲もない一日』(河出書房新社)を刊行 鵠沼98号
1984 昭和59 9 14 林 達夫、福田清人、布川角左衛門/編著『第一書房 長谷川巳之吉』(日本エディタースクール出版部)、刊行 同書
1984 昭和59 11 24 市民集会「みんなでつくろうふれあいの輪-老後の生き方・家庭のしつけ-」、鵠沼公民館で開催 公民館記録 
1984 昭和59     小説家=村上春樹(1949-)、千葉県船橋市より鵠沼海岸3丁目に転居 WEBsite
1985 昭和60 3 7 書誌学者=森 銑三(1895. 9.11-1985、鵠沼海岸3-)、没。墓所(分骨):鵠沼万福寺 鵠沼79号
1985 昭和60 3   『藤沢市史料(29)─鵠沼研究資料集[正]─服部清道編』、刊行 鵠沼77号
1985 昭和60 3   藤沢市中央図書館、『わが住む里 第36号』刊行(「クゲヌマラン・鵠沼断想 1」掲載) わが住む里
1985 昭和60 3   「鵠沼時代の野呂栄太郎」刊行委員会、『鵠沼時代の野呂栄太郎』(アテネ書店)を刊行 同書
1985 昭和60 4 1 「ボーイスカウト藤沢21団」、発足 公民館記録 
1985 昭和60 4 1 「女声合唱団藍の会」、発足 公民館記録 
1985 昭和60 4 25 匠秀夫、『岸田劉生の鵠沼時代と「白樺」〈武者小路実篤と白樺美術展特集〉』を発表[神奈川近代文学館] 近代文学館8号
1985 昭和60 5 1 会員・鵠沼書店店主=福地誠一、没 鵠沼96号
1985 昭和60 6 1 「鯉学塾(りがくじゅく=俳句サークル)」、発足 公民館記録 
1985 昭和60 7 14 聶耳を偲ぶ会開催(鵠沼公民館) 市史年表稿
1985 昭和60 10 23 〜28、『高橋コレクション』一般公開(市民ギャラリー) 市史年表稿
1985 昭和60 11 3 横浜国大教授=見上敬三、第34回神奈川文化賞受賞 WEBsite
1985 昭和60 12 3 ガラス工芸作家=各務鑛三(1896-1985 鵠沼海岸7-18-2)、没 別冊文化人
1985 昭和60 12 16 文芸評論家=葛巻義敏(芥川龍之介の甥 1918-1985)、鵠沼海岸の妹=葛巻左登子宅で急性心不全にて没 鵠沼69・75・83号
1985 昭和60     小説家=村上春樹(1949-)、鵠沼海岸より東京千駄ヶ谷に転居 WEBsite
1986 昭和61 1   「サークル カトレア(フォークダンス)」、発足 公民館記録  
1986 昭和61 2 1 テレビ神奈川、テレビ広報『ニェ・アール物語』放映 市史年表稿
1986 昭和61 3 聶耳記念碑保存会、鵠沼海岸2-18に聶耳没後五十周年記念レリーフ(制作:菅沼五郎)を造立 文化財報告5
1986 昭和61 3   鵠沼海岸2-18に聶耳記念碑の由来碑(聶耳記念碑保存会会長葉山峻銘)、造立 文化財報告5
1986 昭和61 3   『藤沢市史料(30)─鵠沼研究資料集[続]─服部清道編』、刊行 鵠沼77号
1986 昭和61 3   藤沢市中央図書館、『わが住む里 第37号』刊行(「鵠沼寺院考・鵠沼断想 2」掲載) わが住む里
1986 昭和61 5 26 NHK総合テレビ、「ぐるっと海道3万キロ 砂のなぎさは値千金 〜相模湾〜」を放映。鵠沼も舞台 NHKアーカイブス
1986 昭和61 8   阿部 昭、評論集『短編小説礼讃』(岩波新書)を刊行 鵠沼98号
1986 昭和61 11 1 〜2、第10回鵠沼地区公民館まつり『育てよう、ふれあいの輪』 公民館記録 
1986 昭和61 11 7 心理学者=相良守次(1903-1986、鵠沼海岸5-13-6)、入院先の鎌倉の病院で心不全のため没 別冊文化人
1986 昭和61 12 19 「湘南椿の会(園芸・盆栽)」、発足 公民館記録 
1986 昭和61 12   長崎透、短篇小説集『漁火』(詩季社)を刊行 同書
1987 昭和62 3 1 「七宝焼金曜会」、発足 公民館記録
1987 昭和62 3   藤沢市総合市民図書館、『わが住む里 第38号』刊行(「鵠沼断想 3」掲載) わが住む里
1987 昭和62 4   藤沢市、「ふるさとまっぷ鵠沼地区」刊行 鵠沼37号
1987 昭和62 4   阿部 昭、『阿部 昭十八の短篇』(福武書店)を刊行 鵠沼98号
1987 昭和62 4   鵠沼子供の家運営委員会、結成 活動推進センター
1987 昭和62 5 17 藤沢JC、第8回歴史散歩(鵠沼神明→本鵠沼→鵠沼海岸4km。小学生1000名以上が参加) 鵠沼37号
1987 昭和62 5 24 「大船高校吹奏楽部OB会」、発足。鵠沼公民館で活動開始 公民館記録
1987 昭和62 8 9 鵠沼海岸で日本初のビーチバレー公式大会「ビーチバレー・ジャパン」開催 市史年表稿
1987 昭和62   藤沢音楽院、「藤沢音楽家協会」と改称。これを機に、協会員の組織を生徒から指導者に変更 WEBsite
1987 昭和62 9   阿部 昭、『エッセーの楽しみ』(岩波新書)を刊行 鵠沼98号
1987 昭和62 10 26 元(財)神奈川県団地住宅福祉協会役員=持田まさお、句集『鵠沼(鶴叢書第206編)』(竹頭社)を刊行 WEBsite
1987 昭和62 10 31 〜11/1、第11回鵠沼地区公民館まつり『育てよう、ふれあいの輪』 公民館記録
1987 昭和62 10   中央公論社、中公文庫として岸田麗子『父岸田劉生』を刊行 同書
1987 昭和62 10   中央公論社、中公文庫として勝部真長『青春の和辻哲郎』を刊行 同書
1987 昭和62 11 7 心理学者=相良守次(1903-1987)、鵠沼海岸5-13-6にて没 毎日新聞
1987 昭和62     鵠洋小学校PTAコーラス、「鵠沼女声合唱団」と改称して再発足 WEBsite
1987 昭和62     持田まさお、『句集鵠沼』(竹頭社 鶴叢書 第206編)を刊行 同書
1988 昭和63 3 22 神奈川県県民部の選んだ「かながわ文学100選」に志賀直哉の『鵠沼行』・阿部 昭『子供部屋』を選定 市史年表稿
1988 昭和63 4   阿部 昭、『挽歌と記録』(講談社)を刊行 鵠沼98号
1988 昭和63 5   新関一杜、句集『鵠沼抄』(白凰社, 京鹿子叢書 ; 第141編)を刊行 Webcat Plus
1988 昭和63 7 15 宮坂覺、『東家と<鵠沼文人村> 〈神奈川文学散歩展特集〉』を発表[神奈川近代文学館21号] 近代文学館21
1988 昭和63 7 31 磯部 俶邸内に「いそべサロン」が完成 WEBsite
1988 昭和63 8 7 NHK、「一点中継・つくる 日本画家 加山又造」を放送。鵠沼のアトリエで収録 NHK
1988 昭和63 10 29 第12回鵠沼地区公民館まつりを休止(天皇病気のため) 公民館の歩み
1988 昭和63 11 16 〜27、市民ギャラリーで「黒崎義介展」開催 市史年表稿
1988 昭和63 11 24 作家=広津桃子(1918-1988)、鵠沼桜が岡3-16-18にて没 享年70 別冊文化人
1988 昭和63 11   安藤 寛、第4歌集『二水以後』を刊行 市史年表稿
1988 昭和63 11   阿部 昭、『父と子の連作』(福武書店)を刊行 同書
1988 昭和63 12 16 鵠沼皇大神宮人形山車9台、藤沢市有形民俗文化財に指定 鵠沼97号
1988 昭和63     「鵠沼女性史サークル」、発足 公民館記録
1988 昭和63     スポーツカイトのアメリカのトップチーム「TOP OF THE LINE」が来日し、鵠沼海岸で映画撮影を行う Wikipedia
1989 平成 1 1 17 「サークル赤い花(レクダンス)」、発足 公民館記録
1989 平成 1 1 22 国内初のスタントカイト競技会、鵠沼海岸で開催 WEBsite
1989 平成 1 3 15 歴史学者=江口朴郎(1911-1989)、鵠沼橘2-5-12にて没。享年77。墓所:鵠沼万福寺 朴郎文庫目録
1989 平成 1 3   藤沢市総合市民図書館、『わが住む里 第40号』刊行(「鵠沼拾遺」掲載) わが住む里
1989 平成 1 5 19 阿部 昭、午後0時30分に急性心不全のため辻堂東海岸で没。享年55。墓所:鵠沼本真寺 鵠沼97号
1989 平成 1 8 4 〜7、鵠沼海岸で第3回ビーチバレージャパン大会開催 市史年表稿
1989 平成 1 10 28 〜29、第13回鵠沼地区公民館まつり『育てよう、ふれあいの心と文化』 公民館の歩み
