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髙瀨彌一の祖父と父
渡部 瞭（会員） |
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１．はじめに
藤沢駅から鵠沼海岸へ向かう交通機関には、小田急江ノ島線のほかに〈こまわりくん〉というニックネームの小型路線バスを利用する方法がある。その停留所の呼称は、〈藤沢駅〉から〈橘通り〉〈郵便局前〉〈高瀬通り〉〈上岡〉〈中岡〉〈熊倉通り〉そして終点の〈高根〉である。すなわち、施設名・旧字(あざ)名・道路区間の呼称の３種類が混在している。このルートを、文字通り私財をなげうち、独力で開通させたのが、〈高瀬通り〉のバス停に名を残す髙瀨彌一だった。もっとも、現在このバス停があるあたりは、開通当時は〈宮崎町〉と名付けられており、〈高瀬通り〉とは、石上通り(旧江之島道)から分かれて、江ノ電石上駅脇の踏切を通り、旧秩父宮別邸に至るほぼ直線の区間を呼んだものらしい。
この髙瀨彌一を中心とする髙瀨家一族は、ここ100年の鵠沼の近現代史を知る上で避けて通れない存在だと思う。
では、その出自から探ってみよう。
２．髙瀨家の先祖=平家→三浦家→山口家
のっけからとんでもない話になるが、今年の歌舞伎界の話題に十一代目市川海老蔵襲名披露興行があった。市川家の襲名披露というと、歌舞伎十八番の内『暫(しばらく)』が演目にあがることが定番らしい。話の内容はかなり荒唐無稽な荒事の代表だが、その主人公こそ「鎌倉権五郎(ごんごろう)」ということになっている。舞台上の権五郎はほとんど考えられないような派手な扮装と隈取りで出現する。歴史上の鎌倉権五郎は、平安期に坂東に展開した平氏の一族で、本名は鎌倉景政（景正）。後三年の役で源 義家に従い、弱冠16歳で片目を負傷しながらも勇猛な働きをしたことから伝説化した。江ノ電長谷駅の西方にある御霊(ごりょう)神社は、別名を権五郎神社といい、彼を祀ったものとされる。
さて、歴史上で「鵠沼」の地名が最初に出てくるのは、『天養記』だということは、６月の例会で学んだところだが、どういう形で出てくるかというと、
左弁官下す 伊勢大神宮司
且つは度々の宣旨に任せ、その妨げを停止し、供祭物を備進し、且つは国司子細を弁え申し、相模国田所目代源義朝並びに同じく義朝郎従散位清原安行、恣に謀計を巧らみ、大庭御厨(おおばのみくりや)高座郡内鵠沼郷を以て、俄に鎌倉郡内と号し、供祭料の稲米を運び取り、旁々濫行を致すに応ずる事
の箇所である。すなわち「鎌倉郡を治めていた源 義朝らが、大庭御厨高座郡内鵠沼郷を、ここは鎌倉郡内だとイチャモンをつけて荒らし回った」という記事だ。この大庭御厨を拓き、伊勢神宮に寄進した人物こそ鎌倉権五郎こと鎌倉景政なのである。鵠沼郷、後の鵠沼村はその一部を形成していた。
『源平盛衰記』で知られるように、源 頼朝というと、激しい源平合戦に勝ち抜いて征夷大将軍に任じられ、鎌倉に幕府を開いたことから、源氏と平家とは犬猿の仲のように思われがちだが、頼朝に従った坂東武者は、実は平家の流れを汲むものが多い。「鎌倉党」と呼ばれる鎌倉景政の子孫には大庭氏・俣野氏・梶原氏が出、祖先の係累からは秩父氏・畠山氏・河越氏、さらには千葉氏などが出ている。
そして、2001年度ＮＨＫ大河ドラマ『北条時宗』で見られたように、北条氏と厳しく対立した末、宝治合戦で(嫡流は)滅ぼされる三浦氏は、鎌倉景政の祖父の兄弟から出ている(他にも諸説あり)。
この三浦氏の三浦義村の兄弟が鎌倉時代の初期に独立したのが髙瀨家の本家である山口氏だとされる。この稿を書くにあたり、髙瀨彌一の三女吉川八重子氏から提供を受けた古文書(題名不詳)によると、
