駅裏の通り 昭和6年 今の松が岡4丁目16番地のあたり。この道の先に見える麦畑の広がりは、昭和7年に区画整理されて、当時の町長さんの名をとった一木通りとなり、家なみが続いている。 |
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駅前風景 昭和6年 小田急線は昭和4年4月に開通していたとはいうものの、6年になってもなお駅前はこのように閑散としていた。当時のことながら商店街の存在はなかった。 |
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鵠沼銀座 昭和6年 鵠沼海岸2丁目の四つ角から西へ見た銀座通りの街なみである。シーズンである夏場以外は見ての通りの閑散としたものであったが、それでも商店街の人々の懐具合はむしろ現在以上のものであったらしいから不思議なくらいだ。 |
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駅入口附近 昭和6年 右手に大きく丸政旅館が見える。その向こう、“時計店”とある所は現在“鵠沼薬局”に、“冨久屋食料品店”は今はその右側に店を出している。駅前には丸政の他は店屋はなかった。 |
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