鵠沼地区災害史年表
     
西暦 和暦 記                        事 出   典
701 大宝 1 8 21 相模国など17ヶ国蝗害・大風害 鵠沼22号
703 大宝 3 5 16 相模国で疫病流行薬支給される[続日本紀] 鵠沼22号
802 延暦21 4 19 富士山爆発(相模国被害甚大)県中部まで降灰 足柄道廃道とし箱根道を開く。小富士形成 藤沢の歴史
818 弘仁 9 7   相模国など5ヶ国に地震、多くの農民圧死 鵠沼22・50号
855 斉衡 2 ウ4   相模国飢民賑給を受ける 鵠沼22号
864 貞観 6     富士山噴火。県中部まで降灰。せの海が西湖と精進湖に二分される Website
878 元慶 2 9 29 関東大地震。M=7.4 相模・武蔵両国の被害大、屋舎全壊、往還不通、農民の圧死、国分寺で仏像破壊 鵠沼22・50号
938 天慶 1     大地震。震源等不明 大磯高麗寺の諸堂壊滅 Website
1185 文治 1 6 20 鎌倉大地震(吾妻鏡) 鵠沼22・50号
1202 建仁 2 1 28 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1204 元久 1 10 6 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1208 承元 2 1 6 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1211 建暦 1 1 27 鎌倉大地震、朝日無光陰 鵠沼50号
1211 建暦 1 7 3 鎌倉大地震、牛馬騒警[吾妻鏡] 鵠沼50号
1213 建暦 3 1 1 鎌倉大地震、堂社破れ倒れる[吾妻鏡] 鵠沼50号
1213 建保 1 5 21 鎌倉大地震、山崩れ地裂ける[吾妻鏡] 鵠沼22・50号
1213 建保 1 7 7 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1213 建保 1 8 19 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼22・50号
1213 建保 1 9 17 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1213 建保 1 12 11 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1214 建保 2 2 1 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1214 建保 2 4 3 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1214 建保 2 9 21 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1214 建保 2 10 6 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1215 建保 3 9 6 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1216 建保 4 6 11 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1222 貞応 1 7 23 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1222 貞応 1 11 1 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1223 貞応 2 5 12 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1223 貞応 2 9 26 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1224 元仁 1 6 1 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1225 嘉禄 1 10 11 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1226 嘉禄 2 4 27 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1227 安貞 1 3 7 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼22・50号
