鵠沼地区自然史年表 |
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西暦 | 和暦 | 月 | 日 | 記 事 | 出 典 |
1845 | 弘化 2 | 武蔵石寿著・服部雪斎ほか画の貝類図鑑『目八譜』全15巻、刊行。鵠沼浦産の貝も掲載 | Website | ||
1863 | 文久期 | この頃、宿庭熊野森神社の湧泉が涸れる | 皇国地誌 | ||
1892 | 明治25 | 7 | 農科大学(後に東大)教授=石川千代松博士、鵠沼でホウネンエビ(Branchinella kugenumaensis)を発見 | 鵠沼77・78号 | |
1895 | 明治28 | 石川千代松博士、『動物学雑誌』第7巻にホウネンエビについて英文で記載 | 鵠沼77号 | ||
1926 | 大正15 | 10 | 2 | 横濱工専学生=高木和男、鵠沼海岸の蜃気楼を撮影[百年の歴史] | 鵠沼15号 |
1926 | 大正15 | 10 | 27 | 横浜貿易新聞、鵠沼海岸で蜃気楼が見られると報道 | 鵠沼83号 |
1926 | 大正15 | 10 | 28 | 東京朝日新聞に鵠沼海岸で蜃気楼が見られると報道、評判になる→芥川、小品『蜃気楼』を執筆 | 鵠沼82・83号 |
1932 | 昭和 7 | 植物学者=久内清孝、植物研究雑誌に『滅び行く湘南の鵠沼片瀬を弔う』を発表 | WEBsite | ||
1935 | 昭和10 | 春 | 鵠沼海岸で療養中の服部静夫博士が新種の蘭を発見、後に前川文夫博士がクゲヌマランと命名し発表 | 鵠沼88号 | |
1936 | 昭和11 | 5 | 12 | 植物学者=服部静夫、クゲヌマランのタイプ標本を採集→東大の前川氏に送る | 鵠沼88号 |
1936 | 昭和11 | 9 | 植物分類学者=前川文夫、『東亞植物図説』(春陽堂)第一巻第三輯に服部静夫発見のクゲヌマランを紹介 | 鵠沼88号 | |
1956 | 昭和31 | 4 | 30 | 植物学者=前川文夫博士、鵠沼でクゲヌマランを採集して描く | 鵠沼88号 |
1956 | 昭和31 | 9 | 25 | 植物学者=前川文夫博士、鈴木吉五郎氏が栽培したクゲヌマランの種子を描く | 鵠沼88号 |
1969 | 昭和44 | 鵠沼藤が谷の蓮池でデンジソウの自生を発見(湘南砂丘地帯唯一の自生地) | 鵠洋40年記念誌 | ||
1970 | 昭和45 | 2 | 湘南海岸自転車道で関東以北で初めてのハマネナシカズラ発見 | 藤沢市史年表 | |
1972 | 昭和47 | 鵠沼松が岡の村川邸の松林、「保存樹林」に指定 | 鵠沼76号 | ||
1974 | 昭和49 | 6 | 蓮池の荒廃に心を痛めた市民有志、藤沢市に交渉、周辺に呼びかけ | 鵠沼85号 | |
1974 | 昭和49 | 12 | 20 | 植物学者=前川文夫博士、『原色日本のラン』(誠文堂新光社)に1956年に描いたクゲヌマランの図を掲載 | 鵠沼88号 |
1975 | 昭和50 | 9 | 22 | 市議会、ハス池の自然を愛する会代表より提出のハス池の整備並びに自然公園設置についての請願採択 | 鵠沼85号 |
1975 | 昭和50 | 県立博物館調査報告書、「藤沢・茅ヶ崎などの松林で見られたクゲヌマランが3年前を最後に絶滅」と書く | 鵠沼88号 | ||
1978 | 昭和53 | 9 | 22 | この夏、鵠沼海岸でアメリカネナシカズラが繁殖。神奈川新聞「私の意見」欄に会員=伊藤節堂が投稿 | 鵠沼8号 |
1978 | 昭和53 | この頃から引地川にアヒルが住みつき、付近住民が餌付け | 神奈川新聞 | ||
1979 | 昭和54 | 4 | 17 | 伊藤節堂(会員)、鵠沼海岸のサイクリング道路でハマボウフウを再発見 | 鵠沼9・27号 |
1981 | 昭和56 | 5 | 諏訪松男(高谷小校長)・塩澤 努(会員)らによるクゲヌマラン捜索活動開始(この年は成果なし) | 鵠沼88号 | |