1989 平成 1 12 10 鵠沼海岸で来年開かれる「サーフ90」会場の起工式挙行 市史年表稿
1989 平成 1     日本画家=佐多芳郎、鵠沼藤が谷2-11-32から横浜市港北区綱島に転居 別冊文化人
1989 平成 1     旧近藤邸、かながわの建築物100選に選定 現地調査
1990 平成 2 1   聶耳記念碑保存会、『聶耳物語』刊行 市史年表稿
1990 平成 2 2 10 指揮者=福永陽一郎、没 享年63 鵠沼87号
1990 平成 2 2   湘南コール・グリューン指揮者 福永陽一郎→佐々木修 WEBsite
1990 平成 2 3 26 雅楽奏者=多 忠麿、芸術院賞受賞 市史年表稿
1990 平成 2 3   鵠沼サッカースポーツ少年団、結成 WEBsite
1990 平成 2 4 1 「鵠洋コーラス」、発足 公民館記録
1990 平成 2 4 1 「ストレッチサークル潮風」、発足 公民館記録
1990 平成 2 4 29 〜10/10、イベント「Sagamiwan Urban Resort Festival in 1990(SURF'90)」開催 海岸開発史
1990 平成 2 4   「彩(あや)の会(ひらがな書道)」、発足 公民館記録
1990 平成 2 5   講談社、講談社文芸文庫として阿部 昭『大いなる日 ; 司令の休暇』を刊行 同書
1990 平成 2 6   筑摩書房、稻垣達郎 [ほか] 編『齋藤緑雨全集』巻1 - 巻8を刊行開始(-2000.1) 同書
1990 平成 2 8 27 市文書館で「黒崎よし介の描いた藤沢」展開催 市史年表稿
1990 平成 2 9 25 鵠沼室内楽愛好会結成。第1回鵠沼サロンコンサート「加藤知子リサイタル」をレールブランシュで開催 WEBsite
1990 平成 2 10 13 藤沢市、市制50周年記念『藤沢文学展〜個性きらめく人と作品〜』を開催 東屋旅館物語
1990 平成 2 10 27 〜28、第14回鵠沼地区公民館まつり『育てよう、ふれあいの心と文化』 公民館の歩み
1990 平成 2 10   阿部 昭、『猫に名前をつけすぎると』(福武書店)刊行 鵠沼98号
1990 平成 2 10   松岡磐木著『ひよどりの凪の海』刊行 鵠沼75号
1990 平成 2     (社)相模湾アーバンリゾート・フェスティバル1990協会、湘南海岸公園中央入口にサーフ'90開催記念碑を造立 現地調査
1990 平成 2     毎日新聞社、『岸田劉生 : 麗子と鵠沼風景図録』 '91生誕百年記念として刊行 同書
1991 平成 3 2 8 故福永陽一郎のレリーフが市に寄贈される 市史年表稿
1991 平成 3 2   新城弘三(1972年より鵠沼在住。91歳)、青梅マラソンで最高年齢の部に出場して優勝 鵠沼62号
1991 平成 3 3   藤沢市総合市民図書館、『わが住む里 第42号』刊行(「「末枯」と鵠沼・久保田万太郎」掲載) わが住む里
1991 平成 3 4   小学館、(群像日本の作家 / 大岡信, 高橋英夫, 三好行雄編 ; 11)後藤明生[ほか]『芥川龍之介』を刊行 同書
1991 平成 3 5 1 「サース・ナイト・ジャム(コンボジャズバンド)」、発足 公民館記録
1991 平成 3 6 4 混声合唱団「波」、設立 WEBsite
1991 平成 3 6   鵠沼海岸で世界初のビーチタッチフットボールのプレイベント開催。12チームが参加 WEBsite
1991 平成 3 10 1 「ふれあいコーラス」、設立 WEBsite
1991 平成 3 10 26 〜27、第15回鵠沼地区公民館まつり『ドキ・ドキ!ワク・ワク!くげぬまドリーム』 公民館記録
1991 平成 3 12 23 東京大学名誉教授(西洋史)=村川堅太郎(1907-1991)、没 鵠沼76号
1992 平成 4 1   阿部 昭、『阿部 昭集』全14巻(岩波書店刊)刊行 鵠沼98号
1992 平成 4 4 1 「藤合奏団(弦楽)」、発足 公民館記録
1992 平成 4 4   「ピン・クッション(パッチワーク)」、発足 公民館記録
1992 平成 4 6   鵠沼公民館、ミニコミ「Create」第一号発刊 公民館記録
1992 平成 4 8 26 〜27、鵠沼海岸で第6回ビーチバレージャパン大会開催 市史年表稿
1992 平成 4 9 4 佐川英三詩碑、鵠沼橘の自宅の一隅に設立 現地調査
1992 平成 4 9 5 市民集会「小さな意見を、大きく育てよう」、開催 公民館記録
1992 平成 4 10 1 財団法人藤沢市芸術文化振興財団、鵠沼東8-1に設立 WEBsite
1992 平成 4 10 24 〜25、第16回鵠沼地区公民館まつり『ドキ・ドキ!ワク・ワク!くげぬまドリーム』 公民館記録
1992 平成 4 11 22 詩人=佐川英三(1913-1992、鵠沼橘)、没 別冊文化人
1992 平成 4 11   新人物往来社、(地図に刻まれた歴史と景観 : 明治・大正・昭和 ; 1)高木勇夫編著『藤沢市』を刊行 同書
1992 平成 4     藤沢市、「ふるさとまっぷ鵠沼地区1992」刊行 同書
1992 平成 4     画家=小林哲夫、鵠沼海岸1丁目から片瀬海岸2-18へ転出 別冊文化人
1993 平成 5 1 9 歌人=安藤 寛(1892-1993、鵠沼桜が岡4-)、没。享年100 別冊文化人
1993 平成 5 1 22 「湘拳クラブ(太極拳)」、発足 公民館記録
1993 平成 5 1   「湘南アマデウス合唱団」、発足 公民館記録
1993 平成 5 2   毎日新聞記者=野口 元(1939-1993 鵠沼海岸5 松岡静雄の孫)、没 鵠沼70号
1993 平成 5 2   青藍鵠沼支部、合同歌集『青徑』を刊行 WEBsite
1993 平成 5 3 5 混声合唱団「波」、鵠沼混声“波"に名称変更 WEBsite
1993 平成 5 3   市議会市民図書館がビデオ『海のかがやき―藤沢近代の文士たち(2)』を作成 市史年表稿
1993 平成 5 3   「おにんどん会(料理実習)」、発足 公民館記録
1993 平成 5 4 1 「きつつき会(鎌倉彫)」、発足 公民館記録
1993 平成 5 4 1 「鵠沼ヨガクラブ」、発足 公民館記録
1993 平成 5 4 6 「プラサード(ヨガ)」、発足 公民館記録
1993 平成 5 4 12 教育史学者=加藤仁平(1894-1993 鵠沼藤が谷1丁目)、没 WEBsite
1993 平成 5 5 30 第1回ジュニアオープンサーフィン選手権大会、鵠沼海岸で開催 WEBsite
1993 平成 5 5   「なぎさ会(環境・社会問題サークル)」、発足 公民館記録
1993 平成 5 5   「くげぬま探求クラブ(地域でのボランティア活動)」、発足 公民館記録
1993 平成 5 6 6 「シニア探険クラブ」第1回企画会(参加者 5名) WEBsite
1993 平成 5 6   高木和男、『踏み拓いた峠道―葉山又三郎とふゆ子の記録』(菜根出版)刊行 踏み拓いた峠道
1993 平成 5 7 28 〜8/1、鵠沼海岸で第7回ビーチバレージャパン大会開催 市史年表稿
1993 平成 5 8   「シニア探険クラブ」、「くげぬま探求クラブ」と改称 WEBsite
1993 平成 5   鵠沼公民館サマースクール参加者、〈鵠沼ジュニアコール〉結成 WEBsite
1993 平成 5 9 1 「鵠沼スポーツチャンバラクラブ」、発足 公民館記録
1993 平成 5 9 18 〜19、鵠沼海岸で全日本ライフセービング選手権大会開催 市史年表稿
1993 平成 5 10 16 「鵠沼ジュニアコール」、発足 公民館記録
1993 平成 5 10 22 〜24、第17回鵠沼地区公民館まつり『楽しさいっぱい 夢いっぱい ドリーミィ鵠沼』「古本市」開始 公民館記録
1993 平成 5 11   「藤沢友の会鵠沼支部」、発足 公民館記録
1993 平成 5 11   ぎょうせい、(ふるさと文学館 ; 第17巻)清原康正責任編集『神奈川1』を刊行 同書
1994 平成 6 1   大山道・江之島道など、「かながわ古道五十選」決まる 市史年表稿
1994 平成 6 2 24 藤沢青年会議所、ビデオ『引地川―源流から海まで―』を制作 市史年表稿
1994 平成 6 4 1 「FUNKID'S鵠沼(小学生のダンス教室)」、発足 公民館記録
1994 平成 6 4 2 くげぬま探求クラブ、鵠沼公民館を拠点に正式発足。会員相互の親睦と研鑽、地域に役立つ活動を目指す WEBsite