1227 安貞 1 9 3 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1227 安貞 1 11 6 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1228 安貞 2 5 15 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1230 寛喜 1 12 19 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1231 寛喜 2 1 22 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1235 嘉禎 1 3 9 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1237 嘉禎 3 3 9 鎌倉大雨洪水[吾妻鏡] 鵠沼22・50号
1237 嘉禎 3 8 4 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1239 歴任 1 11 1 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1239 歴任 1 11 12 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1241 仁治 2 2 7 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼22・50号
1241 仁治 2 4 3 鎌倉大地震。M=7.0。津波由比ヶ浜八幡宮の拝殿を壊す[吾妻鏡] 鵠沼22号
1243 寛元 1 5 23 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1247 宝治 1 10 8 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1247 宝治 1 11 26 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼22・50号
1247 宝治 1 11   鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1250 建長 2 7 18 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1251 建長 3 4 23 鎌倉大雨洪水[吾妻鏡] 鵠沼22号
1253 建長 5 2 3 鎌倉大風雨[吾妻鏡] 鵠沼22号
1253 建長 5 2 25 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼22・50号
1253 建長 5 6 3 鎌倉大地震[北条九代記・武家年代記] 鵠沼50号
1253 建長 5 6 10 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼22・50号
1254 建長 6 7 1 鎌倉大風雨[吾妻鏡] 鵠沼22号
1254 建長 6 7 18 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1256 康元 1     鎌倉大洪水、赤斑病流行[吾妻鏡] 鵠沼22・50号
1257 正嘉 1 5 18 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1257 正嘉 1 8 1 鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1257 正嘉 1 8 23 鎌倉大地震。推定M=7.0。震源=相模湾。鎌倉の神社仏閣全壊、家屋転倒被害多、山崩れ多[吾妻鏡] 鵠沼22・50号
1258 正嘉 2 10 16 鎌倉大雨洪水民家流失、死者多数[吾妻鏡] 鵠沼22号
1260 文応 1 6 1 鎌倉大洪水 藤沢市史年表
1265 文永 2 6   鎌倉大雨、扇谷・亀谷の山が崩れ、死傷者を出す 藤沢市史年表
1266 文永 3     鎌倉大地震[吾妻鏡] 鵠沼50号
1270 文永 7 2 4 鎌倉大風雨[吾妻鏡] 鵠沼22号
1289 正応 1 2 4 鎌倉大風雨 藤沢市史年表
1291 正応 4 7 1 鎌倉大雨洪水、人家漂流する[吾妻鏡] 鵠沼22号
1292 正応 5     鎌倉大地震[鎌倉大日記] 鵠沼50号
1293 永仁 1 4 13 鎌倉大地震、M=7.1震源鎌倉。建長寺炎上、寿福寺本殿転倒、大慈寺埋没死者推定23000人位[鎌倉大日記] 鵠沼22・50号
1305 嘉元 3 6 5 鎌倉大地震[続史愚抄] 鵠沼22・50号
1306 徳治 1 3 2 鎌倉大地震[一代要記] 鵠沼50号
1316 正和 5 7 23 鎌倉大地震 鵠沼50号
1323 元享 3 5 3 鎌倉大地震[武家年代記] 鵠沼22・50号
