全 国 に 鵠 を 追 う
―クグイ・クグ地名分布とその特色―
渡部 瞭(会員)
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はじめに 先日の新年会で、小林政夫会員から「渡部さん、これ面白いですよ。使ってみてください。」と、1枚のCD-ROMを手渡された。『地図で見る 日本地名索引』という潟Aポック社(鎌倉市大船)の製品で、国土地理院の1:25,000地形図に掲載される地名が、その位置(経緯度)やふりがなを含めて検索できるものである。現行の地形図に基づいているため、消えた地名(例:砥上ヶ原)や最近の大型合併で生まれた市(例:南アルプス市)を検索することはできないし、ごく狭い範囲の、地形図に載せられない地名(例:鵠沼花沢町)は省略されている。
早速これを使って、以前から気になっていた「鵠」のつく地名がどこにあるのかを探してみることにした。
鵠とは 鵠の意味については、今号の小林会員の文にも詳説されているし、以前、『鵠沼』第12号で故伊藤節堂会員が『鵠沼の「クグヒ」』と題するかなり詳細な考察を発表しておられる。伊藤会員はこの中で「鵠のつく地名」として@茨城県の「鵠戸(くぐいど)」「鵠戸沼」 、A 埼玉県本庄市の「久久宇(くぐう)」、B 富山県新湊市の放生沢潟近くの「久久江(くぐえ)」、「新久久江」、「久久湊(くぐみなと)」の3箇所を紹介されている。
鵠地名 『地図で見る 日本地名索引』を検索して得られた「鵠」のつく地名を表示してみよう。
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これ以外にインターネットで検索すると、京都市内に鵠坂(くぐいざか)という地名もある。
これをご覧になって「たったこれっぽっちか。」と思われるのも「案外多いな。」と感じられるのも自由だが、鵠は鵠沼の専売特許ではないのである。しかし、これを「くげ」と読むのは鵠沼だけのようだ。「こく」とも読まない。「くぐい」か「こう」である。
クグイ地名 くぐいは鵠の漢字ばかりでなく「久々井」などと表記される場合
もある。これにはいったいどんなものがあるだろうか。
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「久々井」は岡山県に集中していることが判る。「くくい」と読む場合と「くぐい」と読む場合とがあるが、近接して双方が見られることから、同一視してかまわないと判断したい。面白いのは京都府の「供御飯峠」である。なんだか曰くありげな表記だが、ハクチョウからの意味が漢字を当てはめるときに変化したとも考えられる(小狭間→伯母様などその例は多い)。
クグ地名 先述の伊藤節堂会員が紹介している地名に「久久宇(くぐう)」「久久江(くぐえ)」などがある。これらの場所では、地名の由来としてハクチョウとの関係を挙げているものが多い。
では、「クグ」のつく地名はどれぐらい見つかるかというと、先述の「鵠」「久々井」を含めて80ばかりが挙がってくる。これを例によって列記すると、それだけで2ページ以上を費やしてしまうので、県別に数をまとめてみた。但し、「クグリ」で始まる地名は除外した。ハクチョウとの関係がなさそうだからである。なお、このソフトでは検索できなかったが、岐阜県高山市に久々野町という町名があることがインターネット検索で判明した。
熊本県=3、佐賀県=1、福岡県=3、大分県2、高知県=5、徳島県=4、広島県=2、島根県=3、鳥取県=1、岡山県=11、兵庫県=2、京都府=2、和歌山県=1、三重県=1、愛知県=1、岐阜県=5、福井県=2、石川県=2、富山県=2、新潟県=3、群馬県=3、埼玉県=2、千葉県=2、茨城県=2、福島県=3、宮城県=7、北海道=1
岡山県=11の大部分は先に紹介してある。北海道の1例は「久々津農場」というもので、経営者の姓か出身地から採ったのだろう。宮城県=7というのが目立つが、これは「十八成(くぐなり)(鳴)」という難読地名が大部分である。種明かしをすると、いわゆる鳴き砂現象が見られる砂浜で、「クク」と鳴ることから9+9=18という判じ物だという。で、これはハクチョウ関係ではない。
あとは1〜5箇所ずつで、25府県にわたる。これを地図上にプロットしてみたのが下図である。
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これによると、宮城県から熊本県にわたって全国に分布するが、かなり粗密が見られる。その分布範囲は、飛鳥時代以前の初期大和朝廷の勢力範囲に一致する。すなわち、南方の熊襲(くまそ)、北方の蝦夷(ゑみし)という勢力を征圧する以前の範囲である。 倭語(やまとことば)における「くぐひ」とは、ハクチョウを意味し、漢字の同意語の「鵠」が充てられた。また、「くぐ」とは、カヤツリグサを指す場合があるので、クグのつく地名がすべてハクチョウと関係するわけではないが、クグ地名のみられる多くの場所で、地名の由来としてハクチョウとの関係が伝えられていることもまた事実なのである。他に埼玉県熊谷市の久下(くげ)にも同様な由来が伝えられる。
記紀と鵠 「鵠」という漢字は、滅多に使われないが、日本に漢字が伝来し、一般的に用いられるようになった段階から既に使われている。
『日本書紀』によると、伝説上の11代垂仁天皇の子誉津別皇子(ほむつわけのみこ)は父天皇に大変鍾愛されたが、長じてひげが胸先に達しても言葉を発することがなく、赤子のように泣いてばかりであった。皇子はある日、鵠(くぐひ)が渡るさまを見て「是何物ぞ」と初めて言葉を発した。天皇は喜び、その鵠を捕まえることを天湯河板挙(あめのゆかわたな)(鳥取造(ととりのみやつこ)の祖)に命じる。彼が出雲で捕まえて献上し、鵠を遊び相手にすると、誉津別命は言葉を発するようになった。ここに鳥取部(ととりべ)、鳥飼部(とりかいべ)、誉津部(ほむつべ)を設けたとある。
一方『古事記』では、誉津別皇子についてより詳しい伝承が述べられている。天皇は尾張の国の二股に分かれた杉で二股船を作り、それを運んできて、市師(いちしの)池、軽池に浮かべて、皇子とともに戯れた。あるとき皇子は天を往く鵠を見て何かを言おうとしたので、天皇はそれを見て鵠を捕らえるように命じた。鵠は紀伊(和歌山県)、播磨(兵庫県)、因幡(鳥取県)、丹波(京都府/兵庫県)、但馬(兵庫県)、近江(滋賀県)、美濃(岐阜県)、尾張(愛知県)、信濃(長野県)、越(福井県/石川県/富山県/新潟県)を飛んだ末に捕らえられたとある。
これを地図上に表してみたのが上図である。そのルートの多くにクグ地名が見られることに注目したい。
おわりに 数年前、鳥取県の「米子水鳥公園」を訪れた。ここはコハクチョウの集団越冬地としては最南端という。訪れたのは初夏で、コハクチョウは繁殖地の北極海沿岸に帰っていたが、眼前に展開する湖を眺めながら、古墳時代の川袋一帯に見られたという「古鵠沼湖」ともいうべき湖の拡がりに思いを馳せた。鵠沼とは白鳥の湖だとの確信が得られる思いがしたのである。(わたなべ りょう)
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