会誌『鵠沼』記念号の発行
 
渡部 瞭(会員)
 
  本誌17〜19ページをご覧になると判るように、会誌『鵠沼』は当初不定期に発行されていた。これが現在見るような形になったのは、1998年の第76号からで、鈴木編集長が着任されて以来である。さすがに我が国を代表する名編集長というべきであろう。
 以来、年2回3月末と9月末に発行するという基準が守られている。表紙のデザインも現行のスタイルに定着した。内容も充実した格調高いもので、一地方公民館サークルの200部程度発行の手作り会誌としては、出色のものと自負して良かろう。事実、知る人ぞ知るという存在ながら、ご好評をいただいている。隠れファンも少なからず存在するようだ。
 さて、本年度の『鵠沼』は、会の創立30周年という節目の年を迎え、2回とも記念号と位置づけ、これまでのしきたりを破ったスタイルになった。
第91号 2005年11月30日発行
 戦後60年という節目の年を迎え、「 語り継ぐ戦中・戦後の記憶」という大特集を組んだ。会員全員の戦中・戦後の記憶を1ページずつ書いていただこうというものである。類似の企画は、すでに1980年の第9号に「1980年の会員の声」というものがあるが、それ以来の試みということになる。第9号のものは、いわば「年頭所感集」で、数行程度の簡単なものだったが、戦中・戦後の記憶となると重みが違う。1ページずつという制約をはみ出す会員が半数にのぼり、編集に苦労した。冒頭には鈴木会員と内藤会員のためにページを割いた。日本史に残る汚点と鵠沼という地域の戦史を記録したかったからである。
 これが発表されるや、鈴木氏は各種メディアの取材責めにあい、「渡部さん、恨みますよ。」と漏らされた。
 この号は第一に執筆者数がべらぼうに多かったり、原稿提出の形態が不揃いだったり、原稿提出が大幅に早すぎたり遅すぎたり諸般の事情で刷り直しをするという30年の歴史で未曾有の大ポカをしでかした。もうこりごりである。
第92号2006年3月31日発行
 この号である。ご覧のように「鵠沼を語る会 30年の歩み」と「創立30周年記念事業のまとめ」の二部構成になっている。
 前半のうち20ページほどを割いて資料集のごときものを置いた。大部分は「鵠沼ゆかりの文化人展」の際、廊下に展示したものを整理したもので、竹内会員の調査による。
 後半のうち20ページを占めるのは、小山文雄氏の講演記録である。テープ起こしは岡田・原編集委員が分担した。生まれて初めての経験ということで、ご苦労が多かったことと思う。おかげで格調高い内容になった。感謝したい。
(わたなべ りょう)