1343 康永 2 4 15 鎌倉大地震[鶴岡社務記録] 鵠沼50号
1343 康永 2 5 6 鎌倉大地震[鶴岡社務記録] 鵠沼50号
1348 興国 2 3 8 鎌倉大地震[鶴岡社務記録] 鵠沼50号
1419 応永26 10   関東大地震 鵠沼22号
1419 応永26 12   関東飢饉 鵠沼22・50号
1420 応永27 8 10 鎌倉大地震、次いで洪水 鵠沼22・50号
1433 永享 1 9 16 関東大地震。M=7.1 震源相模湾。鎌倉被害大。寺社損傷、極楽寺塔損傷。余震20日間続く[神明鏡] 鵠沼22・50号
1437 永享 5 5 21 鎌倉大地震[南朝記伝・鎌倉大日記] 鵠沼50号
1440 永享 8 9 18 鎌倉大地震[南朝記伝・鎌倉大日記] 鵠沼50号
1454 享徳 3 12 10 鎌倉大地震[南朝記伝・鎌倉大日記] 鵠沼50号
1463 寛正 4 6 24 鎌倉大風雨 鵠沼22号
1498 明応 7 8 25 巨大地震、推定M=8.6。津波により大仏殿破壊、溺死者200余人。「明応地震」富士に噴煙見ゆ 鵠沼50号
1525 大永 5 5 23 鎌倉大地震(27日まで余震続く)[塔寺八幡宮続] 鵠沼50号
1604 慶長 9 12 16 相模武蔵大地震。M=7.9。海浜溢溺死者多。26日武相二州又震 発酉昼俄闇(慶長地震)[続本朝通鑑] 鵠沼22・50号
1605 慶長10     この年関東諸国大風水害、大凶作となる 鵠沼22号
1614 慶長19 10 25 伊豆を震源とする大地震。M=7.7 津波被害甚大。伊豆と小田原で被害大。津波による死者発生 Website
1633 寛永10 3 1 伊豆を中心にM=7.0の大地震 理科年表
1642 寛永19 3   〜7月飢饉あり、羽鳥村では30石弱の荒地高となる 鵠沼22号
1647 正保 4     武蔵相模両国大地震。M=6.5 鵠沼50号
1648 慶安 1 4 22 相模地震。M=7。 鵠沼22・50号
1670 寛文10 6 5 相模地震(M=6.4震度5.0) 鵠沼16・22号
1684 貞享 1     引地川水害。羽鳥村の水損畑3町1反余 藤沢市史
1694 元禄 7 9   鵠沼村他4か村、猪鹿による作物の被害大きく難渋の旨を訴える[市史] 鵠沼15号
1697 元禄10 10 12 藤沢地域に地震(M=7.2震度6.9) 鵠沼16・22・50号
1699 元禄12     大風長雨のため飢饉 鵠沼22号
1702 元禄15     飢饉。(この年の羽鳥村の飢人 113人) 鵠沼22号
1703 元禄16 11 22 武蔵相模・安房・上総に大地震(M=8.2震度7.3)震源相模トラフ。津波、犬吠から下田まで発生(元禄地震) 鵠沼16・22・50号
1707 宝永 4 11 23 富士山噴火、宝永山出来る、相模・武蔵・駿河各国に降砂被害甚大、藤沢も降砂16日間 鵠沼22・50号
1721 享保 6     引地川大洪水 現在の藤澤
1732 享保17     飢饉で羽鳥村で146人の飢人が出る、(享保飢饉=蝗の大発生) 鵠沼22号
1734 享保19     引地川洪水で田は例年の 20〜30損耗 鵠沼22号
1766 明和 3     関東大洪水、境川の氾濫で藤沢宿大被害 鵠沼22号
1768 明和 5 9   引地川水害 鵠沼22・62号
1770 明和 7     関東大旱魃 鵠沼22号
1780 安永 9     境川水害、藤沢宿被害 鵠沼22号
1781 天明 1     境川水害、藤沢宿被害 鵠沼22号
1782 天明 2 7 15 相模武蔵に地震(M=7.3震度6.5)。津波・山崩れ発生(天明小田原地震) 鵠沼16・22・50号
1783 天明 3 7   浅間山大噴火、藤沢宿でも飢饉深刻 (天明大飢饉) 鵠沼22号
1786 天明 6 7 17 引地川・境川氾濫、大鋸橋流失、本願寺倒壊→浅場家による引地川築堤工事[堀川改修記念碑] 鵠沼22・62号
1787 天明 7     飢饉 鵠沼22号
1790 寛政 2     旱魃 鵠沼22・35号
1803 享和 3 5 19 引地川、鵠沼村2か所で破堤・境川水害、藤沢宿被害→浅場家による引地川築堤工事[堀川改修記念碑] 鵠沼22・62号
1804 文化 1 6   田植日照続き 鵠沼22号
1807 文化 4     水不足 鵠沼22号
1808 文化 5 8 15 浅場太郎左衛門、堀川改修記念碑創建(1932年再建。現在は鵠沼海岸4-21-8地先引地川堤上に移動) 鵠沼15・30・62号
1812 文化 9 11 4 江戸及び近国大地震(M=6.6震度5.2)[泰平年表] 鵠沼16・50号
1816 文化13     風損 鵠沼22号
1823 文政 6     塩風大風害、倒壊被害 鵠沼22号
1829 文政12     境川水害、藤沢宿被害 鵠沼22号
1833 天保 4 5   田植時冷雨 8月大風雨 鵠沼22号
