1 |
引地町内会館前 |
鵠沼神明4-11-17 | |||
道祖神塔 | 文字塔 | 安政2(1855)年正月 | 69cm | ||
道祖神 | 双体像浮彫 | 不詳(古くない) | 35cm | ||
2 |
上村神社祠前 |
鵠沼神明4-3-1地先 | |||
道祖神 | 双体神像 | 寛政元(1789)年11月 | 風化 | ||
道祖神 | 火成岩雛弁光背型 双体神像浮彫 |
昭和58(1983)年再建 | 91cm | ||
道祖神 | 双体神像 | 不詳 | 風化 | ||
3 |
白旗稲荷境内 |
鵠沼神明5-6-1 | |||
二十三夜塔 | 文字碑 | 天保15(1844)年 | 102cm | ||
道祖神 | 双体神像 | 不詳 | |||
庚申塔 | 文字碑/三猿 | 元禄2(1689)年3月 | 76cm | ||
4 |
日本精工藤沢工場北西角 |
鵠沼神明1-5-3地先 | |||
庚申塔 | 青面金剛像浮彫 | 元禄9(1696)年 | 85cm | ||
5 |
内田第一中学校校地角 |
鵠沼神明5-10 | |||
庚申塔 | 青面金剛像浮彫 | 不詳 | 81cm祠内 | ||
庚申塔 | 文字碑 | 明治5(1872)年 | 85cm | ||
二十三夜塔 | 文字塔 | 天保3(1832)年正月 | 不明 | ||
6 |
神明宮一の鳥居脇 |
鵠沼神明2-10-5 | |||
道陸神塔 | 文字塔「道陸神」 | 元禄2(1689)年正月 | 廃止 | ||
道陸神塔 | 安山岩製 尖頭角柱型文字塔 「道陸神」 |
天保12(1841)年9月再建 | 59cm | ||
道陸神塔 | 文字碑「道陸神」 | 平成12(2000)年3月 | 132cm | ||
7 |
宮の前首塚碑脇 |
鵠沼神明3-3-17地先 | |||
庚申塔 | 青面金剛像浮彫 | 嘉永元(1848)年11月13日 | 85cm祠内 | ||
8 |
万福寺脇 |
鵠沼神明3-4 | |||
庚申塔 | 青面金剛像浮彫 | 元禄4(1691)年11月 | 98cm | ||
庚申塔 | 青面金剛像浮彫 | 享保4(1719)年11月 | 84cm | ||
六十六部供養塔 | 文字塔 | 安永4(1775)年10月 | 75cm | ||
9 | 宿庭マイルドモーター角 | 鵠沼神明2-1-27地先 | |||
道祖神塔 | 砂岩製蓮弁光背型 双体石像(半肉彫) |
天保11(1840)年9月再建 | 93cm | ||
10 |
法照寺境内 |
鵠沼神明2-2-24 | |||
庚申塔 | 円頭角柱型六臂青面金剛像 | 元禄5(1692)年10月 | 69cm | ||
庚申塔 | 文字塔 | 宝永8(1711)年4月 | 87cm | ||
庚申塔 | 舟型光背型六臂青面金剛像 | 享保3(1718)年10月 | 89cm | ||
庚申塔 | 蓮弁光背型六臂青面金剛像 | 元文4(1739)年11月17日 | 87cm | ||
庚申塔 | 笠塔婆型六臂青面金剛像 | 宝暦10(1760)年11月 | 94cm | ||
庚申塔 | 笠塔婆型六臂青面金剛像 | 宝暦11(1761)年9月 | 99cm | ||
庚申塔 | 文字塔 | 明和元(1764)年11月 | 84cm | ||
庚申塔 | 文字塔 | 文化3(1806)年正月 | 89cm | ||
庚申塔 | 文字塔 | 天保12(1841)年正月 | 74cm | ||
相模国準四国八十八か所供養塔 | 文字碑 | 昭和51(1976)年6月17日 | 102cm | ||
ゑ乃志満弁才天道標 | 文字塔 | 不詳 | 98cm | ||
11 |
宮ノ前 |
鵠沼神明2-4-20地先 | |||
馬頭観音塔 | 文字碑 | 大正8(1919)年4月18日 | 86cm | ||
12 |
宮ノ前 |
鵠沼神明2-5-19地先 | |||