1982 | 昭和57 | 6 | 県会議員=番場定孝(会員)、県議会で鵠沼の自然保護について提案 | 鵠沼93号 | |
1983 | 昭和58 | 5 | 初 | 番場定孝(会員)・諏訪松男(高谷小校長)・塩澤 努(会員)らによるクゲヌマラン再発見 | 鵠沼88・93号 |
1983 | 昭和58 | 5 | 13 | 植物学者=大場秀章(東大総合研究資料館教授)、再発見されたランをクゲヌマランと同定 | 鵠沼88号 |
1985 | 昭和60 | 4 | 藤沢探鳥クラブ、『藤沢自然地図』刊行 | 市史年表稿 | |
1986 | 昭和61 | 5 | 8 | 大潮によって海岸にバカガイの大群がうち寄せる | 市史年表稿 |
1987 | 昭和62 | 1 | 10 | 湘南海岸、(社)日本の松の緑を守る会より「21世紀に引き継ぎたい日本の白砂青松100選」に選定される | 海岸開発史 |
1987 | 昭和62 | 12 | 10 | 引地川、建設省より「ふるさとの川」モデル河川に指定される | WEBsite |
1989 | 平成 1 | 1 | 「湘南海岸のマツ林」、かながわ美林50選に選定 | 白砂青松 | |
1992 | 平成 4 | 10 | 1 | 市、市の鳥に「カワセミ」を制定 | 20世紀藤沢 |
1994 | 平成 6 | 4 | 鵠沼伏見稲荷神社境内に自噴井「鵠沼和貴水」掘削 | 現地調査 | |
1995 | 平成 7 | 10 | 県水産総合研究所内水面試験場長城条義興、鵠沼桜が岡池田邸で酒匂川水系蓮池産のメダカを再発見 | 鵠沼85号 | |
1996 | 平成 8 | 8 | 26 | 藤沢メダカの学校をつくる会発足 | 鵠沼85号 |
1996 | 平成 8 | 9 | 12 | 鵠洋小学校、市教育文化センターで増殖・配付した「藤沢メダカ」の放流式挙行 | 市史年表稿 |
1998 | 平成10 | 6 | 4 | 市教育文化センター・藤沢メダカの学校をつくる会、第1回蓮池の生態調査(以後、毎年定期的に調査継続) | 鵠沼85号 |
1998 | 平成10 | 11 | 1 | 鵠沼地区青少年愛護育成協力会誌[くげぬまの輪]巻頭言で藤沢メダカを紹介 | 鵠沼85号 |
1998 | 平成10 | 11 | 6 | ハス池の自然を愛する会、蓮池の保存を市長に陳情。請願署名運動を展開 | 鵠沼85号 |
1999 | 平成11 | 2 | 15 | ハス池の自然を愛する会会長吉田敏平他4053人、ハス池とその周辺広場を保全・維持する陳情提出 | 市史年表稿 |
1999 | 平成11 | 第三蓮池、埋立により消滅 | WEBsite | ||
2000 | 平成12 | 6 | 21 | 藤沢市議会において蓮池のビオトープ化とメダカ復帰について大塚洋子議員が質問 | WEBsite |
2000 | 平成12 | 7 | 6 | 藤沢メダカの学校をつくる会・鵠沼ハス池連絡会初会合→蓮池のメダカ復帰についての意見交換 | 鵠沼85号 |
2000 | 平成12 | 8 | 12 | 日大生物資源科学部、第1回蓮池の魚類調査。アメリカザリガニの大量発生を確認 | 鵠沼85号 |
2001 | 平成13 | 3 | 31 | 藤沢市環境部みどり課、『藤沢の自然』No.26『鵠沼の自然』刊行 | 鵠沼の自然 |
2003 | 平成15 | 4 | 24 | 鵠沼海岸に体長9.7mのマッコウクジラの死骸が漂着。県なぎさ事務所が埋葬処理 | 毎日新聞 |
2006 | 平成18 | 10 | 蓮池に特定外来生物アゾラクリスタータ(浮き草)が異常繁殖 | 現地調査 | |
2008 | 平成20 | 8 | 13 | 鵠沼海岸4丁目先砂浜でアカウミガメが孵化、海へ帰る | 鵠沼98号 |
2009 | 平成21 | 11 | 1 | 引地川を石川岡田橋付近までサケが遡上し、4尾が釣り上げられる。 | 目撃談 |