1836 天保 7     関東・東北大飢饉 天保の飢饉 鵠沼22号
1843 天保14 2 9 江戸から小田原大地震(M=7.5) 鵠沼50号
1846 弘化 3 6   大雨により境川氾濫、被害大 鵠沼22号
1849 嘉永 2     旱魃・大雨・冷害続く 市域内にも被害及ぶ 鵠沼22号
1852 嘉永 5     旱魃・大雨・冷害続く 市域内も農作物の被害著し 鵠沼22号
1853 嘉永 6 2 2 相模国大地震(M=6.5震度5.0) 鵠沼16・22号
1854 安政 1 11 4 諸国大地震(M=8.4震度5.4)(安政東海地震) 鵠沼16・22・50号
1855 安政 2 2   小田原中心に地震 藤沢にも潰家出る 鵠沼22号
1855 安政 2 10 2 江戸安政大地震(M=7.5震度5.9) 藤沢宿も潰家多数。→新田の一部住民、納屋に移住(伝) 鵠沼16・22号
1856 安政 3 8 25 関東地方大暴風雨、田畑に塩害 鵠沼22号
1857 安政 4     水害冷害発生 鵠沼22号
1858 安政 5 7   コレラ大流行、藤沢宿と周辺で死者149人 鵠沼22号
1859 安政 6     大水害。藤沢地域で床上浸水多数 鵠沼22号
1860 万延 1 8 16 大風によリ田畑被害、川名村水害 鵠沼22号
1862 文久 2 7   〜8月麻疹流行 鵠沼22号
1862 文久 2     旱魃 鵠沼22号
1868 明治 1     旱損凶作 鵠沼22号
1869 明治 2 7 13 暴風雨武相の村々被害 鵠沼22号
1872 明治 5 7 27 暴風来襲し、鵠沼沖で難破船4艘、溺死者10人[現在の藤澤]。引地川出水 鵠沼15・22号
1873 明治 6 9 23 暴風雨市中家屋倒壊多数 浸水河川氾濫 鵠沼22号
1875 明治 8 8 10 県下に暴風雨来襲 鵠沼22号
1876 明治 9 9   暴風雨来襲 鵠沼22号
1877 明治10 3 21 県下に暴風雨来襲 鵠沼22号
1877 明治10 10 11 県下に暴風雨来襲※全国にコレラ流行死者6817人 鵠沼22号
1878 明治11 7 4 県下に暴風雨来襲 鵠沼22号
1879 明治12 9 11 県下に暴風雨来襲 鵠沼22号
1880 明治13 2 19 県下に暴風雨 鵠沼22号
1880 明治13 2 20 強震。藤沢で家屋の破損19。酒類流出1石4斗[現在の藤澤] 現在の藤澤
1880 明治13 4 25 県下に大雨氷雨 鵠沼22号
1880 明治13 8 25 県下に暴風雨 藤沢市史年表
1880 明治13 10 3 〜4、県下に暴風雨 鵠沼22号
1881 明治14 9 14 県下に暴風雨 鵠沼22号
1884 明治17 9 15 台風(紀伊半島〜東京北部縦断)により県下に暴風雨。被害激甚 鵠沼22号
1885 明治18     コレラ流行、県内で死者10万人以上 鵠沼22号
1887 明治20 7 31 鵠沼村鉄道にて工夫1人鉄道事故、即死 千瓢記
1894 明治27 6 20 関東南部を中心強震。震度6。M=7。横浜・川崎地区被害あり。安政江戸地震以来の烈震という 鵠沼50号
1895 明治28 10 11 関東に震度4。横浜港内被害あり 鵠沼50号
1896 明治29 7 20 鵠沼海岸沖で三河の千石船が暴風により難破→供養のため龍王社を祀る 百年の歴史
1897 明治30 9 9 暴風雨。暴風雨とうんかにより収穫2割減 鵠沼22号
1899 明治32 10 7 台風による高潮来襲 鵠沼22号
1901 明治34 12 26 県下に暴風雨 江の島架設橋流失 鵠沼22号
1904 明治37 7 8 〜12、降雨による作物被害大 鵠沼22号
1905 明治38 6 7 地震(M=7.5震度6.2) 鵠沼16号
1906 明治39 7 14 水害により県南部に被害 鵠沼22号
1907 明治40 4   雷ひょうにより高座郡一帯被害 鵠沼22号
1907 明治40 8 23 県下暴風雨による大洪水 鵠沼22号
1909 明治42 3 13 地震(M=7.0震度5.1)横浜地方煉瓦壁の崩壊等 鵠沼16・50号
1910 明治43 8 1 〜14、関東・東北台風による豪雨 高座郡農作物被害大 鵠沼22・72号
1912 明治45     引地川出水 大庭耕地大泥湖水となる[市史資料第27集P27] 鵠沼22号
1914 大正 3 8 29 〜30、集中豪雨により各地で浸水 WEBsite
1914 大正 3 9 14 台風西日本から関東地方に来襲被害甚大 鵠沼22号
1917 大正 6 4 26 霜害で農作物被害大 鵠沼22号
1917 大正 6 9 30 境川、暴風雨による氾濫のためほぼ現在の河道に付け変わる。高波で堀川の田が全滅 鵠沼10・22・62号
1918 大正 7 8 6 台風で江の島その他浪害を受ける 鵠沼22号
1919 大正 8 10 10 雷・雹により高座・鎌倉その他畑作に被害 鵠沼22号