道祖神塔 | 安山岩製 平頭角柱型文字塔 「道祖神」 |
嘉永5(1852)年正月 | 83cm |
||
道祖神塔 | 文字塔「道祖神」 | 不詳 | 破損 | ||
13 | 宮ノ前 | 鵠沼神明2-4-24地先 | |||
馬頭観音像 | 不詳 | 立像丸彫り | 74cm祠内 | ||
14 |
茂兵衛の辻 |
本鵠沼2-7-17地先 | |||
庚申塔 | 青面金剛像浮彫 | 宝暦3(1753)年 | 60cm | ||
道祖神塔 | 火成岩製 尖頭角柱型文字碑 「道祖神 中東町」 |
明治42(1909)年正月14日 | 49cm | ||
15 |
大東の辻 |
本鵠沼1-13-24地先 | |||
道祖神塔 | 安山岩製 蓮弁光背型双体神像 | 延宝6(1678)年 | 不明 | ||
庚申塔 | 青面金剛像浮彫 | 享保2(1717)年10月 | 85cm祠内 | ||
庚申塔 | 青面金剛像浮彫 | 宝暦4(1754)年8月25日 | 93cm祠内 | ||
16 |
清水 |
本鵠沼5-7-15地先 | |||
道祖神塔 | 火成岩製 尖頭角柱型文字塔 「道祖神 清水氏子中」 |
昭和42(1967)年 | 60cm | ||
17 |
苅田の辻 |
本鵠沼5-11-1地先 | |||
道祖神塔 | 砂岩製蓮弁光背型 双体石像浮彫 |
(造立年銘欠江戸時代) | 61cm 両側に欠損五輪塔 |
||
18 |
苅田稲荷境内 |
本鵠沼5-10-21地先 | |||
馬頭観音菩薩塔 | 文字塔「馬頭観世音」 | 昭和5(1930)年9月 | 35cm | ||
弘法大師像 | 座像丸彫り | 48cm堂内 | |||
19 |
大東 |
本鵠沼1-14-8地先 | |||
庚申塔 | 青面金剛像浮彫 | 元文2(1737)年 | 128cm祠内 | ||
20 |
原の地蔵堂 |
本鵠沼2-19-11 | |||
地蔵菩薩像 | 立像丸彫り。厨子入り | 不詳 | 69cm堂内 | ||
弘法大師像 | 座像丸彫り | 不詳 | 48cm堂内 | ||
21 |
仲東−大東 |
本鵠沼2-4-32地先 | |||
馬頭観音菩薩像 | 立像浮彫 | 文化13(1816)年4月4日 | 63cm | ||
馬頭観音菩薩塔 | 文字碑 | 大正10(1921)年12月13日 | 53cm遺失 | ||
馬頭観音菩薩塔 | 文字碑 | 大正12(1923)年2月4日 | 46cm | ||
22 |
石上通り砥上公園内 |
鵠沼石上1-11 | |||
庚申塔 | 青面金剛像浮彫 | 宝永6(1709)年5月 | 115cm | ||
庚申塔 | 青面金剛像浮彫 | 正徳6(1716)年 | 109cm | ||
庚申塔 | 青面金剛像浮彫 | 享保元(1716)年9月 | 83cm | ||
庚申塔 | 文字碑 | 明和8(1771)年 | 75cm | ||
庚申塔 | 文字碑 | 文化10(1813)年6月 | 77cm | ||
道祖神塔 | 火成岩製 尖頭角柱型文字碑 「道祖神 石上村」 |
文久3(1863)年正月 | 67cm | ||
馬頭観音菩薩塔 | 文字碑 | 万延元(1860)年3月18日 | 63cm | ||
23 |
石上稲荷神社境内 |
鵠沼石上3-1-24 | |||
道祖神塔 | 火成岩 自然形文字碑 「道祖神 宮沢みつ」 |
大正6(1917)年10月1日 | 59cm | ||
地蔵菩薩像 | 立像 | 承応5(1655)年 | 不明 | ||
地蔵菩薩像 | 立像浮彫 | 52cm | |||
題目塔 | 文字塔 | 天保2(1831)年 | 不明 | ||
題目塔 | 文字塔 | 寛政3(1791)年9月17日 | 53cm | ||
馬頭観音菩薩塔 | 文字塔 | 明治15(1882)年10月19日 | 79cm | ||
24 | 石上宮澤邸 | 鵠沼石上3-4 | |||