1994 平成 6 6 29 地理学者=有賀密夫、藤沢市民病院で没。自宅:鵠沼桜が岡4-9-8 有賀氏遺稿集
1994 平成 6 6 29 刀剣研磨師(重要無形文化財)=小野光敬(おの・こうけい 1913-1994 鵠沼石上)、没 WEBsite
1994 平成 6 6   福武書店、福武文庫として阿部 昭『未成年と12の短篇』を刊行 同書
1994 平成 6 7 30 鵠沼海岸で「かながわゆめ国体開催記念第2回ビーチバレー湘南」開催 市史年表稿
1994 平成 6 9 23 知的障害者の地域作業所「よし介工芸館」で童画家故黒崎義介胸像除幕式 市史年表稿
1994 平成 6 9   「パンチュール ペイザンヌ(トールペイント)」、発足 公民館記録
1994 平成 6 10 4 「サンクラス(英会話)」、発足 公民館記録
1994 平成 6 10 15 女声合唱団「藍の会」第1回演奏会(ファミリーコンサート) WEBsite
1994 平成 6 10 17 (荒木)蕉窓句碑、万福寺境内に造立 現地調査
1994 平成 6 11 2 〜3、第18回鵠沼地区公民館まつり『楽しさいっぱい 夢いっぱい ドリーミィ鵠沼』 公民館記録
1994 平成 6 11   鵠沼公民館、「第一回おもしろ邦楽コンサート」開催 公民館記録
1994 平成 6 12 19 宮内庁楽部奏者。重要無形文化財=多 忠麿(-1995 鵠沼海岸1-12-6)、没 神奈川新聞
1994 平成 6     湘南コール・グリューン指揮者 佐々木修→榊原哲 WEBsite
1995 平成 7 2 27 聶耳の兄、市長を表敬訪問、聶耳記念碑に献花 市史年表稿
1995 平成 7 2   中央公論社、『森銑三著作集 続編 第15巻』を刊行(「鵠沼海岸雑筆」掲載) 同書
1995 平成 7 3   混声合唱団「波」、鵠沼混声“波"に名称変更 WEBsite
1995 平成 7 4 1 「鵠沼シーサイドソシアルクラブ(社交ダンス)」、発足 公民館記録
1995 平成 7 4   PHP研究所、PHP文庫として勝部真長『若き日の和辻哲郎』を刊行 同書
1995 平成 7 5 1 「般若心経友の会」、発足 公民館記録
1995 平成 7 7 12 鵠沼公民館で第4回神奈川の中国セミナー「聶耳記念碑設立から藤沢・昆明友好提携へ」開催 市史年表稿
1995 平成 7 7 17 鵠沼海岸で聶耳碑前祭開催 市史年表稿
1995 平成 7 7 26 鵠沼海岸で「男子ビーチバレーボール世界選手権シリーズ江の島大会」開催 市史年表稿
1995 平成 7 8 15 『平和の像』大理石。彫刻:熊坂兌子、碑文:葉山峻。鵠沼東奥田公園多目的広場に戦後50年を記念して造立 現地調査
1995 平成 7 8   ぎょうせい、(ふるさと文学館 ; 第18巻)清原康正責任編集『神奈川2』を刊行 同書
1995 平成 7 10 1 「鵠沼川柳同好会」、発足 公民館記録
1995 平成 7 10 28 〜29、第19回鵠沼地区公民館まつり『楽しさいっぱい 夢いっぱい ドリーミィ鵠沼』 公民館記録
1995 平成 7 11 22 鵠沼公民館で国際理解講座「開発途上国で活躍する日本人ボランティア」開催 市史年表稿
1995 平成 7 12   南消防署跡地(鵠沼東)に『核兵器廃絶平和祈念像』完成 20世紀藤沢
1995 平成 7     藤沢市、広報誌『わたしの藤沢』(28号)刊行。東屋旅館の記事・写真に誤りあり 鵠沼78号
1996 平成 8 1   市広報課、広報ビデオ『フレスコ画のパイオニア長谷川路可の世界』を作成 市史年表稿
1996 平成 8 2 1 「トロピカルフレンズ(ハワイアンバンド)」、発足 公民館記録
1996 平成 8 2 29 葛巻左登子(会員)、湘南中央病院へ緊急入院→芥川龍之介関連の本類、書き物等一切を文書館に寄託=葛巻文庫 鵠沼75号
1996 平成 8 4 18 「侘助の会(茶花の入れ方の勉強)」、発足 公民館記録
1996 平成 8 4   「俳画松友会」、発足 公民館記録
1996 平成 8 4   「ふじさわ市民ミュージカル」、発足 公民館記録
1996 平成 8 7 20 鵠沼海岸で聶耳碑前祭開催 市史年表稿
1996 平成 8 9 1 「ももっこ(親子総合あそび)」、発足 公民館記録
1996 平成 8 9 8 鵠沼運動公園に保存・展示されている蒸気機関車「しおかぜ号」誘致20周年を記念した「SLまつり」開催 市史年表稿
1996 平成 8 10 26 〜27、第20回鵠沼地区公民館まつり『楽しさいっぱい 夢いっぱい ドリーミィ鵠沼』 公民館記録
1996 平成 8 12 31 日本画家=加藤東一(1916-1996)、鵠沼桜が岡2-5-15にて肺炎のため没。享年80 別冊文化人
1996 平成 8 12   「近代史を語る会」、発足 公民館記録
1996 平成 8     逸見千鶴子、歌集『薔薇真紅添いとげ得しと』(逸見千鶴子作品集)を刊行 別冊文化人
1997 平成 9 1 10 「写鵠会(しゃこうかい=写真)」、発足 公民館記録
1997 平成 9 3 10 俳優=萬屋(中村)錦之介(1932-1997、鵠沼桜が岡3-17-24)、没 別冊文化人
1997 平成 9 4 1 「ケイキ フラ レイラニ(青少年フラ)」、発足 公民館記録
1997 平成 9 4 1 「長久保公園 ハーブサークル」、発足 公民館記録
1997 平成 9 4 3 「シーサイド太極拳クラブ」、発足 公民館記録
1997 平成 9 4   「岳風会(詩吟)」、発足 公民館記録
1997 平成 9 6 1 「布のおもちゃ パル」、発足 公民館記録
1997 平成 9 10 1 日本画家=故・加藤東一(1916-1996 鵠沼桜が岡2-5-15)、藤沢市名誉市民に推挙 WEBsite
1997 平成 9 10 25 〜26、第21回鵠沼地区公民館まつり 公民館記録
1997 平成 9 11 1 歌手・俳優=小坂一也(鵠沼松が岡2-5-25)、食道癌で没。享年62 別冊文化人
1997 平成 9 11 25 高三啓輔(会員)、『鵠沼・東屋旅館物語』刊行 東屋旅館物語
1997 平成 9     花らんぷ(画廊)、本鵠沼2-16-25に開業 商工名鑑
1998 平成10 1   ホクレアマミーズクラフト、鵠沼海岸2-17-5ホクレアサーフボード内で開講 WEBsite
1998 平成10 4 1 「ナーレイフル ケイキ ナオナオ(子どもフラ)」、発足 公民館記録
1998 平成10 4 1 「ナーレイフル ケイキ プエオ(子どもフラ)」、発足 公民館記録
1998 平成10 4 1 「ケイキ フラ レイラニ(子どもフラ)」、発足 公民館記録
1998 平成10 4 1 「フラ カサブランカ」、発足 公民館記録
1998 平成10 4 1 「プルメリア(フラ)」、発足 公民館記録
1998 平成10 4 1 「KAPUAOKA NAUPAKA ROKO」、発足 公民館記録
1998 平成10 4 1 「KID'S DANCE」、発足 公民館記録
1998 平成10 4 1 「ヨガ・ディアナ」、発足 公民館記録
1998 平成10 4 1 「K-GIRL'S DANCE」、発足 公民館記録
1998 平成10 4 1 「編物サークル」、発足 公民館記録
1998 平成10 4 1 「アンナの会(人形製作)」、発足 公民館記録
1998 平成10 4   「アールグレイ(卓球)」、発足 公民館記録
1998 平成10 5 1 「パンの会」、発足 公民館記録
1998 平成10 5   「タップダンスの会」、発足 公民館記録
1998 平成10 6 29 「ひつじの会(パン教室)」、発足 公民館記録
1998 平成10 6 30 「湘南空手サークル」、発足 公民館記録
1998 平成10 6   高瀬笑子、『鵠沼断想』(武蔵野書房)を刊行 同書
1998 平成10 6   講談社、(講談社カルチャーブックス ; 126)として『立原正秋の鎌倉 : 立原幹と歩く』を刊行 同書
1998 平成10 7 1 「ラウンドダンス エリカ」、発足 公民館記録
1998 平成10 7 4 作詞家=水木かおる(鵠沼桜が岡1-4-10。本名・奥村聖二)、心不全で藤沢市民病院で没。享年71 WEBsite
1998 平成10 7 17 日本芸能百撰会・創韻会会長=杵屋五十郎、没。享年83 別冊文化人
1998 平成10 7 17 聶耳記念碑広場で碑前祭開催 市史年表稿