1920 大正 9 10 1 大雨のため浸水で江ノ電不通[鵠沼日記] 百年の歴史
1920 大正 9     流行性感冒大流行(スペイン風邪・相模風邪) 鵠沼22号
1921 大正10 9 25 暴風雨のため浸水で江ノ電不通 百年の歴史
1921 大正10 10 29 大暴風雨により江ノ電の川袋の線路が流され、一方引地川の流路が付け変わる 鵠沼10・22号
1922 大正11 4 26 南関東で地震(M=6.9震度6.3)(浦賀水道地震) 鵠沼16号
1923 大正12 8 31 文部大臣官房建設課長=柴垣鼎太郎、鵠沼の池で投網をし、ナマズをバケツに3杯捕獲 地震なまず
1923 大正12 9 1 関東大震災(震源:相模湾東部、M=7.9) 藤沢町被害 家屋3200戸 死者104名 重傷者216名[現在の藤澤] 鵠沼15・22・50号
1923 大正12 9 2 朝鮮人が大挙して襲って来るという流言が広まる 鵠沼6号
1923 大正12 12 23 大震災の被災に対して1000万円下賜。藤沢町の下賜分は1984円。湘南中学で伝達式挙行 市史
1924 大正13 1 15 地震(M=7.3震度5.0)。藤沢北部で被害大 高座郡被害家屋3000軒 死者7名(丹沢地震) 鵠沼16・22・50号
1924 大正13 1 15 神奈川県、『関東大震災特ニ鵠沼別荘地ニ於ケル状況』大正十三年一月十五日神奈川県地震調査報告発表 神奈川県
1925 大正14 3 31 震災豫防調査會報告. 第100號(甲)に阿部良夫「關東大震災特に鵠沼海岸別荘地ニ於ケル状況」掲載 WEBsite
1927 昭和 2 7 18 高座郡その他に雷・雹の被害大 鵠沼22号
1928 昭和 3 4 20 鵠沼海岸在住の5歳の男児が天然痘に罹患、松病院に収容 20世紀藤沢
1928 昭和 3     昭和天皇御大典記念事業の一環として湘南海岸約180haに魚付き砂防林の植栽が始まる 神奈川県砂防史
1929 昭和 4 7 27 丹沢付近を震源とする神奈川県全域大地震 鵠沼50号
1930 昭和 5 11 26 北伊豆地震(M=7.0震度5.4) 鵠沼16・50号
1932 昭和 7 8 23 浅場虎吉、堀川改修記念碑を再建。現在は鵠沼海岸 4-21-8 地先 引地川堤上に移動 鵠沼30号
1932 昭和 7 11 14 〜15、県下に暴風雨 高座郡で3200戸藤沢で76戸被害 鵠沼22号
1933 昭和 8 7   40年来の旱魃 鵠沼22号
1933 昭和 8     魚付き砂防林造成事業(5か年計画)が終了 白砂青松
1935 昭和10 9 24 暴風雨関東中心に被害大 鵠沼22号
1937 昭和12 7 17 集中豪雨により小田急線不通 鵠沼22号
1938 昭和13 7 2 豪雨によリ各河川増水。片瀬川・引地川大洪水 鵠沼22号
1938 昭和13 9 1 20年振りの台風 豪雨のため境・柏尾・引地川出水被害大 鵠沼22号
1940 昭和15     砂防林の造成が一応完成 白砂青松
1941 昭和16 7 18 〜22、豪雨市内各所に浸水家屋続出 鵠沼22号
1942 昭和17 7 31 神奈川県海岸砂防事務所(茅ヶ崎)閉鎖 白砂青松
1945 昭和20 2 26 関東地方大雪。善行で積雪45cm。東海道線、一時不通[市史] 鵠沼15・22号
1946 昭和21 2 1 神奈川県、鵠沼海岸に湘南海岸砂防事務所を開設(戦前茅ヶ崎にあった海岸砂防事務所を改称) 白砂青松
1947 昭和22 9 15 キャスリン台風関東大水害 鵠沼22号
1948 昭和23 9 15 アイオン台風関東被害甚大 鵠沼22号
1948 昭和23     警防団、消防団に改称。鵠沼海岸は西海岸と南海岸の2分団を統合 鵠沼81号
1949 昭和24 8 31 キティ台風。市内にも被害続出。鉄道省海の家、波浪で流失 鵠沼22号
1951 昭和26 6 5 鵠沼・川袋方面で県営高圧線電柱の無断設置が問題化する 藤沢市史年表
1951 昭和26 7 9 県・市、高圧線電柱設置問題で地域代表者に対する説明会→一方的な説明で紛糾 湘南新聞
1951 昭和26 8 17 高圧線電柱設置問題第3回交渉(第1回、第2回は不明。第4回=8/21、第5回=8/28) 湘南新聞
1951 昭和26 11 5 湘南新聞、高圧線電柱設置問題で県側の個人説得による切り崩し策動をすっぱ抜く 湘南新聞
1951 昭和26     1946年度より行われていた国庫補助による砂防林の復旧終了→以後は県単事業に移行 白砂青松
1952 昭和27 8 18 金子市長、高圧線電柱設置問題で県から事業認定申請書が出されたことを地元民に報告→8/20告示 湘南新聞
1952 昭和27 8 21 高圧線電柱設置問題で地元民15名、市議16名による懇談会。電柱撤廃を請願することを決める 湘南新聞
1952 昭和27 9 8 金子市長、高圧線電柱設置問題で関野・杉浦市議を呼び出し、一方的説明会→紛糾 湘南新聞