地蔵菩薩像 | 立像丸彫 | 承応5(1655)年 | 52cm屋根付き 鵠沼最古の石仏 |
||
25 |
仲東の辻 |
本鵠沼2-8-16地先 | |||
庚申塔 | 青面金剛像浮彫 | 元文5(1740)年 | 58cm祠内 | ||
馬頭観音菩薩塔 | 文字塔 | 明治19(1886)年 | 不明 | ||
馬頭観音菩薩塔 | 文字塔 | 明治29(1896)年11月24日 | 44cm祠内 | ||
26 |
原 |
本鵠沼3-3-32地先 | |||
馬頭観音菩薩像 | 立像浮彫 | 天保7(1836)年 | 54cm祠内 | ||
27 |
原の関根の角 |
本鵠沼4-6-19地先 | |||
道祖神塔 | 火成岩製 尖頭角柱型文字塔 「道祖神 原氏子」 |
昭和34(1959)年正月 | 48cm | ||
道祖神塔 | 文字塔 | 不詳(古くない) | 30cm | ||
28 |
原の辻 |
本鵠沼4-13-22地先 | |||
出羽三山供養塔 | 文字塔 | 文化6(1809)年 | 159cm | ||
四国三十三所供養塔 | 文字塔 | 寛政7(1795)年 | 87cm | ||
庚申塔 | 青面金剛像浮彫 | 宝暦3(1753)年 | 60cm祠内 | ||
29 |
中原町 |
本鵠沼2-10-18地先 | |||
道祖神塔 | 火成岩製 尖頭角柱型文字塔 「道祖神 中原氏子中」 |
明治36(1903)年正月 | 55cm | ||
30 |
本鵠沼駅前 |
本鵠沼2-17-16地先 | |||
道祖神塔 | 安山岩製 平頭角柱型文字塔 「道祖神」 |
延宝6(1678)年 | 不明 | ||
31 |
原の角 |
本鵠沼2-15-24地先 | |||
馬頭観音菩薩像 | 立像丸彫り | 寛政9(1797)年10月 | 103cm祠内 | ||
地蔵菩薩像 | 立像丸彫り | 不詳(古くない) | 13cm祠内 | ||
32 |
新田道分岐 |
鵠沼橘2-14-9地先 | |||
道祖神塔 | 安山岩製 蓮弁光背型双体神像 施主当村甚五工門 |
安永8(1779)年8月 | 不明 | ||
33 |
鵠沼橘の辻 |
鵠沼橘2-13-16地先 | |||
庚申塔兼ゑのしまみち道標 | 青面金剛像浮彫 | 正徳5(1715)年9月 | 98cm祠内 | ||
34 |
原南の辻 |
本鵠沼4-16-19地先 | |||
庚申塔 | 青面金剛像浮彫 | 天明8(1788)年7月 | 72cm祠内 | ||
35 |
八部 |
鵠沼海岸6-7-1地先 | |||
道祖神塔 | 安山岩製 尖頭平柱型文字塔 「南無道祖神 浅場太郎左エ門」 |
宝暦元(1751)年正月吉日 | 74cm 1987/11/12移転 |
||
36 | 堀川浅場家邸内 | ||||
弘法大師像 | 座像丸彫り | ||||
地蔵菩薩像 | 座像丸彫り | ||||
37 |
堀川岐れ道 |
鵠沼海岸7-5-18地先 | |||
馬頭観音菩薩塔 | 文字碑 | 明治28(1895)年10月 | 77cm | ||
馬頭観音菩薩塔 | 文字碑 | 大正14(1925)年4月20日 | 63cm | ||
38 |
本眞寺踏切脇路線敷内 |
本鵠沼3-16-13地先 | |||
馬頭観音菩薩塔 | 文字碑 | 寛政11(1799)年9月26日 | 55cm | ||
39 |
浜道 |
鵠沼海岸7-4-17地先 | |||
地蔵菩薩像 | 立像丸彫り | 安永9(1780)年 | 110cm堂内 | ||
弘法大師像 | 座像丸彫り | 文政3(1820)年 | 72cm堂内 | ||
庚申塔 | 青面金剛像浮彫 | 宝永6(1709)年 | 97cm祠内 | ||
庚申塔 | 青面金剛像浮彫 | 宝暦12(1762)年 | 85cm祠内 | ||
弘法大師堂供養塔 | 笠塔婆型文字塔 | 天保2(1831)年3月 | 55cm | ||