抑(ソモソモ)三浦大輔平義明第二子三浦平太郎義澄長子山口次郎有綱者(ハ)山口家之元祖也後山口荒治郎義達ニ至ル拾貳代間三浦ニ住ス (ルビ筆者。以下同様)
とある。三浦のどこに住んでいたのかを探ると、現在の三浦郡葉山町に上山口・下山口という地名があることにたどり着く。ここは1889(明治32)年４月１日に６村が合併して葉山村になるまでは上山口村・下山口村であった。おそらくこれが山口氏12代の所領があった場所と考えられる。件(くだん)の文書は続けて
其子山口義孝氏天正五年丑正月相州鎌倉ニ土着シ士ヲ去(サリ)テ農ニ歸(キ)ス通名山口喜左衛門ト改稱ス則(スナハチ)農家之元祖也後累代繼續シテ現今拾陸＊代ニ至ル茲(ココ)ニ山口義髙氏者(ハ)士農合テ貳拾捌＊＊代之子孫也 ＊：拾陸=16 ＊＊：貳拾捌=28
と記している。天正五年というと1577年だから、秀吉が小田原攻めを目論んでいたころである。関東一円はまだまだ後北条の勢力下にあった。山口義孝改め山口喜左衛門がなぜこの段階で武士の身分を捨て、帰農したのかは謎だが、住み慣れた葉山から鎌倉のおそらく十二所(じゅうにそ)という山奥へ移住するのである。山奥とはいっても、十二所は「塩の道」として知られる金沢街道に沿った地だから、決して辺鄙な場所ではない。しかし、新たにここで農業をやってみようなどという気にはとてもなりそうもない場所柄だ。半分日陰になるような細長い谷戸田しか見られないような土地なのだ。追いつめられてたどり着くような、そんな所である。
さて、件の文書は、先に紹介した数行のあと、いきなり話題は幕末に移る。そこには山口義髙という人物について詳しく紹介されている。つまり、この文書は山口義髙の紹介文なのだ。そしてこの山口義髙こそ、髙瀨彌一の祖父である。
３．髙瀨彌一の祖父=山口義髙
ここからはこれまでのように原文を紹介すると煩瑣になるので、要約して簡単に説明するに留める。
山口家はいつのころからかは判らないが、鎌倉郡十二所村の名主を務めていた。山口義髙は1829(文政12)年１月15日に十二所村宇佐之小路771番地に名主=山口義勝の長男として生まれ、幼名を萬治郎といい、延之輔と改名後、晩年に義髙を名乗った。８歳から寺子屋で学び、「帝國普通ノ學業ヲ修ム」とあるが、まだ明治以前で、どのような学業かは不明である。いずれにせよ18歳で百姓総代役に当選、21歳で年寄り役を引き受けたとあるから、周囲の人望も篤かったに違いない。さらに、1852(嘉永５)年には24歳で名主を受け継いでいる。時代は幕末から明治維新へ風雲急を告げていた。そういった時代の流れの中で、海防備場の人夫取締差配役やら、細川家預役所の支配やら、建長寺の貸付金取扱役やら、紀州家より千駄ヶ谷仙壽院に寄付された金のうち鎌倉本覚寺への貸付金取扱役やら、鎌倉を通過する官軍のための人馬賄い方総代やら、さまざまな役職をこなしていった。そして迎えた明治元年、鎌倉郡雪之下村組合十五ヶ村大総代役に就いた。
明治新政府が次々と新政策を繰り出していた明治５年、山口延之輔は何とも壮大な計画をぶちあげる。相模川の水を與瀨(よせ)(相模湖町)から分水し、５里20町余の用水路で引水し、相模原を開拓して7000町歩の畑地を灌漑しようというものであった。陸軍による近代測量に基づく地図が出る10年も前だ。計画は神奈川県・足柄県に出願され、両県の係官立会の許で実地検証がなされ、内務省に伺いを立てるという段階まで進んだが、どうやら資金調達の上で暗礁に乗り上げたらしい。
この計画完成の暁には、更にいくつかの計画が予定されていた。一つは帷子(かたびら)川の河谷を通る水路を設け、山梨県郡内地方(原文では駿甲両國とあるが、駿河は方向が違う)と横浜とを結ぶ通船経路計画であり、もう一つは鵠沼村の海岸付近の平地に相模原灌漑の末水を引き入れて田地を開発しようという目論見である。ことに後者は高座郡鵠沼村關根傳左衛門ほか１名が発起人となっているから、相当本気で考えていたらしい。關根傳左衛門とは、宿庭の普門寺横に屋敷を構え、「大関根」とも呼ばれる関根本家の明治初期の当主の名である。