1998 平成10 8 30 「ケアラウラオカラニフラハラウ(女性フラ)」、発足 公民館記録
1998 平成10 8 30 「ケアラウラオカラニフラハラウ ケイキ(青少年フラ)」、発足 公民館記録
1998 平成10 8   海岸清掃後にコンサートを楽しむ「ベアフットコンサートin鵠沼1998」、鵠沼海岸で始まる WEBsite
1998 平成10   小説家=佐江衆一(財団法人「神奈川文学振興会』理事)、藤沢市へ「東屋」記念碑の設置を提唱 鵠沼81・82号
1998 平成10 10 17 〜18、第22回鵠沼地区公民館まつり 公民館記録
1998 平成10 11 10 藤沢市側の担当者と佐江衆一、元市教育長小山文雄、『鵠沼を語る会』編集委員、「東屋」記念碑相談会 鵠沼81・82号
1998 平成10 11 22 藤沢市民オペラ『リエンツィ・最後の護民官』を本邦初演 WEBsite
1998 平成10 11 25 作曲家=磯部 俶(1917-1998)、鵠沼松が岡2-5-20にて没。享年81 WEBsite
1998 平成10 12 1 「成城 KULA LEA(ハワイアンバンド)」、発足 公民館記録
1998 平成10 12 2 日本陸連名誉会長=織田幹雄(1905-1998 鵠沼海岸2-11-17-106)、没 享年93 市史年表稿
1998 平成10 12 17 「東屋記念碑設置検討委員会」としては最初の会合→現地視察 鵠沼81・82号
1998 平成10 12 19 高三啓輔(会員)著『鵠沼・東屋旅館物語』、第12回大衆文学研究賞を受賞 市史年表稿
1998 平成10     海都(かいと=演劇・朗読サークル) 公民館記録
1999 平成11 1 4 〜2/7、市民ギャラリーで『高橋コレクション展』開催 市史年表稿
1999 平成11 1 15 「アクティブショウナニアン藤沢(海外ロングステイ企画)」、発足 公民館記録
1999 平成11 1 19 「東屋記念碑設置検討委員会」、記念館建設も話題に出たが、記念碑建設にしぼる 鵠沼81・82号
1999 平成11 1 29 日本画家=加山又造、第6回井上靖文化賞を受賞(絵画部門で初) 市史年表稿
1999 平成11 1   岩波書店、(志賀直哉全集 / 志賀直哉著 ; 第2巻)『大津順吉 ; 范の犯罪』を刊行 同書
1999 平成11 3   藤沢市総合市民図書館、『わが住む里 第48号』刊行(「講演記録「鵠沼・東屋旅館について」高三啓輔」掲載) わが住む里
1999 平成11 3   「ヴァンヴュール・アンサンブル(弦楽)」、発足 公民館記録
1999 平成11 4 1 鵠沼水彩会(拠点=鵠沼公民館、初代会長:佐藤順子、講師:志賀幹司(藤沢美術家協会会員))、発足 公民館記録
1999 平成11 4 19 彫刻家=菅沼五郎(1906-1999、鵠沼松が岡1-22-2)、没。享年93 別冊文化人
1999 平成11 5   第2鵠沼洋画会、発足(鵠沼洋画会の水彩部門) WEBsite
1999 平成11 6 21 友禅作家=田島比呂子(本名 田島 博、鵠沼海岸2-17-1-413)、国の重要無形文化財(人間国宝)に指定 鵠沼97号
1999 平成11 7 1 「ひなの会(日本舞踊)」、発足 公民館記録
1999 平成11 7 17 斉藤孝治著『聶耳 閃光の生涯』刊行 市史年表稿
1999 平成11 7 20 第1回かんぽ杯・海の日記念ビーチバレー大会、鵠沼海岸で開催 市史年表稿
1999 平成11 8 28 海岸清掃後にコンサートを楽しむ「ベアフットコンサートin鵠沼1999」、鵠沼海岸で開催 市史年表稿
1999 平成11 9 2 金田元彦、『私の鵠沼日記 : 大佛次郎・幸田文の思い出』(風間書房)を刊行 私の鵠沼日記
1999 平成11 9 6 「鵠沼彩墨会」、発足 公民館記録
1999 平成11 9   第二鵠沼洋画会(拠点=鵠沼公民館、初代会長:稲川勉)、鵠沼洋画会の水彩部門として発足 WEBsite
1999 平成11 10 1 友禅作家=田島比呂子(本名 田島 博、鵠沼海岸2-17-1-413)、藤沢市名誉市民に推挙 WEBsite
1999 平成11 10 10 第23回SLまつり、鵠沼運動公園で開催 市史年表稿
1999 平成11 10 23 〜24、第23回鵠沼地区公民館まつり『手をつなごう!アットホーム鵠沼』 公民館記録
1999 平成11     日本画家=上田臥牛(1920.8.16-1999)、鵠沼橘2-1-13にて没 享年79 上田臥牛展
2000 平成12 2 8 「ヤングハーツ(音楽慰問)」、発足 公民館記録
2000 平成12 4 1 特定非営利活動法人「藤沢ラグビー蹴球倶楽部」(鵠沼藤が谷1-3-4)、設立 WEBsite
2000 平成12 4 1 「車椅子レクダンス普及会藤沢支部」、発足 公民館記録
2000 平成12 4 11 「東屋記念碑設置検討委員会」、具体的作業に入る 鵠沼81・82号
2000 平成12 4   「ル・レーブ(女声合唱)」、発足 公民館記録
2000 平成12 5   日本初のビーチアルティメット大会『江橋カップ(江橋慎四郎名誉顧問の名を冠す)』を鵠沼海岸で開催 WEBsite
2000 平成12 6 1 「カラコレス(スペイン舞踊)」、発足 公民館記録
2000 平成12 6 1 「オレンジサークル(料理実習)」、発足 公民館記録
2000 平成12 6 2 特定非営利活動法人 藤沢ラグビー蹴球倶楽部(鵠沼藤が谷1-3-4)、設立登記 神奈川県
2000 平成12 6 6 俳人=飯島晴子(1921-2000。1948-1960鵠沼海岸4丁目の市営住宅に住む)、自死 飯島晴子読本
2000 平成12 9 20 鵠沼の渡辺邸と文化財を考える会。講師:生涯学習課水谷主幹 鵠沼81号
2000 平成12 9   「設置検討委員会」で東屋記念碑の姿などについて最終的な論議にはいる 鵠沼82号
2000 平成12 10 1 「オルオルフォア」、発足 公民館記録
2000 平成12 10 1 「写新会(しゃしんかい写真)」、発足 公民館記録
2000 平成12 10 14 鵠沼海岸でベアフットコンサート開催 WEBsite
2000 平成12 10 28 〜29、第24回鵠沼地区公民館まつり『手をつなごう!アットホーム鵠沼』 公民館記録
2000 平成12 10 31 最後の「設置検討委員会」会から提出した説明板の文章案を全委員で検討修正し、佐江氏に一任 鵠沼82号
2000 平成12 10   藤沢市、『市民が語る60年-市制60周年記念-』を刊行 同書
2000 平成12 11 3 早稲田大学名誉教授=堀内和夫(鵠沼松が岡3-20-16)、電子情報通信分野の発展に貢献で勲三等旭日中授章 WEBsite
2000 平成12 11 29 鵠沼の渡辺邸と文化財を考える会杉山和彦ほか1,094人、藤沢市議会に「渡辺邸の保存に関する陳情」提出 WEBsite
2000 平成12 12 1 「ナウパカ フラ サークル」、発足 公民館記録
2000 平成12 12 1 「たんぽぽの会(食育)」、発足 公民館記録
2000 平成12 12 6 藤沢市議会文教常任委員会、「渡辺邸の保存に関する陳情」について質疑。全員異議なく、結論保留 WEBsite
2000 平成12     「プアレイ・ウクレレ・サークル」、発足 公民館記録
2000 平成12     「エレウ フォア(フラ)」、発足 公民館記録
2000 平成12     藤沢市、「ふるさとまっぷ鵠沼地区2000」刊行 同書
2001 平成13 1 2 TBSテレビ、「新春!途中下車の旅」で鵠沼の大斎藤家を紹介 鵠沼82号
2001 平成13 1 10 「童謡 風ぐるま」、発足 公民館記録
2001 平成13 1 15 鵠沼桜が岡郵便局、鵠沼皇大神宮例大祭の原町地区人形山車、富士山をデザインした風景印を制作・発表 WEBsite
2001 平成13 1 15 鵠沼駅前郵便局、松、江ノ電電車、富士山をデザインした風景印を制作・発表 WEBsite
2001 平成13 3 3 藤沢南口郵便局、藤沢駅前情景、江ノ電電車、市花・フジをデザインした風景印を制作・発表 WEBsite
2001 平成13 3 22 「東屋記念碑」設置記念式典(鵠沼公民館)→除幕式(鵠沼海岸2-8-26) 鵠沼82号
2001 平成13 3   小説家=原雅子、小説『冷泉為村と摂津富田本照寺』(自照社出版)を刊行 WEBsite