40 |
高根地蔵堂 |
鵠沼海岸7-19-12 | |||
地蔵菩薩像 | 立像丸彫り | 天保14(1843)年2月4日 | 38cm祠内 | ||
41 |
納屋の辻 |
鵠沼海岸7-16-17地先 | |||
道祖神塔 | 安山岩製 蓮弁光背型双体神像 新田村 醒井氏 |
安永2(1773)年11月 | 不明 | ||
道祖神塔 | 火成岩製 尖頭角柱型文字塔 「道祖神 鵠沼納屋一同」 |
昭和46(1971)年1月14日 | 46cm | ||
42 | 納屋 | ||||
馬頭観音菩薩塔 | 文字塔「馬頭観世音菩薩」 | ||||
43 |
小田急線一木通り踏切脇 |
鵠沼松が岡4-19-5 | |||
地蔵菩薩像 | 立像丸彫り | 昭和33(1958)年 | 152cm | ||
44 | 国分轄拍タ寮駐車場 | 鵠沼海岸2-12 | |||
北辰妙見星碑 | 自然石文字碑「北辰妙見星」 | 不詳 | 114cm | ||
北辰妙見星碑 | 自然石文字碑「北辰妙見星」 | 不詳 | 36cm | ||
45 |
龍宮橋入口交差点角 |
鵠沼海岸4-6地先 | |||
精霊供養塔 | 文字塔 | 明治5(1872)年 | 74cm | ||
46 |
紀功碑脇 |
鵠沼海岸2-17-24地先 | |||
道祖神塔 | 安山岩製 平頭角柱型文字塔 「道祖神」 |
昭和5(1930)年1月14日 | 37cm | ||
47 |
肥上道 |
鵠沼海岸1-16地先 | |||
道祖神塔 | 根府川石 目然形文字塔 「道祖神 鵠沼海岸町内」 |
昭和8(1933)年8月 | 134cm(廃止) | ||
道祖神塔 | 花崗岩製 尖頭平柱型文字塔 「道祖神」 |
昭和63(1988)年5月再建 | 91cm | ||
48 | 作橋下流浅場家石碑脇 | 鵠沼海岸4-21-8地先 | |||
石祠 | 内部空き 左右に石灯籠 |
||||
49 |
賀来神社境内・境外 |
鵠沼藤が谷3-10 | |||
道祖神塔 | 火成岩 円頭型文字塔 「道祖神」[下部に鵠沼海濱] |
不明(明治時代) | 84cm(右上部破損) | ||
道祖神塔 | 花崗岩製 サーフボード型文字碑 「道祖神」 |
平成16(2004)年8月18日 | 131cm | ||
首塚碑 | 鵠沼神明3-3-17 | ||||
関根伝左衛門 | 題字は県令=野村靖 | 1879(明治12)年2月 | 一部剥落。判読不能 | ||
関根伝左衛門が首塚を発掘し、二人分の遺骨を発見。慰霊のため建碑 | |||||
帆足可成句碑 | 鵠沼藤が谷3-10(賀来神社境内) | ||||
1904(明治37)年3月 | |||||
帆足可成(本名:信、別号:松岡庵。陸軍軍吏で俳人)、「古からしの落ち行あとや水乃月」 | |||||
鵠沼海岸別荘地開発記念碑 | 鵠沼藤が谷3-10(賀来神社境内) | ||||
題字:頭山 満、撰書牧野随吉 | 1920(大正 9)年12月 | ||||
鵠沼海岸別荘地開発の経緯と伊東将行の功績を顕彰 | |||||
飯尾常吉翁碩徳碑 | 鵠沼神明5-6 | ||||
有志 | 1921(大正10)年2月 | ||||
明治時代に車田地区の発展に尽くした須賀(平塚市)出身の飯尾常吉氏の顕彰碑 | |||||
新道開通記念 | 本鵠沼1-16-18地先 | ||||
発起人 | 1927(昭和 2)年5月 | ||||
一本松踏切より南下する「大東道」開通記念。土地提供者名簿 | |||||
堀川改修記念碑 | 鵠沼海岸4-21-8地先 | ||||
浅場虎吉 | 1932(昭和 7)年8月23日再建 | ||||
1786(天明6)年7月17日の洪水に祖父が、1803(享和3)年5月19日の洪水に父が堀川(引地川)の堤防を建設して復旧したことを記念し浅場太郎左衛門が建碑した碑を再建(旧碑は1808(文化 5)年 8月15日) | |||||