この計画は、わが国最初の近代上水道といわれるパーマーによる横浜水道着工に先立つこと13年、相模ダム建設を中心とする「相模川河川統制計画」スタートに先立つこと66年、そして、この計画の小型版といえる「相模原畑地灌漑計画」着工に先立つこと実に76年である。「ハタカン」と略称される「相模原畑地灌漑計画」は、その完成時には灌漑すべき畑地の大部分が宅地や工業用地になり、ほとんど何の役にも立たなかったという皮肉な結末で知られる。
冒頭に紹介し、後に詳述することになる髙瀨彌一の「鵠沼新道」計画や江之島水道計画で、われわれは時代を先取りする彌一の姿に感心するのだが、この祖父の壮大な計画にはとてもかなわない。ただ「血は争えないものだなァ」という感想を持つのみである。
ところで、山口義高(延之輔)のその後はどうなったか。件の文書は明治６年の６月31日寒川神社権禰宜兼権少講義、同年12月１日に神奈川県中教院庶務兼会計課長に就任し、明治９年３月１日に鎌倉郡十二所神社宮司を引き受けたことを紹介したところで終わっている。彼がいつ死去したのかも記されていない。ということは、この文書が彼の生存中に作成されたのであろう。
ともあれ、相模原開拓についてはかなり詳しく書かれているにもかかわらず、それ以後の記述はいかにも素っ気ない。鎌倉郡雪之下村組合十五ヶ村大総代役まで務めた大人物が、十二所神社宮司で生涯を閉じたのであろうか。
何やら、後に記すことになる髙瀨彌一の生涯と重なるものが読みとれるような気がしてならない。
 髙瀨彌一の両親
右：髙瀨三郎
(1858-1916)
左：髙瀨キク
(1861-1936)
『ゆく河の流れ』より
４．髙瀨彌一の実父=髙瀨三郎
２、３項で引用した山口義高(延之輔)を紹介する古文書には、彼の家族については触れられていない。父の名が判るのみで、妻子については一行の記述もない。故髙瀨彌太郎(彌一の長男)が作成したといわれる髙瀨家の系図に従えば、山口義高(延之輔)には少なくとも２人の男子がいた。妻の名は判らない。長男を高重(山口喜左衛門)といい、二男を三郎といった。
ここで疑問に思うのは、髙瀨笑子氏(彌一の長女)の著書『鵠沼断想』に「山口の大叔父」と紹介されている山口寅之輔である。寅之輔は彌一と年齢はあまり離れておらず、時折鵠沼に現れて髙瀨家の家族と片瀨川で舟遊びをした様子などが紹介されている。大叔父というからには、三郎の弟で彌一の叔父ということになるはずだが、先述の系図では高重、(山口喜左衛門) の一人息子=高久(山口寅之輔)と書かれていて、山口家の系譜についてはこの人物までが記されている。すなわち、三郎の甥で彌一の従兄弟である。しかし、髙瀨三郎氏(彌一の三男)、吉川八重子氏(彌一の三女)の記憶でも、笑子氏と同様の大叔父という位置づけなのである。寅之輔という名といい、年齢差といい、山口家の嫡流と考えるのが自然なような気がするが、ここであれこれ詮索しても結論が出せるわけもないので、後の研究に委ねるとして、ここでは２説あることを紹介するに留めたい。
さて、三郎である。
山口三郎は、1859(安政6)年１月13日、鎌倉郡十二所村名主=山口義高(延之輔)の二男として、鎌倉郡東鎌倉村十二所で生まれた。
先頃吉川八重子氏から明治43年に横濱商況新報社から刊行された『横濱成功名誉鑑』の『奮鬪的の商傑、髙瀨三郎君』と題する記事のコピーを頂いた。現在のところ、彼の生存した時代における紹介記事としては唯一のものなので、これを根拠に紹介していきたい。