2001 平成13 4 1 「ハイビスカス ウクレレ クラブ」、発足 公民館記録
2001 平成13 4 1 「キルトハウス(パッチワークキルト学習)」、発足 公民館記録
2001 平成13 4 10 藤沢橘通郵便局、藤沢メダカと江ノ電をデザインした風景印を制作・発表 鵠沼85号
2001 平成13 4 14 画家=荒木襄太郎、没 享年84(鵠沼桜が岡2丁目) 荒木襄太郎展
2001 平成13 5 5 作家=佐江衆一、文芸誌「潮」6月号に随筆『鵠沼の東屋旅館』を寄稿 WEBsite
2001 平成13 6 1 ぶらり鵠沼編集部(シニア向けミニコミ誌の発行) 公民館記録
2001 平成13 7 1 「ひまわり(ストレッチ)」、発足 公民館記録
2001 平成13 7 4 〜9/19、フジテレビドラマ『Fighting Girl』(鵠沼でもロケ)、放映 フジテレビ
2001 平成13 7 10 作家=佐江衆一、情報誌「有鄰」No.404に『鵠沼の東屋旅館と芥川龍之介』を寄稿 有鄰No.404
2001 平成13 7 15 作家=佐江衆一、『芥川龍之介と鵠沼の東屋 〈寄稿・大正の文学〉』を発表[神奈川近代文学館73号] 同書
2001 平成13 8 14 海岸清掃後にコンサートを楽しむ「ベアフットコンサートin鵠沼2001」、片瀬西浜で開催 WEBsite
2001 平成13 8   湘南KUGENUMA委員会、ビーチクリーン、レゲエ音楽イベントや地域活性化のためにスタート Wikipedia
2001 平成13 9 1 「ベビーぴよぴよ0、1(乳児親子あそび)」、発足 公民館記録
2001 平成13 9 25 「絵手紙 ひまわり会」、発足 公民館記録
2001 平成13 10 1 「ギリシャ哲学研究会」、発足 公民館記録
2001 平成13 10 1 「ボーイスカウト藤沢21団育成会」、発足 公民館記録
2001 平成13 10 27 〜28、第25回鵠沼地区公民館まつり『手をつなごう!アットホーム鵠沼』 公民館記録
2001 平成13 10 30 環境省、『鵠沼、金木犀の住宅街』を「全国かおり風景100選」に選定 WEBsite
2001 平成13 10   歌人=海野冨久子(鵠沼在住)、歌集『猫徑』(ふらんす堂)を刊行 WEBsite
2001 平成13 11 3 第1回鵠沼落語会〜三遊亭栄楽独演会〜(鵠沼海岸商店街主催) WEBsite
2001 平成13 11 3 〜8、ラブピースくげぬま2001 『忘れられないあの日-広島・長崎被爆者の詞画集-』パネル展開催 WEBsite
2001 平成13 11   講談社、講談社文芸文庫『戦後短篇小説再発見』を刊行。「鵠沼西海岸」 阿部 昭を掲載 同書
2001 平成13 12 1 季刊地域誌『探検隊』、14鵠沼号を刊行 探検隊
2001 平成13 12 1 「湘南手話ダンスサークル MOMO★KID'S」、発足 公民館記録
2001 平成13     作曲家=島根 恵、2ヴァイオリン,チェロのための小品組曲『湘南鵠沼海岸の想い出』を発表 WEBsite
2002 平成14 1 1 百瀬篤、『鵠沼海岸象景-1996-2001 百瀬篤写真集-』(遊人工房)を刊行 同書
2002 平成14 1 19 鵠沼の緑と文化財を守る会、シンポジウム「鵠沼の緑と文化財はだれのものか」開催。会から資料提供 鵠沼84号
2002 平成14 3 1 「ひばり(室内楽演奏)」、発足 公民館記録
2002 平成14 3 7 J-COM湘南藤沢局、しおかぜ湘南-文学散歩を放映 鵠沼84号
2002 平成14 3 23 第3回全国めだかシンポジウム(日本めだかトラスト協会主催)、藤沢市民会館で開催 鵠沼84・85号
2002 平成14 3 30 慶応大名誉教授・仏文学者=大久保洋海(鵠沼松が岡1-4-1)、没 享年93 毎日新聞
2002 平成14 4 1 「渡辺邸と文化財を考える会」、「鵠沼の緑と文化財を守る会」として再発足 公民館記録
2002 平成14 4 1 「MOMMY BOON藤沢(ダンス)」、発足 公民館記録
2002 平成14 4 1 「Baby Bics(ジャズダンス体操)」、発足 公民館記録
2002 平成14 4 19 〜25、J-COM湘南藤沢局、市広報番組パステルタイムで鵠沼を語る会の活動を報道 鵠沼85号
2002 平成14 5 21 『運河四十五年 ―もう一つの湘南文化史―』、刊行。湘南文化人交流の舞台となった居酒屋を紹介 運河四十五年
2002 平成14 6 1 〜9/7、2002 湘南ビーチサッカーシリーズ、鵠沼海岸『ラブ・ユア・ビーチ湘南藤沢』特設コートで開催 WEBsite
2002 平成14 6   「絵手紙 虹の会」、発足 公民館記録
2002 平成14 8 21 旧近藤邸(鵠沼東8-1に移転)、国指定有形文化財(建造物)に登録 WEBsite
2002 平成14 8 23 〜29、J-COM湘南藤沢局、市広報番組パステルタイムで鵠沼を語る会の活動を再放送 WEBsite
2002 平成14 9 12 地域紙「リベルタ」、藤沢版で『華ひらいた鵠沼文化展』を報道 リベルタ
2002 平成14 9 22 海岸清掃後にコンサートを楽しむ「ベアフットコンサートin鵠沼2002」、鵠沼海岸で開催 WEBsite
2002 平成14 9 25 広報ふじさわ9月25日号、1面のトピックス「伝えていきたい藤沢の歴史」として東屋を紹介 広報ふじさわ
2002 平成14 9 27 「ぴよぴよ2(親子運動あそび・造形)」、発足 公民館記録
2002 平成14 9 27 読売新聞、湘南版「湘南20世紀物語」で『蜃気楼』と題し鵠沼時代の芥川を掲載。鵠沼を語る会も紹介 読売新聞
2002 平成14 9 27 〜10/3、J-COM湘南藤沢局、市広報番組ウィークリー藤沢で『華ひらいた鵠沼文化展』を報道 鵠沼85号
2002 平成14 10 19 藤沢市生涯学習大学かわせみ学園、レディオ湘南で開講。小山文雄:『潮風のたより〜文士たちの藤沢〜』 WEBsite
2002 平成14 10 21 言語学者=田中隆尚(1918-2002)、鵠沼桜が岡2にて没。享年83 鵠沼87号
2002 平成14 10 26 〜27、第26回鵠沼地区公民館まつり『手をつなごう!アットホーム鵠沼』 公民館記録
2002 平成14 11 13 男声合唱団「ヤングブラザース」(社会人団体・鵠沼探求クラブ内の組織)、発足 公民館記録
2002 平成14     鵠沼ローカルビーチバレー(KLB)、結成 WEBsite
2002 平成14     「ストレッチサークル潮風」、発足 公民館記録
2003 平成15 2 1 「手造りの会(料理)」、発足 公民館記録
2003 平成15 2 11 元学習院大教授、元明治大教授、国文学=木村正中(鵠沼橘2-5-11)、没 享年76 毎日新聞
2003 平成15 2 14 〜3/20、藤沢市民ギャラリー常設展示室「30日美術館」で『荒木襄太郎展』開催 広報ふじさわ
2003 平成15 3 2 鵠沼中3年生中村真梨花(15)、女流育成会で12勝3敗で1位となり、女流棋士2級としてプロデビュー WEBsite
2003 平成15 3 15 鵠沼を舞台にした東宝映画『青の炎』、公開 WEBsite
2003 平成15 3   カテリーナ(フォークダンス) 公民館記録
2003 平成15 3   藤沢市総合市民図書館、『わが住む里 第52号』刊行(「鵠沼の草分け 高瀬弥一 倪倉健」掲載) わが住む里
2003 平成15 4 1 「デイジー(手話サークル)」、発足 公民館記録
2003 平成15 4 1 「レイ・ハリア(ハワイアン)」、発足 公民館記録
2003 平成15 4 1 「シャドウボックス・クラブ(工作)」、発足 公民館記録
2003 平成15 4 1 「松涛会(社交ダンス)」、発足 公民館記録
2003 平成15 4 1 「スコティッシュ メイト(フォークダンス)」、発足 公民館記録
2003 平成15 4 10 「鵠南フットボールクラブ後援会」、発足 公民館記録
2003 平成15 5 28 東海大名誉教授、老年病学=五島雄一郎(鵠沼松が岡1-2-14)、没 享年80 毎日新聞
2003 平成15 6   小林尹夫、『窓は夢想 : 芥川龍之介を巡る文学・詩歌の旅』(新風舎)を刊行 同書
2003 平成15 7 30 湘南海岸のサーファーの草分け=小川秀之(1946-2003)、急性心不全で没 WEBsite
2003 平成15 7   「浜木綿(はまゆう=俳句サークル)」、発足 公民館記録