中岡耕地整理紀功碑 | 鵠沼海岸2-10-34(鵠沼市民センター裏庭) | ||||
中岡耕地整理組合 | 一木與十郎:撰/野崎貞義:篆額/藤野靜輝:書 | 1933(昭和 8)年10月 | 鵠沼松が岡4-19-5より移設 | ||
昭和7年7月に起工し、翌年8月に竣工した中岡一木通り一帯の耕地整理 | |||||
(引地川改修工事)紀功碑 | 鵠沼海岸2-17地先 | ||||
藤澤町 | 一木與十郎:撰 | 1934(昭和 9)年2月 | 一時期引地川に転落したものを塩澤務が再建 | ||
県費で1933(昭和8)年から約1年の工事で完成した引地川改修工事を記念 | |||||
記念碑(石上神社移転) | 鵠沼石上2-3-7 | ||||
1934(昭和 9)年11月20日 | |||||
石上神社はもと石上の渡し場脇にあったが、明治29年、水害に遭うので昭和9年に現在の石上駅南東方に移転。さらに1977(昭和52)年11月現在の石上会館の脇に移った。 | |||||
松岡静雄先生之庵跡碑 | 鵠沼海岸7-18-18 | ||||
知友門生有志 | 中村孝也(1885-1970)撰 池田宙堂書 | 1937(昭和12)年5月30日 | 裏面に来歴 | ||
松岡静雄(1879-1936。海軍軍人・民俗学国語学者。柳田國男の弟)旧居跡 | |||||
本鵠沼耕地整理記念碑 | 鵠沼桜が岡4-8 | ||||
本鵠沼耕地整理組合 | 1938(昭和13)年8月 | 鵠沼桜が岡4-11-2地先より移転 | |||
1937-1938年に行われた本鵠沼駅東側の耕地整理記念碑 | |||||
花沢町下水施設記念碑 | 花沢公園 | ||||
花沢町町内会 | 1939(昭和14)年8月 | 鵠沼花沢町12-19より2000年花沢公園に移設 | |||
1936年より資金積立を開始、翌年完成した花沢町の下水道完成記念 | |||||
(機雷と砲弾) | 鵠沼神明2-11(皇大神宮神殿右側) | ||||
海軍省 | 1941(昭和16)年頃? | 現在立ち入り禁止 | |||
石垣を組んだ壇上に中央に機雷、左右に砲弾。壇裏に「海軍省下附」と刻む | |||||
赤木愛太郎先生像 | 鵠沼神明5-6 | ||||
湘友会 | 制作 東京藝術大学教授・堀 進二 | 1954(昭和29)2月 | |||
湘南中学から湘南高校にかけての初代校長赤木愛太郎傘寿記念の胸像 | |||||
聶耳(ニェ・アール)記念碑 | 湘南海岸公園聶耳記念広場 | ||||
藤沢市 | 作:山口文象 | 1954(昭和29)年10月 | |||
「耳」の字をかたどった逆台形の花崗岩碑。1958年9月27日、台風22号(狩野川台風)のため破損→1965年再建→1986年広場整備、移転 | |||||
高山昇翁碩徳碑 | 鵠沼海岸5-11 | ||||
撰:石川岩吉、書:桑原通雄 | 1955(昭和30)年5月20日 | ||||
1943年創設の鵠沼伏見稲荷初代神主高山昇(1864-1950)の顕彰碑 | |||||
皇太子殿下御成婚記念植樹 | 鵠沼海岸2-18(県立湘南海岸公園) | ||||
神奈川県 | 書:内山岩太郎 | 1959(昭和34)年4月10日 | |||
太陽をかたどった円いモザイク | |||||
湘南高校校歌碑 | 鵠沼神明5-6(湘南高校) | ||||
1959(昭和34)年11月5日 | |||||
校歌歌詞(作詞 北原白秋) | |||||
鵠沼土地区画整理記念碑 | 鵠沼神明2-11(皇大神宮裏側道路わき) | ||||
鵠沼土地区画整理組合 | 書:金子小一郎 | 1960(昭和35)年4月1日 | |||
鵠沼土地区画整理記念 | |||||
記念碑(皇大神宮鳥居再建) | 鵠沼神明2-11(皇大神宮一の鳥居左側) | ||||
氏子中 | 1961(昭和36)年1月17日 | ||||