(前略)髙瀨三郎君は相州鎌倉に生れ、明治三年横濱に出で、修文館にて漢學を修め、七年東京外國語學校に於て獨逸語を學び、官費生となりて東京大學醫學部に入りしが、滿心の覊気到底刀圭を以て立つを肯んぜず、斷然中途に退學し一時遞信省御用掛となりしも暫くにして之を辭し、明治十二年獨商アーレンス社に入り、主として輸入貿易を擔任し成績大に見るべきものあり、
どうも、明治時代の記事の文章は読点ばかりで句点がなく、どこで区切るべきか悩む。これでも１フレーズの５分の１程度である。
横浜修文館とは、幕末の開港期に横浜に開校した漢文研修所だったが、戊辰戦争の傷病兵を収容するための軍陣病院としてその建物が使われ、W.Willis(英国人医師)らがここで治療にあたった。軍陣病院の部分は後に独立し、現在の横浜市立大学病院にまで伝統が引き継がれる。漢文研修所には明治に入ると英文研修所が併設され、全国から多数の俊英が集まった。後に神奈川県師範学校となる。
東京外国語学校は1973(明治６)年に創立した現在の東京外国語大学の前身である。三郎がなぜドイツ語を学んだのか。多分医学部進学を目指してのことであろう。結局医学部は中退するが、後にアーレンス社では役立ったに違いない。
医学部中退の理由を、この記事では「滿心の覊気到底刀圭を以て立つを肯んぜず」などと格好をつけているが、髙瀨笑子氏の『鵠沼断想』では「学費がつづかなかった」と記している。髙瀨家に伝えられたこの説が実態であろう。
ここまでが山口三郎の時代である。1883(明治16)年４月28日、彼は髙瀨家の養子となり、髙瀨三郎を名乗る。養子とはいっても、おそらく髙瀨家とは元来縁がなかった。髙瀨家から請われて養子になったのではない。役職上知り得た情報により、髙瀨家が絶えることを利用したとされる。なぜ養子になったのか。笑子氏は徴兵回避を理由に挙げておられる。明治新政府は、1973(明治６)年１月に徴兵令を敷いた。しかし、はじめは戸主、嗣子など家父長制の中心になる者、また、官吏や官公立学校生徒、「代入料」として 270円を上納した者は兵役を免除されていた。この制度は、1889(明治22)年１月の改正徴兵令によって廃止され、国民皆兵の時代となった。
次いで1886(明治19)年３月９日、髙瀨三郎は横浜・金沢の名主の出である淺葉キクと結婚・入籍する。そして1887(明治20)年７月28日に長男=髙瀨彌一が誕生、1889(明治22)年９月19日には長女=照、1892(明治25)年２月17日には二女=千代、1894(明治27)年３月25日には三女=喜美が次々に誕生した。
廿七年同志を糾合して横濱貿易株式會社を起し其取締役となり、アーレンス其他の外商と聯絡して輸入品賣買に從事せしが、二十八年十一月日淸戰後の好機運に乘じ、本町四丁目に髙瀨商店を設立し、陸海軍其他諸官衙(くわんが)に對する物品の供給及び一般の輸入品賣買並に仲立業に從事せり、豪放なる君は未だこれのみを以て滿足せず、越へて卅二年改正条約實施新關税法の施行に際し、千載一遇の好機我をして陶朱たらしめんか、將(は)た我をして赤裸々に反へらしめんか、丈夫須(すべか)らく手に唾して立つべしと、雄大なる策戰計畫一擧して見越輸入の酒精を羅致し、同時に現在品を賣収して獨力利益を壟斷(ろうだん)せんことを企て、あらゆる方法の下に資金を調達し、實價數百萬圓の貨物を買収せり、果然、畫策的中し、市價次第に奔騰し一擧殆んど百余萬圓を利せんとす、勝算歴々眼中にあり、君滿腔の得意正に此時に在りき、
この、1894(明治27)年からの数年間が髙瀨三郎にとって絶頂期であった。独立して起業した彼は、アーレンス社で手中にした貿易業のノウハウを遺憾なく発揮し、たちまちにして巨万の富を築き上げた。売りに出ていた横浜正金銀行の石造の建物を買い取り、別荘として由比ガ浜に移築したのもこの頃である。家族には1900(明治33)年９月５日に四女=松が生まれた。