2003 平成15 7 30 読売新聞、『湘南20世紀物語』を刊行。100ページに鵠沼を語る会を紹介 同書
2003 平成15 8 1 Robert A. Juhl, Ph.D.(鵠沼藤が谷)、論文“The Goddess, the Dragon, and the Island"を発表 WEBsite
2003 平成15 8 16 深谷百合子(長谷川路可の次女・宇都宮市在住)ら遺族、長谷川路可の絵画作品22点を藤沢市に寄贈 WEBsite
2003 平成15 8   圭室文雄監修 平野雅道執筆『藤沢・茅ヶ崎今昔写真帖-保存版-』(郷土出版社)刊行 同書
2003 平成15 9 30 「藤沢長唄連盟」、発足 公民館記録
2003 平成15 9 30 〜10/5、『寄贈絵画紹介・長谷川路可展(第1回)』、鵠沼市民センター 郷土資料展示室で開催 WEBsite
2003 平成15 10 8 「poco a poco(フルート合奏)」、発足 公民館記録
2003 平成15 10 8 〜12/10、TBSドラマ『恋文〜私たちが愛した男』(鵠沼でもロケ)、放映 TBS
2003 平成15 10 25 〜26、第27回鵠沼地区公民館まつり『手をつなごう!アットホーム鵠沼』 公民館記録
2003 平成15 10 26 NHK教育テレビ、『新日曜美術館〜百人の麗子〜』放映。取材協力:鵠沼を語る会 NHK教育TV
2003 平成15 10   藤沢市生涯学習大学かわせみ学園、レディオ湘南で開講。小山文雄:『芥川そして鵠沼』全10回 WEBsite
2003 平成15 10   湘南マンドリン・アンサンブル、発足 公民館記録
2003 平成15 11 9 歌手=井口小夜子(1914-2003 桜が岡4-4-8)、急性呼吸不全のため鎌倉市の病院で没 享年89 毎日新聞
2003 平成15 11 18 〜12/21、藤沢市民ギャラリー常設展示室[30日美術館]で『上田臥牛展〜新しい日本画への挑戦〜』開催 WEBsite
2003 平成15 11 28 〜12/4、J-COM湘南藤沢局、市広報番組パステルタイムで「鵠沼郷土資料展示室」正式オープンを報道 J-COM
2003 平成15 12 1 鵠沼市民センター「鵠沼郷土資料展示室」、正式オープン。〜2/29記念展『鵠沼の歴史をひもとく』開催 郷土資料展示室
2003 平成15 12 20 原健、『サマーデイズ?伝説のサーファー大野薫・スタイルの記憶』(幻冬舎)を刊行 同書
2003 平成15     内藤喜嗣、『私達が愛し、誇りとする鵠沼海岸からの富士山の眺望-ダイヤモンド富士をGetしよう-』を刊行 同書
2003 平成15     「サンクラス(英会話サークル)」、発足 公民館記録
2004 平成16 1 17 〜3/13、日本テレビドラマ『彼女が死んじゃった』(鵠沼でもロケ)、放映 日本テレビ
2004 平成16 1 28 「T.Kの会(英語学習サークル)」、発足 公民館記録
2004 平成16 1   「BOY'S DANCE(子どものダンス)」、発足 公民館記録
2004 平成16 2 1 「PCサークル・くげぬま」、発足 公民館記録
2004 平成16 3 23 「ファミリー会(地域ボランティア活動)」、発足 公民館記録
2004 平成16 3 23 〜6/30、鵠沼郷土資料展示室第2回企画展『鵠沼が生んだ世界的画家―長谷川路可展』開催 郷土資料展示室
2004 平成16 4 1 「湘南バリ舞踊の会」、発足 公民館記録
2004 平成16 4   パソコンサークル「PCボランティア・くげぬま」、鵠沼公民館で発足 WEBsite
2004 平成16 4   「ちるどれんず・ぶっく(絵本・児童書の研究・読書会)」、発足 公民館記録
2004 平成16 4 25 第1回 SHOPSHOP&LITTLEFISH CUP(サーフィン大会) 、鵠沼プールガーデン前で開催 WEBsite
2004 平成16 5 8 「Barefook Sing-a-thon 33989 はだしの音楽隊日本縦断33989km」が鵠沼海岸からスタート WEBsite
2004 平成16 6 16 井上妙子(長谷川路可『妙子女史像』のモデル、長岡輝子の姉。鵠沼松が岡4-10-10)、没。享年101 長岡四姉妹
2004 平成16 6   「幼児サークル BOO(英語が遊び、工作、リトミック)」、発足 公民館記録
2004 平成16 7 8 〜9/16、テレビ朝日ドラマ『南くんの恋人-第3作』(鵠沼でもロケ)、放映 テレビ朝日
2004 平成16 7 15 〜9/15、鵠沼郷土資料展示室第2回常設展『海浜リゾート鵠沼の移り変わり』開催 郷土資料展示室
2004 平成16 7 16 「カロケメレメレフラサークル」、発足 公民館記録
2004 平成16 7   「子どものサークル Four Seasons(工作・絵画)」、発足 公民館記録
2004 平成16 8 1 「鵠沼三線クラブゆんた」、発足 公民館記録
2004 平成16 8 20 声楽家、元武蔵野音大教授=井崎千恵(本名=林嘉代。鵠沼松が岡2-14-12)、老衰のため没。享年95 毎日新聞
2004 平成16 8 21 アテネオリンピックのセーリング男子470級で関一人選手(鵠沼海岸)、轟賢二郎選手組が銅メダルを獲得 毎日新聞
2004 平成16 9   小説家=原雅子、句集『日夜』(ふらんす堂)を刊行 WEBsite
2004 平成16 10 15 〜1/15、鵠沼郷土資料展示室第3回企画展『鵠沼の祭りと年中行事』開催 郷土資料展示室
2004 平成16 10 23 〜24、第28回鵠沼地区公民館まつり『手をつなごう!アットホーム鵠沼』 公民館記録
2004 平成16 11 1 「マイペース ヨガの会」、発足 公民館記録
2004 平成16 11 1 「パームフラ」、発足 公民館記録
2004 平成16 11 3 「鵠沼コンブリオ・オーケストラ(ビッグバンド)」、発足 公民館記録
2004 平成16 11 16 〜12/18、藤沢市民ギャラリー常設展示室[30日美術館]で『菅沼五郎展』開催 広報ふじさわ
2004 平成16 11   「手音(しゅおん=手話サークル)」、発足 公民館記録
2004 平成16 12   川本三郎、『我もまた渚を枕 : 東京近郊ひとり旅』(晶文社)を刊行 同書
2004 平成16 12   フラワーサークル アンシャンテ(フラワーアレンジメント)、発足 公民館記録
2005 平成17 1 1 「おどらせや(太鼓)」、発足 公民館記録
2005 平成17 1 5 「相続遺言研究会」、発足 公民館記録
2005 平成17 1 16 〜3/20、TBSドラマ『Mの悲劇 (日曜劇場) 』(鵠沼でもロケ)、放映 TBS
2005 平成17 1 20 「湘南室内アンサンブル」、発足 公民館記録
2005 平成17 1   「アンサンブル・リノ(室内楽)」、発足 公民館記録
2005 平成17 2 15 〜5/15、鵠沼郷土資料展示室第3回常設展『藤澤駅南口周辺の変遷/なつかしの学舎No1鵠沼小学校』開催 郷土資料展示室
2005 平成17 2 25 原雅子(会員)、短編小説集『鵠沼』(同成社)を刊行 鵠沼
2005 平成17 3   玉川文化財研究所、『神奈川県藤沢市 鵠沼横須賀遺跡 発掘調査報告書』を刊行 同書
2005 平成17 4 1 「鵠沼歌声クラブ(カラオケ)」、発足 公民館記録
2005 平成17 4 1 「チギリ絵会」、発足 公民館記録
2005 平成17 4 1 「ききょうの会(手編)」、発足 公民館記録
2005 平成17 4 28 「うめグループ(食生活改善推進活動)」、発足 公民館記録
2005 平成17 5 12 黒崎義介画伯作品保存会、童画や日本画、デッサンなど1011点とスケッチブック98冊などを藤沢市に寄贈 朝日新聞
2005 平成17 5 30 『長岡輝子の四姉妹』(鈴木美代子著、草思社)出版(鵠沼松が岡で撮影した四姉妹の表紙) 同書
2005 平成17 6 1 「桜色の会(社交ダンス)」、発足 公民館記録
2005 平成17 6 15 〜9/15、鵠沼郷土資料展示室第4回企画展『あれから60年 戦中・戦後の鵠沼』開催 郷土資料展示室
2005 平成17 6   田中淳、『画家がいる「場所」 : 近代日本美術の基層から』(ブリュッケ, 星雲社)を刊行 同書
2005 平成17 8 9 〜21、寄贈絵画紹介「生誕100年黒崎よし介展」(市民ギャラリー)開催 広報ふじさわ