皇大神宮鳥居再建 | |||||
湘南高校校歌楽譜 | 鵠沼神明5-6(湘南高校) | ||||
湘友会 | 1964(昭和39)年6月1日 | ||||
校歌楽譜(作曲:山田耕筰)黒御影石上に銅板レリーフ | |||||
平和の像 | 鵠沼海岸2-18(県立湘南海岸公園サーフビレッジ南東方) | ||||
藤沢市 | 彫刻:難波孫次郎 碑文:金子小一郎 | 1965(昭和40)年3月31日 | |||
鳩を掲げた男性裸像(銅像)および解説碑。戦没者慰霊の目的も | |||||
聶耳(ニェ・アール)記念碑解説文 | 鵠沼海岸2-18(県立湘南海岸公園内聶耳記念広場) | ||||
藤沢市 | 秋田雨雀(1883-1962)撰、豐道春海(1878-1970)書 | 1965(昭和40)年9月18日 | 1986年広場整備、移転 | ||
聶耳の紹介と遭難の経緯解説。内容の不正確な部分を手直しして1965年再建→1986年広場整備、移転 | |||||
「聶耳終焉之地」記念碑 | 鵠沼海岸2-18(県立湘南海岸公園内聶耳記念広場) | ||||
藤沢市 | 揮毫:郭沫若 | 1965(昭和40)年9月18日 | 1986年広場整備、移転 | ||
聶耳終焉之地 | |||||
鵠沼内田土地区画整理組合落成記念碑 | 鵠沼神明5-11(第一中学西南隅) | ||||
鵠沼内田土地区画整理組合 | 1968(昭和43)年5月31日 | ||||
1964(昭和39)年に事業着手し、1968(昭和43)年に完了した6.77haの鵠沼内田土地区画事業の完成記念碑 | |||||
名誉市民 片山哲先生像 | 鵠沼東8(市民会館前) | ||||
藤沢市 | 彫刻:菅沼五郎 | 1972(昭和47)年5月 | |||
胸像(銅像) | |||||
蒸気機関車C11「しおかぜ号」 | 鵠沼海岸6-12-1(八部公園) | ||||
藤沢市 | 1976(昭和51)年10月1日 | ||||
蒸気機関車C11245号、国鉄から藤沢市ヘナンバープレートの授受が行われ、鵠沼運動公園に保存 | |||||
石上会館建設記念碑 | 鵠沼石上2-3-7(石上会館隣) | ||||
石上町内会 | 1977(昭和52)年11月 | ||||
藤沢市南部土地区画事業を機に石上神社移転と合わせて町内会館を建設した | |||||
記念碑(皇大神宮参道石玉垣竣工) | 鵠沼神明2-11(皇大神宮境内右手) | ||||
氏子中 | 1979(昭和54)年9月9日 | ||||
皇大神宮参道石玉垣竣工 | |||||
東久邇宮第二王子師正王の遭難記念碑 | 鵠沼海岸2-11-34 | ||||
吉村鐵之助 | 1981(昭和56)年8月31日 | ||||
1923(大正12)年9月1日、関東大震災で倒壊した吉村別邸で遭難。塩澤 努、行方不明だったものを港区白金4-2-3本妙寺(吉村家檀那寺)で発見、移設。当初の建碑時期・場所は不明 | |||||
造営記念碑 | 鵠沼神明2-11(皇大神宮境内右手) | ||||
氏子中 | 1985(昭和60)年11月吉日 | ||||
皇大神宮社殿造営記念/別碑:皇大神宮御社殿造営奉賛者 | |||||
記念碑(鵠沼墓地移転) | 鵠沼神明3-4(万福寺裏手) | ||||
鵠沼墓地管理委員会 | 1986(昭和61)年11月21日 | ||||
昭和18年2月27日、戦時下の日本精工藤沢工場拡張に伴い 敷地内に点在していた集落墓地を県知事許可により万福寺裏手に集めて「鵠沼墓地」とした | |||||
記念碑(鵠沼耕地整理) | 鵠沼海岸4-8地先(引地川堤防上) | ||||
高座郡藤沢町鵠沼耕地整理組合 | 題字:藤沢市長葉山峻 | 1986(昭和61)年11月吉日 | |||
1931-1934年にかけて行われた引地川河川改修に伴う耕地整理は、戦後になっても決着がつかず、1980年に組織を再編、1986年に73haの耕地整理が完了した | |||||