1953 昭和28 9 14 市議会建設委員会、川袋高圧線問題の審議にあたり、つかみ合いの混乱となる 藤沢市史年表
1953 昭和28 10 5 藤沢全耕地で塩害発生し、凶作対策協議会開催 藤沢市史年表
1954 昭和29 1 18 特別高圧線路線変更要求貫徹同盟、県電気局長らを横浜地方検察庁に告発 藤沢市史6巻
1954 昭和29 1 24 関東地方大雪。藤沢で30cm記録[市史] 鵠沼15号
1954 昭和29 3 20 台風5号により水害 藤沢市の概要
1954 昭和29     台風5号 家屋被害全壊流失22(藤沢市新総合計画S54.4) 鵠沼22号
1955 昭和30 4 5 消防団分団名を改正。第4分団(鵠沼海岸)→第5分団。第5分団(本鵠沼)→第4分団 藤沢市
1955 昭和30 11 30 県収用委員会、川袋地内の高圧線使用を認める旨を採決 藤沢市史年表
1956 昭和31 9 27 台風15号により道路被害 藤沢市の概要
1956 昭和31 10 30 集中豪雨により家屋被害 藤沢市の概要
1958 昭和33 7 23 台風11号により市内各所で出水。災害対策本部設置 藤沢市の概要
1958 昭和33 9 18 台風21号により市内各所で出水。災害対策本部設置 藤沢市の概要
1958 昭和33 9 27 台風22号(狩野川台風)江の島より上陸 市内死者3 被害甚大。聶耳(ニェ・アール)記念碑破損 鵠沼22号
1958 昭和33 10 18 県営特別高圧線問題、県側が折れて妥協成立 鵠沼85号
1958 昭和33 11 20 鵠洋小学校4年生児童2名と湘南学園小学校5年生児童1名、一木通り踏切で事故死 鵠洋沿革
1958 昭和33     海岸の砂防柵設置4か年計画に着手 白砂青松
1959 昭和34 2 14 津久井発電所〜鎌倉山間の高圧線工事で再度鵠沼住民と県企業庁電気局もめる 藤沢市史年表
1959 昭和34 9 26 台風15号により市内各所で出水。災害対策本部設置 藤沢市の概要
1961 昭和36 6 28 台風6号 市内各地で多くの被害出る 鵠沼22号
1961 昭和36 9 16 第二室戸台風 県下被害甚大死者57名、市内各地で多くの被害出る 鵠沼22号
1962 昭和37 7 19 鵠沼5,218番地に消防署鵠沼出張所開設[市史] 鵠沼15号
1963 昭和38 11 14 鵠沼住民833名、総務企画常任委員会に対し小田急本鵠沼駅前の広告放送中止についての陳情提出 藤沢市史年表
1963 昭和38 11   宮之前・上村・烏森町3町内会、県・市に対し日本電気硝子工場から出る騒音・煤煙・粉塵被害について陳情 ここに歴史あり
1963 昭和38 12 6 日本電気硝子、工場外で第1回騒音測定 ここに歴史あり
1964 昭和39 7 15 再度日本電気硝子近隣住民から市に対して騒音・排ガスについて陳情 ここに歴史あり
1965 昭和40 1 23 日本電気硝子公害問題について、県から調査結果を会社側に指摘 ここに歴史あり
1965 昭和40 6 29 集中豪雨により各地で被害。災害対策本部設置 藤沢市の概要
1965 昭和40 9 17 台風24号により各地で被害。災害対策本部設置 藤沢市の概要
1965 昭和40 9 27 消防庁舎を鵠沼2,121番地に新築,消防本部,消防署を移転する。 藤沢市
1965 昭和40 11   相次ぐ台風と異常乾燥による潮風、飛砂の害が加わり、湘南海岸のクロマツ砂防林、枯死寸前となる 鵠沼62号
1966 昭和41 4 16 日本電気硝子より上村・烏森の被害者に対し念書提出 ここに歴史あり
1966 昭和41 6 28 台風4号 引地川・柏尾川氾濫 100軒床上浸水 鵠沼9・22・83号
1966 昭和41 9 24 台風26号 浸水倒壊の被害あり 鵠沼22・83号
1966 昭和41 10 14 境川・引地川水系水質浄化促進協議会(二河川協議会)設立 鵠沼62号
1966 昭和41 12 13 市議会、鵠沼住民205名より提出の川袋ポンプ場に水害防止施設設置に関する請願採択 藤沢市史年表
1967 昭和42 6 1 5月の異常渇水のため20%節水 鵠沼22号
1967 昭和42 12 4 鵠沼藤が谷・片瀬地区代表、都市建設常任委員会に対して同地区の水害防止施設設置に関する請願採択 藤沢市史年表
1967 昭和42     湘南海岸整備事務所、防風ネット、防潮堤、混植、砂草等の対策工法樹立 白砂青松
1968 昭和43 2 16 大雪降る 鵠沼22号
1968 昭和43 7 6 集中豪雨により各地で出水。総降雨量=98mm 藤沢市の概要
1968 昭和43 7 16 上村町内会公害対策協議会、市に農作物被害対策陳情書を提出 ここに歴史あり
1969 昭和44 12 17 鵠沼神明住民ほか64名、経済観光衛生常任委員会に対し加温処理場から送水する屎尿の悪臭につき陳情 藤沢市史年表