2005 平成17 9 1 「エンジョイライフ湘南(国内外のロングステイ経験)」、発足 公民館記録
2005 平成17 10 4 〜11/6、藤沢市30日美術館「塚本茂展〜油彩の輝きを謳う〜」 開催 30日美術館
2005 平成17 10 5 「ピラティスの会(ヨガ)」、発足 公民館記録
2005 平成17 10 23 〜12/25、TBSドラマ『恋の時間』(鵠沼でもロケ)、放映 TBS
2005 平成17 11 5 〜6、第二九29回鵠沼地区公民館まつり『手をつなごう!アットホーム鵠沼』 公民館記録
2005 平成17 11 28 「はっち(シェイプアップエクササイズ)」、発足 公民館記録
2005 平成17 11 29 「Kid's チアダンス RIPPERS」、発足 公民館記録
2005 平成17 11 29 旧東屋旅館海浜口の石畳改修工事完成。門柱跡にプレート設置(市教委) 現地調査
2005 平成17 12 1 「ナウパカ ケイキ(フラ)」、発足 公民館記録
2005 平成17 12 1 「ナウパカ ケイキ 初級(フラ)」、発足 公民館記録
2005 平成17 12 1 「ナウパカ フラサークル ワヒネ」、発足 公民館記録
2005 平成17     湘南考古学同好会、『湘南考古学同好会々報 第100号』を刊行(「本鵠沼大東の辻の道祖神」掲載) 同書
2006 平成18 1 1 東洋考古学者・京都大名誉教授=林巳奈夫(1925-2006、鵠沼桜が岡2-1-26)、急性心不全で没。享年80 各メディア
2006 平成18 1 1 〜9/30、NHKBS1、ドラマ『ケータイ刑事 銭形雷』(鵠沼でもロケ)、放映 NHK
2006 平成18 1 22 元日本陸上競技連盟常務理事=伊藤貫三(鵠沼松が岡1-21-21)、肺炎のため没。享年97 毎日新聞
2006 平成18 1 28 「藤沢太極拳研究会」、発足 公民館記録
2006 平成18 2   NHKデジタル総合テレビ、「百歳バンザイ! 友達いっぱい!湘南ライフ(藤沢市・手塚俊男さん)」を放映 NHKアーカイブス
2006 平成18 2 15 〜5/15、鵠沼郷土資料展示室、『なつかしき学び舎その2湘南学園・鵠沼村の時代』開催 郷土資料展示室
2006 平成18 3 20 鵠沼中学校のサッカー部OBによるフットサルTEAM『Don ☆ Pisha』、結成 WEBsite
2006 平成18 3   医師=本田一壽、『湘南雑記』(新風舎)を刊行。鵠沼にも触れる 湘南雑記
2006 平成18 4 1 「ゼビュロス湘南(フルートアンサンブル)」、発足 公民館記録
2006 平成18 4 1 「クローバー(ウォーク)」、発足 公民館記録
2006 平成18 4 1 「カパラウ・ウル(パッチワーク)」、発足 公民館記録
2006 平成18 4 1 本鵠沼在住の葉山陽一郎監督の映画『君はまだ、無名だった。』、公開(鵠沼は出ないが周辺各地でロケ) WEBsite
2006 平成18 5 18 「パンプキン(手芸、ビーズアクセサリー作り)」、発足 公民館記録
2006 平成18 6 8 鵠沼海岸で映画「悪い組織」に使う写真の撮影 WEBsite
2006 平成18 6 15 〜9/15、鵠沼郷土資料展示室、『鵠沼海岸別荘地の開発と変遷』開催 郷土資料展示室
2006 平成18 6 17 鵠沼海岸でもロケをしたYUI、塚本高史主演の映画『タイヨウのうた』、公開 WEBsite
2006 平成18 7 11 藤沢市生涯学習大学かわせみ学園、本宮一男:『湘南の地域開発からみる藤沢の近現代史』開講 WEBsite
2006 平成18 7 14 〜9/15、TBS金曜ドラマ『タイヨウのうた』、オンエア(鵠沼海岸でロケ) WEBsite
2006 平成18 7 27 竢o版、『湘南スタイルエリアガイド2 鵠沼 辻堂 茅ヶ崎』を出版 竢o版
2006 平成18 8 18 サーフビレッジ南側前庭に日本ビーチバレー発祥の地記念碑のオブジェ(日比野克彦作)建立 神奈川新聞
2006 平成18 8   長谷川郁夫、『美酒と革嚢 : 第一書房・長谷川巳之吉』(河出書房新社)を刊行 同書
2006 平成18 9 17 江ノ電沿線新聞社主=吉田克彦、『湘南讃歌』(江ノ電沿線新聞社)を刊行。鵠沼にも触れる 湘南讃歌
2006 平成18 10 10 湘南工科大付属高等学校水泳部員=立石 諒(鵠沼神明)、第61回国体200m平泳ぎで2分12秒33高校新で優勝 各メディア
2006 平成18 10 14 〜12/16、日本テレビドラマ『たったひとつの恋』(鵠沼でもロケ)、放映 日本テレビ
2006 平成18 10 15 〜1/14、鵠沼郷土資料展示室、『駅周辺商店街の移り変わり/鵠沼公民館のあゆみ』開催 郷土資料展示室
2006 平成18 10 21 〜22、第30回鵠沼地区公民館まつり『手をつなごう!アットホーム鵠沼』 公民館記録
2006 平成18 10 24 インディーズの8人組バンド「5050」、新曲『真夏の鵠沼』を発表 日刊スポーツ
2006 平成18 11 10 「JOYS★(親子リトミック)」、発足 公民館記録
2006 平成18 11 29 ASIAN KUNG-FU GENERATION、NEWシングルで『鵠沼サーフ』を発表 エンタメニュース
2007 平成19 1 26 江幡 清(元朝日新聞論説主幹・取締役、鵠沼松が岡4-10-10)、心不全で没。享年92 朝日新聞
2007 平成19 1 28 TV朝日『グレートマザー物語・究極の宝…中島誠之助』放映、鵠沼時代の紹介に有田会長が出演 TV朝日
2007 平成19 2 15 〜5/15、鵠沼郷土資料展示室、『なつかしき学び舎その3鵠洋小学校・思い出の鵠沼スナップ』開催 郷土資料展示室
2007 平成19 2 25 「ちゃんぷるー(沖縄音楽)」、発足 公民館記録
2007 平成19 3 18 第1回湘南国際マラソン大会、江の島〜二宮間の国道134号往復コースで開催 各メディア
2007 平成19 3 19 地域新聞「辻堂タイムス」、『鵠沼今昔物語』連載開始(資料提供:鵠沼郷土史料展示室) 辻堂タイムス
2007 平成19 3   藤沢市総合市民図書館、『わが住む里 第56号』刊行(「幻の鵠沼蘭は生きていた 番場定孝」掲載) わが住む里
2007 平成19 4 1 「ウクレレ・ビアーズ」、発足 公民館記録
2007 平成19 4 1 「あひるクラブ(育児・家庭教育)」、発足 公民館記録
2007 平成19 4 10 〜6/19、日本テレビドラマ『セクシーボイスアンドロボ』(鵠沼でもロケ)、放映 日本テレビ
2007 平成19 4 22 鵠沼海浜公園スケートパークで「バーティカルランプ」を使用する大会「FLAKE R-MANIA」を開催 湘南経済新聞
2007 平成19 4 30 「TRIPPA(楽器演奏)」、発足 公民館記録
2007 平成19 4   「英語を学び直す会」、発足 公民館記録
2007 平成19 4   「エールワイス(混声合唱)」、発足 公民館記録
2007 平成19 6 1 女性プロボディーボーダー3人のドキュメンタリー映画「ADOR(アドア)」公開(鵠沼海岸でもロケ) 各メディア
2007 平成19 6 15 〜9/15、鵠沼郷土資料展示室、『知っておこう鵠沼の災害 昔・今・これから』開催 郷土資料展示室
2007 平成19 6 25 「hug hug(育児・家庭教育)」、発足 公民館記録
2007 平成19 6 30 日本テレビドラマ『どうぶつ119』(鵠沼でもロケ)、放映 日本テレビ
2007 平成19 6   「KoKoLo(ヨガ)」、発足 公民館記録
2007 平成19 7 17 「ゆうじ(シェイプアップエクササイズ)」、発足 公民館記録
2007 平成19 8   原雅子(会員)、小説『江戸の鬼才上田秋成』(樂書舘楽書ブックス)を刊行 同書
2007 平成19 9 7 TBSドラマ『マラソン』(鵠沼でもロケ)、放映 TBS
2007 平成19 10 16 〜2008/1/15、鵠沼郷土資料展示室、『想い出の童画家 黒崎よし介さん』開催 郷土資料展示室
2007 平成19 10 23 藤沢市生涯学習大学かわせみ学園、伊藤 一美:『大庭御厨と人々のくらし〜「天養記」の世界から〜』開講 WEBsite
2007 平成19 10 25 〜12/13、テレビ朝日『木曜ドラマ・おいしいごはん 鎌倉・春日井米店』(鵠沼でもロケ)、放映 テレビ朝日
2007 平成19 10 27 〜28、第31回鵠沼地区公民館まつり『手をつなごう!アットホーム鵠沼』 公民館記録