聶耳自署とレリーフ | 鵠沼海岸2-18(県立湘南海岸公園内聶耳記念広場) | ||||
藤沢市 | 彫刻:菅沼五郎 | 1986(昭和61)年 | |||
聶耳記念広場の背景をなす石垣状建造物。左上にレリーフ、右下に自署 | |||||
聶耳記念碑の由来 | 鵠沼海岸2-18(県立湘南海岸公園内聶耳記念広場) | ||||
藤沢市 | 碑文:藤沢市長葉山峻 | 1986(昭和61)年 | |||
聶耳記念広場設置に際し、それまでの経緯を解説したもの | |||||
記念碑 | 鵠沼神明3-4(万福寺裏口横) | ||||
藤沢市鵠沼神明公害対策委員会 | 撰:荒木良正 | 1988(昭和63)年5月21日 | |||
日本電気硝子の公害に対する闘争の経緯を解説 | |||||
サーフ'90実施記念碑 | 鵠沼海岸2-18(県立湘南海岸公園中央入口脇) | ||||
神奈川県 | 書:長洲一二 | 1990(平成2)年 | |||
相模湾アーバンリゾート・フェスティバル1990(Sagamiwan Urban Resort Festival in 1990)実施記念碑 | |||||
佐川英三詩碑 | 鵠沼橘(大田邸内) | ||||
1992(平成 4)年9月4日 | |||||
詩人佐川英三(1913-1992)の詩『独楽』と人物紹介。死去は1992(平成 4)年11月22日であった | |||||
旧鵠沼橋親柱 | 鵠沼海岸1-17 (鵠沼橋橋詰広場) | ||||
神奈川県? | 1992(平成4)年3月? | ||||
1932(昭和7)年に架橋された引地川鵠沼橋が1990(平成2)年9月30日、台風20号の増水で落橋した。掛け替え工事完成時に旧親柱を橋詰広場に設置した | |||||
蕉窓句碑 | 鵠沼神明3-4(万福寺鐘楼前) | ||||
荒木良正(万福寺住職) | 『俳諧画像集』が原画 | 1994(平成6)年10月17日 | |||
万福寺先々代住職荒木蕉窓の肖像と句「雛持て飛なの噂や市もとり」 | |||||
東屋の跡 | 鵠沼海岸2-8-26(永井邸角) | ||||
藤沢市教育委員会 | 佐江衆一筆 | 2001(平成13)年3月22日 | |||
「文人が逗留した 東屋の跡」と刻まれた小松石の碑/解説板は「鵠沼を語る会」 | |||||
昭和四年丸政料理店発祥地 | 鵠沼海岸2-4-9(マリンロード鵠沼海岸駅前角) | ||||
丸政 | 2003(平成15)年11月 | ||||
小田急江ノ島線開通を機に鵠沼海岸駅前に開店した「丸政」跡の記念碑 | |||||
原の辻石碑整備賛助者 | 本鵠沼4-13 | ||||
地元有志 | 2005(昭和17)年1月19日 | ||||
出羽三山供養塔、庚申塔などが並ぶ辻を整備した記念 徳冨蘆花『思出の記』にも描かれている場所 |
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東屋旅館海浜口門柱跡パネルと門柱 | 鵠沼海岸2-14 | ||||
藤沢市教育委員会 | 2005(昭和17)年11月 | ||||
かつての名旅館「東屋」の海浜口門柱が宅地造成により撤去されそうになった時、「鵠沼を語る会」などの要望により移設とパネル設置がすすめられた/門柱、鵠沼公民館裏庭に移設 | |||||
日本ビーチバレー発祥の地記念碑 | 鵠沼海岸1-17-3 (県立湘南海岸公園サーフビレッジ南側前庭) | ||||
日本ビーチバレー発祥の地・記念碑建立推進委員会 | 作:日比野克彦 | 2006(平成18)年8月18日 | |||
1987(昭和62)年に日本初のビーチバレー公式大会「ビーチバレー・ジャパン」が開催されたことを記念し、第20回大会を機に設立された/B・E・A・C・Hを象った5個の石組みで中央のネットと4人の選手を表現している |