1969 昭和44     砂防林造成が第3次治山事業5か年計画に組み込まれる。→国庫補助を受け、全面復旧に着手 白砂青松
1970 昭和45 6 22 藤原地区砂採取に反対する会世話人ら7名、都市建設常任委員会に対して陳情提出 藤沢市史年表
1970 昭和45 7 1 集中豪雨により各地で出水。災害対策本部設置 藤沢市の概要
1971 昭和46 3 9 市議会で中西議員が日本電気硝子褐害問題を追及→藤沢労基署、工場立入検査 藤沢市史年表
1971 昭和46 3 12 万福寺で住民集会。鵠沼神明公害対策委員会の結成を話し合う ここに歴史あり
1971 昭和46 3 16 万福寺で住民の総決起集会。会社の検診ボイコットを決定 ここに歴史あり
1971 昭和46 3 21 鵠沼神明公害対策委員会、正式結成(委員長:宮崎誠一) ここに歴史あり
1971 昭和46 4 10 藤沢労基署、日本電気硝子鞄。沢工場に施設改善命令 ここに歴史あり
1971 昭和46 5 12 神奈川県、日本電気硝子に対し藤沢工場の一部操業停止を指示 ここに歴史あり
1971 昭和46 5 28 市、鵠沼神明住民の鉛中毒一斉検診開始→住民の被害なしと発表 ここに歴史あり
1971 昭和46 6 15 鵠沼神明住民、公害対策特別委員会に対して日本電気硝子轄H場移転についての陳情提出 藤沢市史年表
1971 昭和46 7 20 東京氷川下セツルメントの山田信夫医師、鵠沼神明住民106人を自主検診→50%の異常を発表 ここに歴史あり
1971 昭和46 8 31 台風23号のため各地で出水。災害対策本部設置。小田急藤沢-本町間不通 鵠沼22号
1971 昭和46 9   日本電気硝子公害問題で「患者同盟会」を組織 20世紀藤沢
1971 昭和46 10 16 鵠沼神明住民、公害対策特別委員会に対して製材工場のおがくず防止についての陳情提出 藤沢市史年表
1971 昭和46 12 16 藤沢消防署苅田出張所、本鵠沼4-3-1に設置。(第5 分団と併設) 藤沢市
1972 昭和47 2 14 藤沢突風雨 鵠沼22号
1972 昭和47 3 20 強風 鵠沼22号
1972 昭和47 4 23 日本電気硝子公害問題で「患者同盟会」総会。葉山市長出席。会長に荒木良正万福寺住職を選出 20世紀藤沢
1972 昭和47 7 3 〜13、記録的な集中豪雨全国で死者行方不明者52名 浸水約15万戸 鵠沼22号
1972 昭和47 7 15 台風6号 鵠沼22号
1972 昭和47     第4次治山事業5か年計画に基づき、砂防林の造成を推進 白砂青松
1973 昭和48 11 10 暴風雨により引地川氾濫。災害対策本部設置 鵠沼9・22号
1974 昭和49 7 8 台風8号により引地川氾濫。災害対策本部設置 鵠沼9号
1976 昭和51 9 9 台風17号により各地に被害。災害対策本部設置 藤沢市の概要
1976 昭和51     台風17号による豪雨で被害多数 市史年表稿
1978 昭和53 11   鵠沼公民館に広報無線タワー設置 市史年表稿
1979 昭和54 10 19 台風20号来襲、各河川増水。堀川(排水路)渚橋下流部の埋没進む 鵠沼8号
1980 昭和55 11 7 県と大和市、綾瀬市、藤沢市による「引地川流域総合治水対策協議会」発足 WEBsite
1981 昭和56 8 31 会員=塩澤 努、行方不明だった東久邇宮第二王子師正王の遭難記念碑を港区白金4-2-3本妙寺で発見 鵠沼50号
1981 昭和56 10 23 台風24号による豪雨で被害多数 藤沢市の概要
1982 昭和57 1 29 鵠沼神明の日本電気硝子藤沢工場の粉塵公害訴訟問題、11年ぶりに和解 市史年表稿
1982 昭和57 8 1 台風10号により海岸の海の家の半数が倒壊、残る半数も今シーズン復旧不能となる 市史年表稿
1982 昭和57 9 12 台風18号東日本を縦断 藤沢市内半壊浸水家屋2002軒 鵠沼22号
1983 昭和58 6 14 市、海水浴場の津波対策を発表 20世紀藤沢
1983 昭和58     集中豪雨により鵠沼東の境川氾濫 WEBsite
1984 昭和59 8   市消防局、湘南海岸の海岸線にある51施設と津波対策の「緊急一時避難のための協力協定」を結ぶ 20世紀藤沢
1985 昭和60 6 30 台風により石上地区の20棟が床下浸水 市史年表稿
1985 昭和60 11 9 集中豪雨により一時交通マヒ 市史年表稿
1986 昭和61 3 24 大雪のため停電・断水あり 市史年表稿
1988 昭和63 5 21 鵠沼の万福寺に「大気汚染告発記念碑」が造立され、除幕式挙行 市史年表稿
1988 昭和63 6 7 酸欠のため引地川のボラが大量死 市史年表稿
1988 昭和63 8 11 集中豪雨により各地で出水。災害対策本部設置 藤沢市の概要
1989 平成 1 3 31 藤沢消防署鵠沼出張所を改築する。3 階に津波現地対策本部室を設置す 藤沢市