2007 平成19 10   少年野球チーム=鵠沼ブレーブス、鵠沼小学校を拠点に発足 WEBsite
2007 平成19 10   鵠沼里山の会、結成 活動支援センター
2007 平成19 11 11 「心理カウンセリング潮風」、発足 公民館記録
2007 平成19 11 13 元鵠沼公民館長=松敏夫(本鵠沼2-9-11)、没 享年88 現地調査
2007 平成19 12   鵠沼海岸のビーチバレー常設コートにてビーチテニス無料体験会を開催(日本初) WEBsite
2008 平成20 2 15 〜5/15、鵠沼郷土資料展示室、『なつかしき学び舎その4鵠沼中学校・続黒崎よし介展』開催 郷土資料展示室
2008 平成20 2 18 特定非営利活動法人 小笠原流・小笠原教場(鵠沼海岸2-17-4)、設立登記 神奈川県
2008 平成20 2 19 〜3/23、藤沢市30日美術館「〜炎の中から〜 クリスタルガラス 各務鑛三展」、市民ギャラリーで開催 広報ふじさわ
2008 平成20 3 4 サーフビレッジ展示室、県立湘南海岸公園開設50周年記念展示「海岸の歴史」 現地調査
2008 平成20 3 25 「鵠沼英語クラブ」、発足 公民館記録
2008 平成20 3 30 「ハワイアン同好会 フアリリ」、発足 公民館記録
2008 平成20 3   玉川文化財研究所、『鵠沼横須賀遺跡第2地点発掘調査報告書』を刊行 同書
2008 平成20 3   鵠沼仲東バードゴルフクラブ、発足 WEBsite
2008 平成20 3   「アシュタンガ・ヨガ・クゲヌマ」、発足 公民館記録
2008 平成20 3   「サークル BOO BABY(リトミック英語あそび)」、発足 公民館記録
2008 平成20 4 1 「鵠沼景観まちづくり会」、発足 公民館記録
2008 平成20 4 1 「フェアリーハウス フラワーサークル(フラワーアレンジメント)」、発足 公民館記録
2008 平成20 4 1 「ぽちぽち(子育て生活に関する交流会)」、発足 公民館記録
2008 平成20 4 1 「おひさま(3歳児保育・勉強会)」、発足 公民館記録
2008 平成20 4 4 〜9、北京オリンピック日本卓球選手団、秩父宮記念体育館で公式練習 各メディア
2008 平成20 4 11 「FIZエクササイズ」、発足 公民館記録
2008 平成20 4   パソコンサークル(PCボランティア・くげぬま)、鵠沼公民館で発足 WEBsite
2008 平成20 5 15 「中国・台湾文化研究会」、発足 公民館記録
2008 平成20 5 18 第1回鵠沼ハワイアンフェスティバル、湘南海岸公園芝生広場で開催 Website
2008 平成20 5 19 詩人=浜田知章(鵠沼海岸7-20-18)、没 享年:88 各メディア
2008 平成20 5 19 「Kbow(楽器演奏)」、発足 公民館記録
2008 平成20 5 28 「フローラル(ピラティス)」、発足 公民館記録
2008 平成20 6 7 公民館主催 カンガルースクール2008〜子育ては振り返れば至宝の日々「子育てパパ力を考えよう」 公民館記録
2008 平成20 6 15 〜9/15、鵠沼郷土資料展示室、『思い出の湘南遊歩道〜海水浴場開設から122年〜』開催 郷土資料展示室
2008 平成20 6   「からだnavi(ヨガ)」、発足 公民館記録
2008 平成20 7 21 wowwow、海の日記念特集としてドキュメンタリー『日本サーフィン伝説』放映。鵠沼郷土資料展示室取材協力 wowwow
2008 平成20 7 21 〜9/22、フジテレビ、『太陽と海の教室』(奥田公園・鵠沼海岸でもロケ)を放映 フジテレビ
2008 平成20 7 22 「さねかずらの会(野草観察のハイキング)」、発足 公民館記録
2008 平成20 8 10 鵠沼野外音楽祭2008 @ 鵠沼海岸特設ステージ(主催:CLUB JACK EVENTPRODUCERさくぞう)、開催 Website
2008 平成20 9 15 「アンサンブル・プレットロ藤沢(マンドリン・ギター)」、発足 公民館記録
2008 平成20 9   「カイアウル(フラ)」、発足 公民館記録
2008 平成20 9   「ナーレイフル ケイキ(フラ)」、発足 公民館記録
2008 平成20 10 1 「ヒイラベ(バンド演奏)」、発足 公民館記録
2008 平成20 10 8 元藤沢市民短歌会会長=杉原幸子(故杉原千畝夫人)、心筋梗塞で没。享年94 各メディア
2008 平成20 10 15 〜2009/1/15、鵠沼郷土資料展示室、『マイアミビーチ市姉妹都市提携50周年記念展』開催 郷土資料展示室
2008 平成20 10 18 〜19、第32回鵠沼地区公民館まつり『手をつなごう!アットホーム鵠沼』 公民館記録
2008 平成20 10 26 〜27、湘南鵠沼常設コートで日本ビーチテニス連盟主催の第1回鵠沼Beach Tennis オープン大会開催 WEBsite
2008 平成20 11 24 サンバ・バンド=湘南情熱楽団、湘南海岸公園サーフビレッジで活動を開始 WEBsite
2008 平成20 12 1 「レイフル ワヒネ(フラ)」、発足 公民館記録
2009 平成21 1 10 「hohoemi YOGA」、発足 公民館記録
2009 平成21 2 2 鵠南小学校校歌作詞者・初代PTA会長=菊池正次、没(在川名) 各メディア
2009 平成21 2 15 〜5/15、鵠沼郷土資料展示室、『鵠沼新道かいわいの変貌/思い出の学び舎part5鵠南小学校』開催 郷土資料展示室
2009 平成21 3 1 「サン シャイン(ストレッチ)」、発足 公民館記録
2009 平成21 3 4 〜3/10、藤沢市渉外課、小田急百貨店7Fで『マイアミビーチ市姉妹都市提携50周年記念写真展』開催 現地調査
2009 平成21 5 9 オフィスキタ配給の映画『海の上の君は、いつも笑顔』(鵠沼でもロケ)、公開 各メディア
2009 平成21 5 15 「湘南シュタイナー研究会(リズム体操)」、発足 公民館記録
2009 平成21 5 18 「Yoga Nympha(ヨガ ニンファ)」、発足 公民館記録
2009 平成21 6 16 〜9/15、鵠沼郷土資料展示室、『鵠沼公民館開設50周年記念展・・・歴史と市民のさまざまな活動・・・』開催 郷土資料展示室
2009 平成21 10 15 〜1/15、鵠沼郷土資料展示室、『鵠沼公民館開設50周年記念展・歴史と市民のさまざまな活動part2』開催 郷土資料展示室
2009 平成21 10 17 国際テニス連盟の公認大会「湘南国際ビーチテニストーナメント」日本初のG3開催 各メディア
2009 平成21 10 31 鵠沼公民館、開設50周年記念式典開催。裏庭に楷ノ木を記念植樹 現地調査
2009 平成21 11 7 〜8、鵠沼地区公民館まつり 現地調査
2010 平成22 1 7 NHK総合テレビ、ドラマ『とめはねっ!鈴里高校書道部』放送開始。「鵠沼高校」が登場 NHK
2010 平成22 2 16 〜5/15、鵠沼郷土資料展示室、『鵠沼海岸商店街の110年・思い出の学び舎part6湘洋中学校』開催 郷土資料展示室
2010 平成22 3 19 『藤沢市制施行70周年記念写真集 ふるさと藤沢』(郷土出版社)、刊行。(執筆:鵠沼を語る会会員) 同書
2010 平成22 4 22 プロゴルファー=河野高明(鵠沼海岸2-17-24)、没。享年70 各メディア
2010 平成22 5 15 藤沢市制70周年記念TUBEコンサート「シーサイド バイブレーション」、サーフビレッジ前で開催。3万人を動員 現地調査
2010 平成22 7 16 国の文化審議会、「旧後藤医院鵠沼分院」を国の登録有形文化財(建造物)に登録するよう文科相に答申 各メディア
2010 平成22 7 24 藤沢合唱団、創立30周年を記念して「はす池・コーラスの集い」を開催 現地調査
2010 平成22 7 25 鵠沼海岸商店街のまちおこし事業「第1回鵠沼海岸映画祭」開催。グランプリ作品『ありがとう』 現地調査
2010 平成22 8 21 日本テレビ「ぶらり途中下車の旅」で鵠沼海岸を紹介 日本テレビ
2010 平成22 8 24 NHK「こんにちはいっと6けん」で鵠沼海岸常設ビーチバレーコートを紹介 NHK
2010 平成22 8 26 〜10/12、藤沢市総合市民図書館で『鵠沼の女流作家 内藤千代子展』 現地調査