而して天公は什麼(どんな)に惡戯を弄するぞ、時運一轉、卅四年に到り北淸(ほくしん)の天地倏忽(たちまち)惨憺を極め、迅雷耳を掩ふに遑(いとま)あらず、經濟社界の恐慌は劈頭銀行の警戒となり、資金回収の大勢は滔々(とうとう)として席巻し來れり、鬼神の如き猛將も糧道を斷たれては如何ともすべけんや、孤城落日苟(いやし)くも其膽斗大なるにあらずんば實に自滅を免れず、君斷乎時運の非なるを諦視し、悠揚迫らず憾を呑んで徐(おもむ)ろに善後の策を講じ、敗軍の將叉兵を談ぜず、姑(しば)らく湘の鵠ヶ沼に隠退せり、
20世紀を迎えたころから、業績にかげりが見え始める。1901(明治34)年７月16日には破産状態に陥る。こうした時期に三郎は鵠沼に土地を求め、横浜から転居した。上記文書に見る「湘の鵠ヶ沼に隠退せり」である。当時中藤ヶ谷と呼ばれた片瀨川に沿う砂丘一帯、約２万坪といわれる土地を入手したのは1902(明治35)年３月４日のことであった。この土地の西に沿って江之島電気鉄道が開通するのは、その年の９月１日のことだから、既に工事が始まっていたであろう。笑子氏は「江ノ島電鉄にも、祖父はいくらか関係していた」と書いておられるが、同社の有力株主の中に髙瀨三郎の名は見あたらない。地目が山林であるにせよ、当時鵠沼海岸別荘地の１区画は、せいぜい3000坪であったことを考えると、約２万坪という面積は尋常ではない。それも事業に失敗し隠遁生活を送るために購入した土地なのだ。
最近、有田会長が入手された旧土地台帳の写しを見て、驚くべきことが判った。鵠沼村中藤ヶ谷7200番地の広大な山林の購入者は髙瀨彌一なのである。当時彌一は14歳、神奈川県立中学校(略称=神中。後に県第一中学→県立第一中学→県立第一横浜中学→県立横浜第一中学→県立横浜第一高校→県立希望ヶ丘高校と改名)の生徒だったはずだ。彌一少年の名義で購入した理由は、債権者や税務署からの財産隠しであろう。
靜養三年、卅七年二月創痍全く癒ゆるや、捲土重來拿翁(だおう)＊の孤島を脱せしが如く、横濱の舊壘を修め、南仲通五丁目に髙瀨合資會社を設立して、再び貿易仲立業を開始し、其信用も亦舊に倍するに至れり、卅八年十二月滿韓地方を視察し歸來更に計畫の歩武を進め、現に太田町四丁目に移轉せり、君の經歴と手腕は素より論を俟たず、而かも輕々に手を下さず、今や孜々(しし)として專ら本業に鞅掌し、徐ろに世の形勢を注視して機運の到るを待つものゝ如し、
＊：拿翁＝ナポレオン
髙瀨家が横浜から鵠沼に転居した時期は、今のところ判然としない。上記文章では「靜養三年、卅七年二月創痍全く癒ゆるや」とあるが、明治37年の３年前は明治34年だから、まだ土地を入手する前だし、江ノ電も開通していない。一方、戸籍上では明治43年６月21日付で横浜市太田町4丁目75番地から中藤ヶ谷7155番地に転籍届が出されている。これは同年７月12日付で照への分筆手続きがなされているから、書類手続き上の問題とも考えられる。
五女=芳は、1903(明治36)年10月４日に誕生し、横浜で出生届が出されている。従って、この時にはまだ横浜に住んでいて、その後に鵠沼に移住したと考えるべきであろう。
ともあれ、髙瀨家が鵠沼に居を移してからほぼ百年と見て良かろう。それは、江ノ電藤ヶ谷停留所前から坂道を登り、見上げるような冠木門を潜ってたどり着く《鵠沼御殿》と噂される豪邸から始まった。どのような屋敷であったのかは、伊藤 聖会員が『鵠沼』87号で紹介しているので、参照されたい。そして、そこを舞台に繰り広げられた人間模様については、これも伊藤会員が次章で詳述することになる。 （わたなべ りょう）
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