1990 平成 2 1   鵠沼神明公害対策委員会、『ここに歴史あり』刊行 市史年表稿
1990 平成 2 6 15 藤沢市環境部環境管理課、鵠沼神明3丁目付近(上村橋下流)に引地川除塵機を設置 WEBsite
1990 平成 2 6   鵠沼神明上村橋下流に引地川除塵機を設置 WEBsite
1990 平成 2 8 8 台風11号により海の家半壊、藤沢橋落橋 藤沢市の概要
1990 平成 2 9 30 台風20号の豪雨の増水により、引地川鵠沼橋・みどり橋、落橋 鵠沼62号
1990 平成 2 12 10 藤沢市消防本部の水難救助隊、南消防署鵠沼出張所にて水難救助業務を開始 WEBsite
1994 平成 6 7 10 引地川と境川で魚が大量死 市史年表稿
1994 平成 6 7 18 雷雨により鵠沼海岸の電気施設被害、広範囲の停電 藤沢市の概要
1995 平成 7 9 15 南消防署を鵠沼東8-3に新築移転 藤沢市
1995 平成 7 9 16 台風12号により各地で被害。災害対策本部設置 藤沢市の概要
1996 平成 8 6 12 引地川でアユ約300匹が酸欠死 市史年表稿
1996 平成 8 7 26 鵠沼海岸などで津波対策訓練実施 市史年表稿
1996 平成 8 9 22 台風17号による広範な被害。災害対策本部設置 藤沢市の概要
1997 平成 9 4 14 湘南海岸一帯に油の塊が漂着 市史年表稿
1998 平成10 1 15 関東地方で大雪。鵠沼海岸駅階段で転倒し、骨折者出る 市史年表稿
1998 平成10 8 31 鵠沼海岸、全国漂着レジンペレット調査で最悪の結果。1uあたり1500個。PCBが1gあたり259ng,DDEが15.3ng WEBsite
1999 平成11 4 7 鵠沼東の藤沢東急プラザ南館立体駐車場6階から壁を破って乗用車が落下 市史年表稿
1999 平成11 7   東農工大の高田秀重助教授ら、鵠沼海岸での採取レジンペレットからPCBなど有害物質付着を分析 各メディア
2000 平成12 1 25 「引地川水系ダイオキシン汚染事件」新聞報道/藤沢市記者発表 WEBsite
2000 平成12 1 26 ダイオキシン汚染事件報道を受け、引地川河口の鵠沼海岸で予定されていたプロサーフィン大会中止決定 WEBsite
2000 平成12 2 16 藤沢市の水質調査により、8100pg/lという高濃度のダイオキシンを都市排水路稲荷雨水幹線から検出 WEBsite
2000 平成12 3 24 環境庁・県、荏原製作所藤沢工場付近の雨水路の水から最高で8100pg/lのダイオキシン類を検出と発表 WEBsite
2000 平成12 4 1 藤沢市消防本部の水難救助隊、鵠沼出張所水難救助隊として発足 WEBsite
2000 平成12 9 11 集中豪雨により各地で浸水 WEBsite
2001 平成13 7 31 神奈川県・藤沢市・鎌倉市合同津波対策訓練実施 神奈川県
2003 平成15 5 31 集中豪雨により鵠沼各所で道路冠水、家屋浸水(床上=3棟、床下=13棟) WEBsite
2003 平成15 9 10 蓮池周辺の4自治会、第一蓮池埋め立てによる治水問題で勉強会開催。市・学校も同席 WEBsite
2003 平成15 10 17 洪水被害の救済を求める会、鵠沼女子高に第一蓮池埋め立て禁止を求め、簡易裁判所に調停申し立て WEBsite
2004 平成16 3 1 集中豪雨により各地で家屋浸水の被害 WEBsite
2004 平成16 10 9 関東南部に上陸した台風22号による豪雨で各地で家屋浸水の被害。県道30号線冠水 広報ふじさわ
2004 平成16 10 20 台風23号による豪雨で県道30号線通行止め WEBsite
2005 平成17 2   藤沢市災害対策課・鵠沼地区町内会自治会連合会、『鵠沼地区防災マップ』を刊行 同書
2005 平成17 7 7 桜小路公園(鵠沼藤が谷4丁目)で落雷により岡崎前知事の妻と長女(鵠沼花沢町)が死去 各メディア
2005 平成17 9 4 集中豪雨により鵠沼海岸・鵠沼松が岡で床下浸水 WEBsite
2007 平成19 1 22 「藤沢災害救援ボランティアセンター鵠沼支部設置準備会」、発足 公民館記録
2007 平成19 1   鵠沼災害救済ボランティアセンター設置準備会、発足 まどい83号
2007 平成19 7 1 消防団第5分団(本鵠沼地区)の4人(部長=加藤、団員=原・山口・山岸)、第57回藤沢市消防団消防操法大会で優勝 Website
2007 平成19 7 29 集中豪雨により鵠沼海岸で床下浸水 現地調査
2008 平成20 3 20 鵠沼海岸商店街振興組合、大災害時の支援態勢をまとめ、炊き出し訓練 毎日新聞
2008 平成20 9 7 「藤沢災害救援ボランティアセンター鵠沼支部」の開設・運営シミュレーション訓練 公民館記録
2009 平成21 8 10 集中豪雨により鵠沼海岸で床上浸水2戸 神奈川県