乃木希典将軍像 昭和10年

 片瀬海岸への海水浴が学習院生徒の通例のようになっていたことがある。院長を務めていたことのある乃木将軍も、そんなわけでよく片瀬に来られたということから誰かがこの海岸へ銅像をたてたのである。この銅像は軍事色濃い当時の世相をよく反映していた。
 蛇足ながら、今の湘南白百合学園も戦前は乃木女学校と称されていたときがある。
皇紀2600年祝賀行進 昭和15年

 あくまでこれは“行進”であり、“パレード”とは言われなかった。東京湾上には連合艦隊が集結し、皇居へ向けて礼砲を鳴らし、空には数百の零戦が舞い上がった日だ。後方にある火の見櫓は後に鉄材供出され、なくなってしまう。下駄履きの少年が多い。紀元は2600年、ああ一億の胸は鳴る……という記念曲が全国に流れた。
買い出し部隊 昭和16年

 尼寺附近の芋畑で写したもの。この年までは、芋は主食の統制圏外にあった。
 子供にまでリュックを背負わせ、サツマイモの買い出しに来た都会人。左端の寺は鵠沼本眞寺(通称尼寺)。
防空演習 昭和16年

 一木通りで行われた防空演習のスナップ。左端の旗(赤色である)のある家が焼夷弾落下家屋との想定である。町内会(現在、松が岡4丁目一照会町内会)総出のバケツリレーはこうして行われ、猛火は見事に消し止められる“筈”であった。
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戦時下風景